甲州街道 No.07 鳥沢駅-(約20km)-笹子駅
2014年 5月 4日(日)06:45 晴
町並み 福地権現神社 神号碑
JR中央本線・鳥沢駅から北へ、すぐの交差点を左折して旧甲州街道を西へ進む。この辺りから上鳥沢宿となる。上鳥沢宿には、本陣:1 / 脇本陣:2 / 旅籠:13軒 があった。すぐの鳥沢郵便局前交差点を超え、すぐに左折して小路を進む。突き当りに福地権現神社がある。右手から、福地権現神社 / 大木明神社 / 蚕影明神社・恵比須大黒明神社 / 神号碑「大木大明神」 と並んでいる。
町並み 本陣跡 町並み
20号線へ下る小路 宮谷橋
旧甲州街道に戻り、西へ進む。すぐ右手の明治天皇御小休所碑のあるところが本陣跡。すぐに分岐があり、旧甲州街道は右へ進む。10分足らずで20号線に合流する。10分足らずのところに分岐があり、旧甲州街道は右へ進む。すぐのY字路を左へ進む。5分足らずの左手の民家横の小路を下ると、すぐに宮谷橋手前で20号線に合流する。
フェンス ゴミが散乱している道 仮設の橋
旧甲州街道は宮谷橋左手を下り桂川沿いに進み、20号線の宮谷交差点に至ると云う。宮谷橋左手の坂を下るとすぐにフェンスがあり、フェンスの左側を進む。川に下れそうなところはなく、フェンスの始まるところまで引き返す。U字溝で歩きづらい道は、20号線から捨てられたゴミが散乱している。鉄パイプで組まれた橋があり期待するが、5分足らずで宮谷橋西側の斜面で行き止まりとなる。
宮谷橋まで戻り、20号線を西へ進む。宮谷橋を渡り終えると、左手に下る道がある。下り切ると、右手に地蔵がある。左手から合流する道を進むが、川沿いからの旧甲州街道は解らない。地蔵から直進して坂を登ると、20号線に合流する。
分岐 地蔵
宮谷橋を渡り終えてから10分ほどすると、右手に稲荷神社がある。
町並み 稲荷神社
町並み 山王宮 稲荷神社
刎木 猿橋
すぐに分岐があり、旧甲州街道は右へ進む。すぐに猿橋案内板があり、旧甲州街道は丁字路を左折する。すぐに桂川に架かる猿橋がある。長さ30.9m / 幅3.3mの木橋 で、水面からの高さは31mもある。橋脚が立てられないため、両岸から張り出した四層の刎木(はねき)によって支えられている。斜めに出た刎木や横の柱の上に屋根を付け、雨による腐食を防いでいる。岩国・錦帯橋 / 日光・神橋とともに日本三奇橋として知られている。奈良時代に架橋されたと云われ、古くは吊り橋だったとも推測されている。現在の猿橋は嘉永4年(1851年)に架け替えられた橋を、昭和59年(1984年)に復元したもの。岸の基盤をコンクリートで固め、H鋼に木の板を取り付けている。猿橋の存在を初めて知ったのは中学生の頃であり、初めて訪れるまでに40年以上も経っている。その頃に訪れていれば、嘉永4年(1851年)の猿橋に出会えていたことになる。「かれ枝に鴉とまりけり秋の暮はせを」芭蕉句碑がある。
明治35年(1902年)中央本線・鳥沢駅〜大月駅間が開業した際には、猿橋の脇を通っていたため列車内から橋が眺められた。昭和43年(1968年)梁川駅〜鳥沢駅〜猿橋駅間複線化の際、鳥沢駅から〜猿橋駅は南回りのルートに変更された。
猿橋から左手(東)方向を見ると、20号線の新猿橋手前にアーチ橋が見える。旧線跡かと思ったが、これは八ッ沢発電所第1号水路橋(重文)であった。明治43年(1910年)に着工,大正3年(1914)に竣工した橋長42.7mの鉄筋コンクリート造単アーチ橋。
八ッ沢発電所第1号水路橋
石仏石塔群 中央高速道 円行寺
題目塔 廿三夜塔 / 道祖神 三嶋大明神

猿橋から南へ進む。5分足らずで20号線に合流する。この通りは猿橋の宿場通りとなるが、宿場の面影はない。猿橋宿は、本陣:1 / 脇本陣:2 / 旅籠:10 の宿場であった。10分ほどすると、左手に石仏石塔群(馬頭観音 / 不明の石塔 / 馬頭観音3基と不明の石塔1基)がある。5分ほどの右手に円行寺 / 右手に題目塔「南無妙法蓮華経」 / 右手に廿三夜塔と道祖神 / 右手に三嶋大明神 / 右手に「正一位太郎丸稲荷大明神入口」石柱 と続く。三嶋大明神境内に、殿上天満宮 / 愛宕山神社 がある。

正一位太郎丸稲荷大明神入口石柱
馬頭観音らしい石仏 / 不明の石塔 題目塔 一里塚跡

三嶋大明神からすぐの左手に、馬頭観音らしい石仏 / 不明の石塔 が並んでいる。すぐに20号線が左に曲がる右手に題目塔「南無阿弥陀仏」 / 題目塔の背後に「一里塚跡 猿橋」標柱 / 右手に阿弥陀寺 がある。

