京街道4次 追分駅-(約12km)-中書島駅
2010年 9月 4日(土)09:50 晴
大日如来の祠 沸立寺 常夜燈
京阪電鉄京津線・追分駅から地下道で1号線を潜り、東へ進む。名神高速道路を潜る手前を、鋭角に右折する。旧東海道は歩道橋脇の交番からY字路を右に進む。すぐ左手に大日如来の祠 / 右手に沸立寺 と続く。沸立寺の塀が切れたところの柵に常夜燈がある。
道標(正面)
山科追分(2010年7月) 道標(左側面)
沸立寺から10分ほどの山科追分まで、道の北側が大津市 / 南側が京都府 の県境になっている。大津市と京都府のマンホールが並ぶ。山科追分の道標には「ひだりハふしミみち みぎハ京のみち」と彫られている。山科追分から右に進むのが旧東海道、京街道は左に進む。伏見〜淀〜枚方〜守口と経由して大坂・高麗橋へ至る。大名が京都に入るのを幕府が好まなかったので、参勤交代のときに利用された。道標の左側に2010年7月には存在した、明和3年(1766年)造立の「蓮如上人 是より十町」道標が2013年4月には根元しか残っていなかった。江戸時代にはここに高札場があった。
 地蔵の祠 地蔵の祠 地蔵の祠
山科追分から、左へ35号線を進む。すぐ左手に地蔵の祠 / 左手に地蔵の祠 / 右手に地蔵の祠と続く。さらに右手の民家の庭先に、常夜燈や道標がある。道標の正面には「右大徳寺」 / 左側面に「左船岡山」と彫られている。どこからか移設したもので、京街道の史跡ではない。すぐ左手に地蔵の祠がある。
民家の庭先 地蔵の祠
地蔵の祠 道標 皇塚
愛宕山常夜燈 宝迎寺 古民家

名神高速道路を潜り、交差点を直進する。道なりに進むと1号線と斜めに交差、横断地下道がある。左手に地蔵の祠があり、すぐに山科川に架かる音羽橋を渡る。再度1号線と山科大塚交差点で交差、横断地下道がある。東海道新幹線高架の手前左手に道標がある。正面に「ひだりおおつみち」 / 裏面に「みぎうじみち」と彫られている。東海道新幹線高架を潜ると、右手に皇塚がある。六世紀前半頃と云われている古墳跡で、直径約20mの円墳だったが形は残っていない。10分ほどすると、右手に愛宕山常夜燈がある。山城国と丹波国の境にある愛宕神社は、古くから火伏せに霊験のあるとされている。すぐ右手に宝迎寺がある。近松門左衛門の芝居「大経師昔暦」の「おさん茂兵衛」の五輪塔がある。

大円寺 岩屋神社鳥居 古民家
大きな木 岩屋神社御旅所 愛宕山常夜燈
大宅一里塚地蔵の祠
大宅一里塚 地蔵の祠

宝迎寺から15分ほどすると、左手に大円寺 / 左手に仁徳天皇31年(343年)創建と云われる岩屋神社の鳥居と続く。5分ほどすると右手に大きな木があり、奥に岩屋神社御旅所の石碑がある。御旅所とは、祭礼の時神輿がしばらく留まるところである。すぐ左手に愛宕山常夜燈 / 右手に大宅(おおやけ)一里塚と続く。一里塚には地蔵の祠がある。名神高速道路を潜る手前左手に地蔵の祠がある。

古民家 愛宕山常夜燈 随心院
小野小町歌碑 石仏群 西方寺

名神高速道路を潜り、醍醐狭間交差点を右へ進む。右へ進むのが山科追分から続く35号線で、直進すると36号線になる。道なりに進むと、5分ほどの右手に愛宕常夜燈がある。さらに5分ほどすると小野御霊町交差点、すぐ左手に正歴2年(911年)創建の随心院がある。真言宗善通寺派大本山で、本堂は慶長4年(1599年)に再建されたもの。小野の地名は、古代に小野一族が栄えたところに由来する。仁明天皇の更衣だった小野小町は、宮中を退いた後にこの地で過ごしたとされる。随心院の境内には、深草少将の手紙を埋めたとされる文塚がある。随心院から5分ほどすると左手に石仏群が背を向けて置かれている。すぐ右手に西方寺がある。

醍醐寺山門 地蔵の祠 火坊稲荷社石柱

36号線と斜めに交差する。5分ほどすると左手に醍醐寺の山門がある。醍醐寺は、醍醐山上の上醍醐と山下の下醍醐に分かれている。天歴5年(951年)建立の五重塔は国宝。山門から長い塀が続き、途中に地蔵の祠がある。5分ほどすると右手に火坊稲荷社石柱がある。

