所沢道(ところざわみち)
所沢道は、青梅街道・中野村追分(東京都中野区中野鍋屋横付近)と所沢(埼玉県所沢市)を結んでいた古道。青梅街道(4号線)の東京都中野区本町の鍋屋横丁付近から分岐、杉並区~練馬区~西東京市~新座市~東久留米市~新座市~清瀬市~所沢市に至る。江戸時代に編纂された「新編武蔵風土記稿」に記載があり、所沢からは秩父往還に接続していたと云われている。
青梅街道(4号線)の鍋屋横丁交差点から西へ進む。すぐの分岐が中野追分で、北西へ進む。すぐ左手の公園に、追分の案内板がある。追分案内板には、石神井道(しゃくじいみち)として解説されている。
公園 追分案内板
公園から5分足らずで、中野通り(420号線)に合流する。さらに5分ほどすると、暗渠となった桃園川に架かる桃園橋を越える。すぐの中野五差路交差点から北西へ進む。
暗渠となった桃園川 中野五差路交差点から北西への道
中野五差路交差点から5分ほどするとJR中央本線に突き当り、所沢道は途切れる。右折して線路沿いに進み迂回する。中野通りに突き当り、左折してJR中央本線のガードを潜る。すぐに左折してJR中央本線沿いに西へ進む。この辺りは元禄8年(1695年)~宝永6年(1709年)の15年間、犬屋敷が置かれたところ。徳川5代将軍・徳川綱吉は生類憐(しょうるいあわれみ)の令によって殺生を禁じ、犬の保護を行った。中野区役所辺りを中心にJR中央本線を挟んだ約30万坪にも及んでいた。5分ほどのT字路を右折して北へ進む。帝京平成大学中野キャンバスの西側に、斜めに北西へ進む道がある。ここから所沢道が復活する。5分ほどすると、大和陸橋交差点の南側に出る。右折して大和陸橋交差点を左折、早稲田通り(25号線)を西へ進む。
早稲田通り標識 早稲田通り町並み 大鷲神社
早稲田通り(25号線)を30分ほど進んだところにある下井草1丁目南交差点を過ぎると、すぐ右手に大正10年(1921年)創建の大鷲神社がある。
銀杏稲荷公園 庚申塔
大鷲神社から5分足らずの本天沼2交差点を右折して、旧早稲田通りを北へ進む。5分ほどすると、右手の突き当りに社 / すぐ右手に銀杏稲荷公園 と続く。5分ほどすると、左手に庚申塔がある。すぐの交差点を左折、すぐに右折する交差点の右手に三峯神社がある。
旧早稲田通り標識 三峯神社
西武新宿線踏切
井草観音堂 弘法大師碑 / 祠
三峯神社からすぐの西武新宿線・下井草駅西側の踏切を渡ると、すぐ左手に江戸時代初期創建の井草観音堂がある。5分ほどの十字路の西側に弘法大師碑 / 祠 がある。祠には、馬頭観音 / 地蔵2基 / 馬頭観音 がある。何故か扇風機が置かれている。
祠からすぐの八成(はちなり)橋交差点で、新青梅街道を斜めに横断する。八成橋は千川上水に架かっていた所沢道の橋で、現在は暗渠になっている。5分ほどすると千川通りと斜めに交差、すぐに環8通りと斜めに交差する。5分ほどすると、左手の下石神井坂下公園に「所澤道」石標 / 所沢道案内板 がある。
所澤道石標 所沢道案内板
禅定院山門 禅定院本堂 宝篋印塔 / 鐘楼
所澤道石標から5分ほどの石神井川を豊島橋で越える。すぐにT字路の豊島橋交差点に突き当り、左折して西へ進む。すぐ右手に室町時代前期創建と云われる禅定院の山門がある。文政年間(1818年~1830年)に焼失、山門は天保7年(1836年) / 本堂は昭和53年(1978年) に再建されたもの。寛文13年(1673年)造立の織部灯籠は、キリシタン灯籠と云われている。御府内八十八ヶ所70番札所 / 豊島八十八ヶ所70番札所 になっている。明治7年(1874年)石神井小学校の前身である豊島小学校が開校したところ。
織部灯籠
禅定院から5分ほどの交差点南西側に、甘藍(きゃべつ)の碑 / 案内板 がある。練馬の特産物は大根で知られているが、練馬大根が盛んに栽培されていたのは明治時代後期から大正時代のこと。現在は東京都全体の出荷量の5割が練馬区産のキャベツが占めている。
甘藍の碑
道場寺山門 道場寺本堂 道場寺三重塔
甘藍の碑からすぐの右手に、応安5年(1372年)石神井城主・豊島輝時によって創建された道場寺がある。墓地には、文明9年(1477年)太田道灌に滅ぼされた石神井城城主・豊島泰経と一族の墓と云われる石塔3基がある。永禄5年(1562年)に発給された北条氏康印判状が所蔵されている。本堂は唐招提寺の金堂を模して昭和12年(1937年)に改築された。昭和45年(1970年)~昭和50年(1975年)山門 / 鐘楼 / 三重塔 が建立される。武蔵野三十三観音2番札所になっている。
