京街道4次 中書島駅-(約21km)-枚方市駅
2010年 9月 5日(日)08:45 晴
古民家 三栖神社  古民家
公園
京阪電鉄・中書島駅北口より西へ、115号線を右折して北へ進む。中書島交差点を鋭角に左折して南へ、直ぐに右折する。5分ほどすると、肥後橋の手前左手に三栖神社がある。肥後橋を渡り、すぐに左折して南へ進む。すぐ右手に祠、京阪電鉄の踏切を渡ると右手に祠 / 左手に三十石船が置かれている公園と続く。
三栖閘門 土手の道 新高瀬川に架かる橋

土手を進むと通行止めとなっており、右手下の道を進む。そのまま進むと、行き止まりになる。途中にある坂を登ると、左手に三栖閘門がある。三栖閘門は昭和4年(1929年)伏見港と宇治川を結ぶ施設として造られ、水位を調節して濠川と宇治川に船を通していた。道はU字路となり、新高瀬川に沿って北へ進む。すぐ左手にある鉄製の小さな橋を渡り、左折して124号線を南へ進む。

  宇治川に沿った124号線を進み、8号線を潜る。右手に京阪電鉄が平行すると、1号線と交差する。近くにも信号機のない1号線を横断する。Y字路を右へ進み、京阪電鉄の千両松踏切を渡る。京阪電鉄沿いに進むと、左手に京都競馬場が見えて来る。競馬場への横断歩道橋下の右側に、戊辰役東軍西軍激戦之地碑 / 慰霊碑 がある。
戊辰役東軍西軍激戦之地碑
淀本町商店街 文相寺 天満宮
六差路の納所(のうそ)交差点を左折して、東南へ進む。前方に京阪電鉄の踏切や高架が見え、右折して淀本町商店街を進む。短い商店街を抜けると左折、線路沿いに北東へ進む。納所交差点から伸びる道を右折して、京阪電鉄上り線の踏切と下り線の高架を潜る。道なりに右へ進むと、すぐ左手に文相寺 / 左手に天満宮と続く。
[寄り道]淀城
淀城石垣 与杼神社 稲葉神社
淀本町商店街から直進して線路沿いに南西へ進むと、淀城跡がある。淀城は、元和9年(1623年)松平定綱が桂川と宇治川の合流点の近くに築城。二の丸跡に、応和年間(961年〜964年)創建と云われている与杼神社がある。古くは淀姫社や水垂社とも呼ばれ、明治33年(1900年)淀川改修工事のため水垂町から移転する。慶長12年(1607年)建立の拝殿は重文。左隣に明治18年(1885年)創建の稲葉神社がある。
西岸寺 古民家 園通寺
古民家 宇治川 御幸橋

天満宮から5分ほどすると15号線と交差、すぐ右手に西岸寺がある。突き当たり手前の十字路を右折する。さらに三叉路をほぼ道なりに左折して西へ進むと、左手に園通寺がある。さらに10分ほどすると、京阪電鉄の高架を潜る。すぐに左折して道なりに進む。京滋バイパスの高架を潜る。13号線と交差、左折して宇治川を渡る。さらに木津川を御幸橋(ごこうばし)で渡る。右手には使用されなくなった旧橋が残る。橋の上から前方に見える男山には、貞観元年(859年)創建の岩清水八幡宮がある。

[寄り道石清水八幡宮
エジソン像 エジソン記念碑 走井餅老舗
13号線は突き当たりの交差点で、西に進路が変わる。左斜め方向へ道なりに南へ進む。京阪電鉄の踏切を渡ると、右手に八幡市駅がある。ロータリーの南側にエジソン像、男山の石清水八幡宮三の鳥居近くにエジソン記念碑がある。1879年エジソンはフィラメントに石清水八幡宮境内に生えている竹を使用、炭素白熱電球を発明する。踏切から南へ直進すると、石清水八幡宮一の鳥居手前右手に、走井餅(はしりいもち)老舗がある。明和元年(1764年)東海道・大津追分に創業、走井の名水を用いて餡餅を作ったことに始まる。八幡には明治43年(1910年)創業する。本家は昭和初期に廃業、跡は月心寺になっている。
一の鳥居 頓宮北門