古民家 善願寺腹帯地蔵堂 石柱

火坊稲荷社石柱から5分ほどすると、右手に善願寺がある。腹帯地蔵堂は、平重衡誕生の時に安産祈願のため建立される。5分ほどすると左手に、乳薬師日野法界寺の石柱と親鸞聖人日野誕生院の石柱が並んでいる。法界寺は永承6年(1051年)親鸞の先祖日野資業が邸内に薬師如来を祀る堂が建立されたのが始り。阿弥陀堂と阿弥陀如来は国宝、本堂は重文。日野誕生院は、親鸞誕生地跡に昭和6年(1931年)創建された。境内には親鸞の父日野有範を始め歴代の墓がある。

地蔵の祠 地蔵の祠 長坂地蔵道標
地蔵の祠 道標 地蔵の祠
聖財寺 地蔵の祠 道標
地蔵の祠 大善寺本堂 大善寺地蔵堂

36号線と合流、5分ほどすると左手に地蔵の祠がある。10分ほどすると7号線と交差する。JR奈良線を潜ると、右手に地蔵の祠 / 長坂地蔵道標 / 地蔵の祠と続く。長坂地蔵道標は、正面に地蔵と「長坂地蔵」 / 左側面に「左長坂地蔵 すく伏見舟乗場ミち」 / 右側面に「右長坂地蔵 すく大津ミち」と彫られている。5分ほどすると山科川に突き当り、階段で土手を登り、小さな橋を渡る。渡って土手を階段で下ると、右手に道標がある。山科川に向かって、矢印と「だいご一言寺是より十七丁」 / その左側面に「左 おぐりす道」と彫られている。すぐ左手に地蔵の祠 / 左手に聖財寺 / 右手に地蔵の祠 / 六地蔵交差点と続く。六地蔵交差点を渡ると右手に道標がある。正面に「みき京ミち」 / 左側面に「ひたり おうはく うち道」 / 右側面に「ひだり ふしミみち」と彫られている。「おうはく」は黄檗、「うち」は宇治である。この一角が慶雲2年(705)創建と云われている大善寺で、六地蔵の名で知られている。平安時代初期造立の地蔵菩薩立像は重文。当初は六体の地蔵があったが、保元年間(1156年〜1159年)平清盛が都に通じる主要街道の入口に残り五体を置いた。南側の道に面した所に、地蔵の祠がある。

地蔵の祠 地蔵の祠 地蔵の祠
龍源寺 月橋院 地蔵の祠
呉竹地蔵堂 願船寺 地蔵の祠
酒蔵 松林院 月桂冠大倉記念館

大善寺から5分ほどすると、右手に地蔵の祠 / 左手に地蔵の祠と続く。桃山南口交差点で7号線に合流する。左手に地蔵の祠 / 5分ほどすると右手に龍源寺 / 5分ほどすると右手に月橋院と続く。観月橋北詰交差点を過ぎると、7号線から右へ分岐する。突き当りを右へ道なりに進むと、左手に地蔵の祠がある。すぐに近鉄京都線高架を潜る。突き当りを右へ道なりに進むと、左手に呉竹地蔵堂 / 右手に願船寺と続く。京阪電鉄本線を渡り、突き当たりを右折して北へ進む。右手に地蔵の祠 / 左手に酒蔵 / 右手に松林院と続く。道なりに進むと左手に月桂冠大倉記念館がある。

寺田屋 供養塔 / 子安観音 不動明王 / 童子

月桂冠大倉記念館の先の十字路を左折。道は直ぐ北へ進路が変わり、直ぐに左折する。右手に寺田屋が見えて来る。文久2年(1862年)薩摩藩尊皇派等の鎮撫事件や、慶応2年(1866年)伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件で知られている。道なりに西へ進むと、右手に供養塔 / 子安観音や不動明王 / 童子がある。奥の民家風な建物が妙音寺らしい。115号線を左折、南へ進むと左手に京阪電鉄中書島駅に至る。

[寄り道]長建寺
酒蔵 長建寺 船着き場
寺田屋手前の十字路を左折して南へ、蓬莱橋を渡る。左折して川沿いに東へ進む。南へ方向を変えると、対岸には酒蔵が立ち並ぶ。右手に八臂(はつぴ)弁財天で知られている長建寺がある。川への階段を降りると、船着き場がある。
[寄り道]伏見城
観月橋北詰交差点を右折して、24号線を北へ進む。御香宮交差点を右折、大手筋通りを東へ進む。JR奈良線の踏切を渡り、最初の交差点を左折して道なりに進む。15分ほどすると、突き当たりに伏見桃山城運動公園がある。模擬大天守や小天守は、昭和39年(1964年)遊園地・伏見桃山城キャッスルランドの施設として伏見城花畑跡に建てられた。史実との関係はない。
模擬大手門 模擬大天守