 鐘楼と梅
所沢道を西へ進むと、道場寺塀の北西角に地蔵がある。
地蔵
三宝寺山門 三宝寺長屋門
三宝寺本道 三宝寺大黒堂 三宝寺観音堂
三宝寺根本大塔 三宝寺鐘楼 三宝寺平和観音
地蔵からすぐの右手に、応永元年(1394年)創建の三宝(さんぽう)寺がある。石神井不動とも呼ばれている。石神井公園にある三宝寺池の由来になっている。徳川3代将軍・徳川家光の鷹狩の際に休憩場として使われ、山門はこれに因み御成門と呼ばれていた。現在の山門は文政10年(1827年)築のもの。長屋門は勝海舟邸にあったもので、昭和35年(1960年)に移築された。延宝3年(1675年)銘の梵鐘などがある。関東三十六不動11番札所 / 御府内八十八ヶ所16番札所 / 豊島八十八ヶ所16番札所 / 武蔵野三十三観音3番札所 になっている。
三宝寺から坂道を進むと、すぐに氷川神社参道と交差する。応永年間(1394年~1428年)豊島氏によって創建された。境内には享保12年(1727年)銘の水盤 / 元禄12年(1699年)造立の石灯籠 などがある。社殿は平成4年(1992年)に改築されたもの。
氷川神社参道 氷川神社拝殿
水神社
厳島神社 石神井城址碑
三宝寺 / 氷川神社 の北側に、石神井公園の三宝寺池がある。井の頭池や善福寺池とともに、武蔵野三大湧水地として知られている。三宝寺池南西側に厳島神社と水神社 / 南東側に石神井城址碑 がある。石神井城は鎌倉時代後期豊島(としま)氏によって、三宝寺池の南側台地に築城された。氷川神社の辺りが二の丸と云われている。秩父氏から分かれた豊島氏は、西ヶ原・平塚城 / 練馬城 / 石神井城 を拠点とした豪族。文明9年(1477年)妙正寺川と石神井川の合流するところで、太田道灌と戦い敗れる。豊島泰経は石神井城に籠城するが、攻められ落城する。豊島泰経の娘・照姫は悲観のあまり、三宝寺池に身を投じたと云われている。落城後に廃城となり、僅かに土塁が残る。。
所沢道を進むと、すぐ左手に昭和17年(1942年)創建の釈迦本寺がある。すぐに分岐があり、微妙な位置に「旧早稲田通り」標識がある。道幅の狭い右へ進む。
釈迦本寺 旧早稲田通り標識
所澤道石標
光明真言供養塔 / 庚申塔 / 六十六部廻国供養塔 / 石灯籠 所沢道案内板
「旧早稲田通り」標識から5分ほどの庚申塚交差点を越えると、右手に祠がある。光明真言供養塔 / 庚申塔 / 六十六部廻国供養塔 / 石灯籠 が並んでいる。すぐ左手の公園に、「所澤道」石標 / 所沢道案内板 がある。所沢道案内板は、八成橋を中心として記されている。
地蔵 所澤道石標 所沢道案内板
所澤道石標から5分ほどすると富士街道(8号線)と交差、左折する。直進する道があり、間違い易い。すぐの交差点から右斜め方向、北西へ進む。ここは富士街道で枡形の様になっている。すぐ左手に地蔵がある。すぐの富士街道北交差点を越える。5分足らずの右手に大泉第二小学校があり、金網越しに「所澤道」石標 / 所沢道案内板 がある。
大泉第二小学校から10分足らずで、233号線と交差する。すぐに西武池袋線・保谷駅に突き当り、所沢道は途切れる。
西武池袋線・保谷駅
233号線の交差点まで戻り、東へ進む。すぐの大泉第六小入口交差点を左折して北へ進む。西武池袋線の踏切を渡り、すぐに左折する。すぐに北西への道が所沢道(25号線)となる。保谷駅から北に延びる道と斜めに交差、すぐに左折して25号線を西へ進む。15分足らずの右手に不明の石塔がある。
不明の石塔
不明の石塔から5分ほどすると、栄小学校前交差点を越える。すぐの交差点を右折して北へ進む。10分足らずのひばりが丘駅入口交差点を越え、5分足らずの交差点から左へ進むこの辺りから解りづらくなる。すぐの交差点を越えると、すぐ左手に不明の石塔 / 地蔵 がある。道なりに左へ進み、すぐに左折して黒目川に架かる神宝大橋を渡る。
不明の石塔 / 地蔵 黒目川
庚申塔 地蔵 氷川神社
黒目川に架かる神宝大橋を渡ると、すぐ右手に庚申塔がある。すぐのY字路を左へ道なりに進むと、すぐ右手に元禄8年(1695年)造立の地蔵 / 左手に氷川神社 と続く。
