甲州街道 No.11 韮崎駅…本町交差点-(約14km)-牧原交差点…日野春駅
2014年 5月23日(金)08:25 晴
JR中央本線・韮崎駅から線路沿いに北西へ進む。すぐに左折してJR中央本線のガードを潜り、27号線を南へ進む。
雲岸寺山門 雲岸寺本堂

窟観音堂

窟観音堂弘法大師 窟観音堂千体地蔵
本町交差点から旧甲州街道を北西へ進む。すぐ右手に雲岸寺 / 本堂右手の岩崖絶壁に窟観音堂 がある。天長5年(828年)空海が観音石仏を洞窟に安置したのが始まりで、住民が観音のために堂を建立したと云われている。室町時代の建築様式で、岩壁に張り出した舞台作り。観音堂には、聖観音 / 弘法大師 / 千体地蔵 などがある。ところどころにある岩窟にも、数多くの石仏がある。甲州八十八カ所52番札所 / 塩川筋番外34番札所となっている。
旧甲州街道を北西へ進むと、すぐ左手の文化村公園は小林一三(いちぞう)翁生家跡である。小林一三は韮崎の豪商でかつ大地主で、阪急グループの創始者として知られている。すぐ右手に白髪神社 / 境内に「暮おしむ 枝から明ける 桜かな」志雪句碑がある。
小林一三翁生家跡 白髪神社
白髪神社から5分ほどの分岐を左へ進む。分岐からすぐ右手に行人塚がある。5分ほどの青坂バス停を過ぎると、すぐ右手に“十六石”石柱 / 案内板 がある。武田信玄は天文12年(1543年)〜天文13年(1544年)頃に、釜無川の水害から河原部村を守るために一ツ谷の治水工事を行った。堤防の根固めに並べ据え置いた巨大な石が十六石。
行人塚 十六石石柱
十六石石柱から5分ほどの一ツ谷公民館前交差点を過ぎると、右手に秋葉常夜燈 / 祠 がある。5分ほどの祖母石住宅バス停を過ぎ、分岐を右へ進む。三角地帯に水難供養塔がある。
秋葉常夜燈 / 祠 水難供養塔
 
町並み 茅葺の武家門 神明宮
20号線の分岐から15分ほどすると、左手に神明宮 / 境内に観音堂 がある。5分足らずの右手に題目塔「南無阿弥陀仏」がある。
観音堂 題目塔
[寄り道]新府城
東に見える七里岩に新府城跡がある。JR中央本線・新府駅から南西へ道なりに進む。藤武神社の鳥居から西へ進むと、新府城跡 / 本丸跡に藤武神社 がある。天正3年(1575年)長篠の戦いで、武田軍は敗北する。織田信長の甲斐侵攻に備えて天正10年(1582年)に築城され、躑躅ヶ崎館から移転する。武田勝頼は2ヶ月余りで自ら城を焼いて退去する。天目山に追い詰められ自刃、武田氏は滅亡する。土塁と掘が残る。新府駅から新府城本丸跡まで徒歩20分ほど。
本丸跡
神号碑群 七里岩
題目塔から5分ほどすると、左手に、神号碑「蚕神 / 石尊神 / 道祖神 / 九頭竜大神 / 和氣大神」がある。旧甲州街道の東側は、窟屋観音辺りから七里岩と呼ばれる険しい丘陵が延々と続く。すぐに20号線と合流する。旧甲州街道はこの辺りから西へ進み、釜無川を越えていた。20号線の側道を進み、すぐにガードレールの切れ目からUターンして20号線を南東に進む。5分足らずの桐沢橋東詰交差点を右折して西へ、釜無川に架かる桐沢橋を渡る。
釜無川
桐沢橋からすぐの突き当りを右へ進むと、すぐ左手に清哲町案内地図がある。道なりに進むと、桐沢橋から5分ほどのところで道路下を潜る。この手前辺りに旧甲州街道が通じていた。5分足らずの突き当りを右へ、道なりに進む。すぐのT字路を右折して北へ進む。すぐに高川南沢川を小桐橋の歩道橋で渡る。すぐの交差点手前を左へ進むと、すぐ左手に双体道祖神がある。
双体道祖神
雨宮寺 徳島堰 八幡神社

双体道祖神からすぐのY字路を左へ進む。次のY字路を右に進むと、すぐ左手に文禄元年(1593年)武田家臣・雨宮勘兵衛によって創建された雨宮寺がある。徳島堰(とくしませぎ)に沿って進むと、すぐ左手に八幡神社がある。釜無川からの用水路を開削した徳島堰は、日本三大堰(柳川堰 / 箱根堰)と云われている。江戸深川の商人・徳島兵左衛門はこの地の荒野に憂い、寛文5年(1665年)〜寛文7年(1667年)に上円井(韮崎市円野町)から曲輪田の大輪沢(櫛形町)まで約17kmの堰を造った。

この辺りから、右手の七里岩の先に茅ヶ岳(かやがたけ)が望める情報があったが、どの山なのか解らなかった。山の姿が八ヶ岳に似ているため、古くから“にせ八つ”と呼ばれている。日本百名山の著者・深田久弥が登山中に脳出血で亡くなった山として知られる。
行き止まりになる旧甲州街道 途切れている旧甲州街道と合流 宝蔵寺

八幡神社からすぐの分岐は、徳島堰沿いに直進する。すぐに旧甲州街道は草道を進むが、途中で途切れている。草道手前を右折して迂回する。T字路を左折して唐沢川を唐沢橋で渡ると、すぐに途中で途切れている旧甲州街道と合流する。すぐ左手に文和3年(1354年)創建の宝蔵寺がある。境内は工事中であった。