高良神社

石組 南総門

八幡宮本殿

石清水八幡宮は、京都の鬼門(北東)にある延暦寺と対峙して京都の裏鬼門(南西)を守護する神社。古代22社で、宇佐神宮や筥崎宮とともに日本三大八幡宮に数えられるている。八幡宮本殿など16棟が重文になっている。石清水八幡宮は、男山山麓にある下院と山上にある上院がある。一の鳥居から参道を進むと、頓宮殿がある。改修工事中で頓宮北門は閉ざされていた。回り込んで進むと、右手に高良神社がある。二の鳥居から上院へ山道になる。登り切ると三の鳥居がある。左手に昭和26年(1951年)第二室戸台風で倒壊した三の鳥居を用いた石組がある。南総門を潜ると八幡宮本殿があるが、改修工事中であった。往路は八幡市駅の西側にある男山ケーブルを利用、帰路は下っている。

神応寺山門 神応寺本堂 石清水八幡宮五輪塔
岩清水八幡宮一の鳥居前を西へ道なりに進むと、右手に神応寺山門がある。石段を登って行くと貞観年間(859年〜877年)創建と云われる神応寺がある。山門まで戻り、さらに進むとすぐ右手に鎌倉時代造立の石清水八幡宮五輪塔(重文)がある。

岩清水八幡宮二の鳥居手前左手に、やわた放生の景がある。買屋橋から全昌寺橋の200mを、放生川と呼ぶ。石清水八幡宮の神事の放生会(ほうじょうえ)に由来する。今では見ることはできないが、放生川を飛び交う蛍は八幡百景の一つであった。反り橋・安居橋から見る情景が新八幡百景に詠われている。

やわた放生の景

八幡市駅から東へ進む。最初の交差点を右折すると、右手に飛行神社がある。日本で最初に飛行原理を研究した二宮忠八が大正4年(1915年)に創建する。

飛行神社
   
地蔵の祠 地蔵の祠 大きな木 
     
文政5年造立の常夜燈 道標 天明7年造立の常夜燈
京阪電鉄の踏切から、さらに北へ戻る。2本目の道を左折、13号線と京阪電鉄に挟まれた道を西へ進む。5分ほどすると左手に地蔵の祠がある。さらに10分ほどすると右手に地蔵の祠、すぐに一里塚跡かと見間違う大きな木がある。突き当たり左折、すぐに右折する。左手に文政5年(1822年)造立の八幡宮常夜燈がある。5分ほどすると大谷川に架かる橋を渡り、すぐ左手に文政2年(1819年)造立の道標がある。「右八まん宮山道 是より十六町」「左大坂下……」と彫られている。左折すると右手に天明7年(1787年)造立の常夜燈がある。大坂道に戻り南へ進むと、すぐ左手に豊影稲荷神社がある。
豊影稲荷神社
西遊寺 小金川地蔵堂 橋本の町並み
橋本の町並み 橋本湯跡 橋本の町並み

豊影稲荷神社から5分ほどすると突き当たり、右折する。左手に京阪電鉄・橋本駅、駅の反対側に西遊寺がある。道なりに左へ進む折と、雰囲気のある古い町並みが続く。橋本には対岸の山崎と結ぶ渡しの船着場があった。江戸時代には旅籠、明治以降は遊廓があったところである。左手の路地に小金川地蔵堂が見える。井戸から引き揚げられた地蔵で、それからは淀川の氾濫にも被害は無かったことから水嫌地蔵と呼ばれている。町並みを抜けると、すぐに左折して京阪電鉄の小金川踏切を渡る。大坂道はこのあたりで途切れている。

京阪電鉄の小金川踏切を渡り、直進する。5分ほどすると、右手に神亀2年(725年)創建の久修園寺がある。本堂の裏手にあたり、愛染明王堂がある。西国愛染めぐり17番札所になっている。恋愛を助け、遊女を守る神として信仰された。また信仰すると美貌になると云われている。墓地から廻り込むが、本堂のある境内には入れない。
久修園寺愛染明王堂
道を戻り、小金川踏切手前を左折する。農道の様な道を南へ進むと、左手に久修園寺がある。5分ほどすると右手に樟葉台場(砲台)跡がある。元治元年(1864年)幕府は大坂湾から京都に侵入する外国船に備えて、淀川東岸の楠葉と西岸の高浜(島本町)に台場を築いた。慶応4年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いでは、朝廷側の高浜砲台と幕府側の楠葉砲台で砲撃戦になっている。
久修園寺山門 樟葉台場跡
久親恩寺 光明院 地蔵堂