馬頭観音 地蔵 日本廻国供養塔
氷川神社から5分ほどの交差点を越え、すぐに左折して道なりに進む。5分ほどの交差点を右折して北へ進む。交差点の北西側にコンビニがある。すぐに左折して道なりに進み、左手の東久留米金山緑地に沿った坂道を進む。東久留米金山緑地の北西端から5分ほどすると、新堀交差点を越える。新堀交差点南側を流れる野火止用水(のびどめようすい)は暗渠となっている。野火止用水は、承応4年(1655年)に完成した東京都立川市の玉川上水(小平監視所)から埼玉県新座市を経由して新河岸川(志木市)に至る用水路。さらに5分ほどの十字路を左折して西へ進む。十字路北西側のブロックに囲まれたところに、馬頭観音 / 地蔵 / 日本廻国供養塔 / 不明の石塔 がある。
不明の石塔
石仏石塔群からすぐに右折、5分ほどすると40号線と斜めに交差する。さらにすぐの交差点を右折する。すぐに西武池袋線・清瀬駅前から北へ伸びる道との交差点を越える。すぐ右手の駅前稲荷児童公園に、門扉が施錠された稲荷神社がある。
稲荷神社
柳瀬川 村道改修記念碑 和田子育地蔵
造立年不明の地蔵 安永10年造立の地蔵 享保元年造立の地蔵
駅前稲荷児童公園からすぐの突き当りを左折、すぐの交差点を右折して小金井街道を北西へ進む。すぐの郵便局前交差点で志木街道と交差する。15分ほどすると、柳瀬川に架かる清瀬橋を渡り埼玉県所沢市に入る。5分ほどの柳瀬川交差点の南側に村道改修記念碑 / すぐ左手に和田子育地蔵 と続く。造立年不明の地蔵 / 安永10年(1781年)造立の地蔵 / 享保元年(1716年)造立の地蔵 が並んでいる。享保元年(1716年)造立の地蔵は、かつて50m程南側の川の淵にあった。大水の際に崖崩れで埋まってしまい、掘り出して近くの共同墓地に移した。昭和38年(1963年)に現在地に移転した。
和田子育地蔵から5分ほどするとJR武蔵野線高架下を潜り、さらに5分ほどすると愛宕山交差点で埼玉県道所沢青梅線と合流する。愛宕山交差点東側の三角地に、道標を兼ねた天明2年(1782年)造立の庚申塔がある。左側面に「左ハ大和田みち」 / 右側面に「右ハ江戸みち」 と彫られている。
庚申塔
御嶽講碑 富士講碑 倶利伽羅不動
神号碑(稲荷神社・弁財天) 神号石(弁財天) 神号石(宣法霊神)
愛宕山交差点から西へ進む。5分ほどの右手に、大正2年(1913年)造立の御嶽講碑 / 大正12年(1923年)造立の富士講碑 / 明治10年(1879年)造立の倶利伽羅不動 / 明治38年(1905年)造立の神号碑(稲荷神社・弁財天) / 昭和2年(1927年)造立の神号石(弁財天) / 昭和2年(1927年)造立の神号石(宣法霊神) がある。すぐの上安松東交差点から北西方向の小路へ、すぐ左手に霊源寺がある。境内裏になる。
霊源寺
霊源寺からすぐのY字路を右へ進む。すぐの変則十字路を直進、すぐの変則十字路を道なりに左へ進む。5分ほどの交差点を直進、すぐの突き当りを右折してすぐに左折する。すぐ左手に南山公園がある。
茶畑 南山公園
南山公園から10分たらずの左手に、昭和58年(1983年)創建の昌平寺がある。境内裏になる。すぐに西武新宿線の踏切を越える。
昌平寺 西武新宿線踏切
濱川神社
庚申堂 石仏石塔群
西武新宿線の踏切を越えると、すぐ左手の薄暗い木立ちに天和元年(1698年)創建の濱川神社 / 寛文2年(1662年)造立の庚申堂がある。境内入口右手に、根岸の交差点や下新井から移された,、宝永7年(1710年)造立の庚申塔 / 寛文3年(1663年)造立の庚申塔 / 元禄11年(1698年)造立の庚申塔 / 元文5年(1740年)造立の六十六部供養塔が並んでいる。
川端霊園 六地蔵 地蔵碑
大正11年造立の地蔵 昭和2年造立地蔵 石仏群
濱川神社 / 庚申堂 の所沢道を挟んだ反対側に、川端霊園がある。昭和2年(1927年)造立の六地蔵 / 昭和25年(1950年)造立の地蔵碑 / 大正11年(1922年)造立の地蔵 / 昭和2年(1927年)造立の地蔵 / 石仏群 がある。
すぐに小金井街道(6号線)と合流、すぐにファルマン通り交差点に至る。
ファルマン交差点を左折して、337号線を南へ進む。すぐの所沢駅西口入口交差点を左折すると西武池袋線 / 新宿線・所沢駅に至る。