地蔵 / 地蔵 / 祠 徳島堰

宝蔵寺からすぐの分岐は左へ進む。5分ほどすると、左手の入戸野バス停横に地蔵 / 地蔵 / 祠 が並んでいる。道なりに徳島堰沿いに進むと、入戸野バス停から5分ほどの左手に祠がある。

徳島堰 戸沢川
祠からすぐの分岐は、徳島堰沿いに直進する。すぐの分岐を左へ進むと土道に変わり、すぐのY字路を右に進む。すぐに右折して、水路が塩ビ管になっている水の少ない戸沢川を徒歩で越える。
石垣のある坂 秋葉山常夜燈 なまこ壁の長屋門
戸沢川を越え、突き当たる舗装路を左折する。すぐに石垣のある坂を登り、道なりに進む。5分足らずの桝形の右手に、寛政9年(1797年)造立の秋葉山常夜燈 / なまこ壁の長屋門 がある。すぐのT字路突き当りに祠がある。祠の左手にある民家に続く道が旧甲州街道であるが、すぐに途絶えている。
T字路を右折して坂を下る。すぐに12号線に合流する手前、下円井地区多目的集会施設のところを左折する。左手に資源物リサイクルセンターがある。すぐの徳島堰に架かる小橋の先にある草道は、祠のあるT字路から続いていた旧甲州街道。この草道もすぐに途絶えている。すぐの横切る沢を徳島堰は下に潜り込み、沢を超えたところで再び姿を現す。これをサイホンと言う。
徳島堰サイホン
かかしの里モニュメント 背後はつぶら野会館 徳島堰サイホン橋
祠 / 石仏石塔群 祠 / 双体道祖神
徳島堰のサイホンから5分ほどの右手の公園に、かかしの里モニュメント / かかしの里案内板 / 水土里ネット「円野町」案内板 / ベンチ がある。すぐ左手のつぶら野会館前に徳島堰由来案内板 / おまわりさん と続く。すぐのサイホン橋を過ぎると、桜並木になる。すぐに20号線を円野横断地下道で横断する。すぐ右手に祠 / 石仏群があり、すぐの変速十字路を左折する。徳島堰を横断、雨宮寺から続いた徳島堰と別れる。すぐの右手の上円井中バス停に、祠 / 双体道祖神がある。
妙浄寺への路地 「徳島翁のおはかみち」道標 妙浄寺
双体道祖神からすぐの左手に、なまこ壁の蔵 / 「徳島翁のおはかみち」道標がある。左折して路地を進むと、万治年間(1658年〜1660年)創建の妙浄寺 / 境内に徳島兵左衛門夫妻の墓 がある。
徳島兵左衛門夫妻の墓
「徳島翁のおはかみち」道標のある旧甲州街道に戻り、北西へ進む。10分ほどの上円井交差点で20号線と合流する。すぐに円野上バス停があり、左側の道が20号線の敷設で残された旧道の痕跡。画像は北側から見たもの。すぐ左手の児童公園に、神号碑「鹿嶋大神」 / 石仏石塔群 がある。
長屋門 左:20号線 / 右:旧道の痕跡
神号碑 石仏石塔群
稲荷神社 題目塔 小武川
児童公園から20号線を北に進むと、すぐ左手に稲荷神社がある。右手の道路下に安政7年(1860年)造立の題目塔「南無阿弥陀佛」が見える。すぐに小武川に架かる小武川橋を渡る。
馬頭観音 武川一里塚跡 庚申塔
小武川橋を渡り、すぐに右折する。旧甲州街道は、円野上バス停のところの旧道の痕跡からこの辺りに繋がっていた。道なりに進むと、小武川橋から10分ほどの左手に馬頭観音が4基並んでいる。すぐ右手に武川一里塚跡があり、すぐに20号線に合流する。5分足らずの武川村米の郷がある分岐を右に進む。すぐ右手に文政5年(1822年)造立の庚申塔がある。
庚申塔から5分ほどすると、右手に長坂勘三郎先生之碑と常夜燈がある。長坂勘三郎は武川小学校の初代校長、旧武川村森林組合の初代組合長を務めた。5分ほどの武川町牧原歩道橋のところで20号線に合流する。すぐの分岐を右に進む。すぐの十字路で、612号線と交差する。旧甲州街道は、直進して北西へ進む。
町並み
武川町牧原歩道橋から20号線を越え、南へ進む。すぐ右手に万霊塔 / 不明の石塔 / 馬頭観音 が並び、すぐ右手に牧原(まぎのはら)八幡神社 と続く。
石仏石塔群 八幡神社
文武天皇4年(700年)に御牧(官営牧場)の制度が設けられる。甲斐国では、穂坂牧(韮崎市穂坂町) / 柏前牧(北杜市高根町) / 真衣野牧(武川村一帯)が定められた。真衣野牧は、牧原の名前の原型となったと云われている。

韮崎の窟屋観音辺りから延々と続く続く七里岩と呼ばれる険しい丘陵に、JR中央本線・日野春駅がある。旧甲州街道が612号線と交差する十字路から、612号線を北東へ進む。釜無川橋を渡り、道なりに坂を登る。すぐに分岐があり、鋭角の左へ進む。短いトンネルを潜り、道なりに坂を登る。平坦になると、左手に「生態園・長坂駅 9.8km 日野春駅 0.2km」道標があり右折する。坂道を登ると、正面にJR中央本線・日野春駅がある。旧甲州街道が612号線と交差する十字路から30分ほどである。