樟葉台場跡を右折すると、京阪電鉄の線路に突き当たる。ここから大坂道が復活、道なりに線路沿いを進む。最初の道を左折すると、左手に久親恩寺がある。線路沿いの道に戻り南へ10分ほど進むと、右手に光明院や地蔵堂がある。さらに5分ほどすると、左手に長福寺がある。

長福寺
長福寺から5分ほどすると、左手に旧京街道道標がある。道は大きく右へ曲り、すぐに京阪電鉄の線路に突き当たる。左折して線路沿いに進むと、18号線と交差する。
[寄り道]交野(かたの)天神社
交野天神社鳥居 交野天神社拝殿 天神社本殿と八幡神社本殿
18号線と交差、左折して南東へ進む。樟葉美咲3丁目交差点を左折して北へ進む。しばらくすると道が大きく左へ、右へと曲がる。突き当たりに枚方市民の森(鏡伝池緑地)があり、Y字路を右へ進む。突き当たりに樟葉中学校があり、左折してすぐに右折する。突き当たりに延暦6年(787年)創建の交野天神社がある。18号線との交差から徒歩30分ほど掛る。天神社本殿と末社八幡神社本殿は、ともに重文。拝殿の右手を進むと貴船神社があり、この付近が樟葉宮跡と云われている。
18号線と交差、直進する。京阪電鉄のガードがあり、左側の歩道を進む。大きくカーブする歩道を南へ進むと、すぐ左手に樟葉駅が見える。15分ほどすると樋之上北交差点があり、左斜めの道を進む。船橋川の土手に突き当たる。橋がないので、右折して川沿いに迂回して13号線の楠葉橋を渡る。すぐに左折して土手を下ると、左手に地蔵の祠と戊辰戦争戦没者供養碑 / 八幡宮道標 がある。
地蔵の祠 / 戊辰戦争戦没者供養碑 八幡宮道標
対岸からの延長線になる道を進む。5分ほどすると道は京阪電鉄の線路沿いになり、10分ほどすると突き当たりを左折して牧野駅前の踏切を渡る。すぐに右折して穂谷川を渡り、川沿いに進むと明治橋がある。
[寄り道]片埜(かたの)神社
片埜神社鳥居 片埜神社拝殿 鬼面

明治橋を渡り、道なりに15分ほど進むと片埜神社がある。平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載されている神社である。慶長7年(1602年)豊臣秀頼により再建された本殿は重文。大坂城の鬼門の方角にあり、現在は方除・厄除の神として信仰されている。鬼は片埜神社の守り神とされている。絵馬や朱印には鬼面が描かれ、節分の豆まきでは「鬼は内」と唱えられている。

常夜燈(左側) 常夜燈(右側) 清傅寺
延命地蔵堂 道標 浄行寺
明治橋まで戻り、穂谷川沿いに南へ進む。防垣内橋の先を右へ坂を下り、5分ほどすると左手に片埜神社への参道、両側に享和元年(1801年)造立の常夜燈がある。左側の台座には「京都」、右側の台座には「大坂」と彫られている。5分ほどすると京阪電鉄の前川踏切、さらに5分ほどすると右手に清傅寺がある。すぐに13号線の三栗交差点と交差、直進する。道は左にカーブして三栗南交差点で13号線に合流する。渚西交差点で京阪電鉄の線路沿いになり、御殿山駅の脇を通る。磯島交差点から左斜めの道を進み、5分ほどすると右手に延命地蔵堂がある。手前右手に数多くの石仏が並んでいる。天野川の土手に突き当たり、右折して13号線の鵲(かささぎ)橋を渡る。橋を渡ると道標があり、左折して坂を下る。左手に枚方宿東見付案内看板があり、右折する。天野川で途切れた大坂道を南へ進む。左手に浄行寺がある。5分ほどすると十字路があり、左折するとすぐに枚方市駅に至る。