阿弥陀寺
町並み 石仏石塔群 発電所送水管
第五甲州街道踏切 町並み 厄王大権現
阿弥陀寺からすぐの 右手に自動車販売会社があり、旧甲州街道は右へ進む。5分ほどすると、右手に石仏石塔群がある。5分ほどすると東京電力駒橋発電所の送水管を橋で越える。すぐに左へ坂を登ると、5分足らずで第五甲州街道踏切を渡る。すぐに20号線下の側道を通り、20号線に合流する。すぐに旧甲州街道は、横尾橋バス停から右へ進む。この通りは駒橋の宿場通りとなるが、宿場の面影はない。駒橋宿は本陣・脇本陣ともなく、旅籠:4の小さな宿場であった。分岐から5分足らずの右手に、厄王大権現がある。すぐに20号線と合流する。すぐの駒橋バス停辺りから、右手に岩殿山が見える。
岩殿山
駒橋バス停から5分ほどすると、旧甲州街道は中華店手前を右へ進む。20号線を直進すると、すぐ左手に大同元年(806年)創建と云われる三嶋神社がある。境内に「大槻回四十五尺」と刻まれた石碑がある。地名の由来となったと云われている大ケヤキ(大槻)が境内にあった。
三嶋神社
分岐まで戻り、旧甲州街を北西へ進む。すぐに 139号を潜る。10分足らずでJR中央本線・大月駅ロータリーに着く。
大月駅ロータリー / 岩殿山
[寄り道]岩殿山城
ふれあいの館 岩殿山 揚木戸跡
乃木希典詩碑 / 岩殿山城址碑 岩殿山城址標柱 南物見台からの眺望
139号線を北へ道なりに5分ほどすると、左手に岩殿山城登山口がある。5分程で中世の城をイメージしたと云う「ふれあいの館」に到着する。頂上への道は階段も多く、整備されているが勾配はきつい。自然の岩を利用した揚木戸跡を過ぎると、南物見台に陸軍大将・乃木希典が明治12年(1879年)に登頂した際の詩碑がある。南物見台からの眺望は素晴らしいが、富士山は雲が厚く隠れている。帯郭跡から三の丸 / 二の丸 / 本丸 方面へ進む。烽火(のろし)台には鉄塔かあり、工事中で機材が占領していた。空湟跡から岩殿へ下る短絡路は落ち葉が深くて滑り易く、途中から引き返し帯郭跡まで戻る。帯郭跡から岩殿までは比較的整備されているが、落ち葉が堆積している。朝から誰も通っていない様で、蜘蛛の巣を払い除けながらの下山となる。車道を下ると往路の登山口に至る。標高634mの岩殿山には大同元年(806年)創建と云われる円通寺があり、修験道の場となっていた。大月は武蔵国へ至る街道が交差する地に位置している。小山田氏は初め武田氏に対抗していたが、永正6年(1509年)武田氏の傘下に入った。岩殿山城は、大永7年(1527年)小山田信茂により築城された。相模の北条氏 / 駿河の今川氏 / 武蔵の上杉氏 との国境警備の役割を担っていた。東西に長い岩山をそのまま城にしている。南面は西から東までほとんどが絶壁で、北面も急傾斜になっている。戦国時代には、東国の城郭の中でも屈指の堅固さを持っていた。天正10年(1582年)織田軍が甲斐に侵攻したときに、小山田信茂は織田方へ寝返る。岩殿山城へ落ち延びてくる武田勝頼は、進退に窮し天目山で自害した。武田家を滅亡させる事に深く関わった小山田信茂は、この戦いの後に織田信長により処刑されている。江戸時代にも岩殿山城は要塞として存続している。
富士急行6000系 昭和レトロな建物 本陣跡
大月橋東詰交差点南側広場 不明の石塔
道標 道標 道標
旧甲州街道はJR中央本線・大月駅ロータリーに遮られ、右手の大月駅駅舎前を迂回する。線路沿いに進むと、富士急行6000系が停車している。2012年から導入を開始した通勤形電車で、JR東日本205系電車を改造した車両。旧甲州街道は、20号線の1本北側の道を進む。すぐに大月2丁目交差点で20号線に合流する。この辺りから大月の宿場通りとなる。大月宿は寛文9年(1669年)駒橋宿から分れた宿で、本陣:1 / 脇本陣:2 / 旅籠:2 であった。 大月2丁目交差点からすぐの左手に明治天皇御召換所址碑があるところが本陣跡。道の反対側に脇本陣があった。本陣跡からすぐの大月橋東詰交差点辺りで終わる。甲州街道と冨士道との追分で、富士道(富士山参詣道)は大月宿が起点となっていた。旧甲州街道は右折して川岸へ降り、下流の笹子川の合流点に近いところで橋を渡った。現在は右折する道はない。左折するのが富士道の139号線。大月橋東詰交差点南側の広場に、昭和34年(1959年)造立の不明の石塔 / 常夜燈 / 社 / 「左富士街道 右甲州街道」道標 / 「左ふじのみち 右甲州道中」道標 / 「左富士の道 右甲州道中」道標 と並んでいる。
桂川 甲州街道下花咲宿標識 石仏石塔群
石仏石塔群 町並み
本陣碑
下花咲宿本陣 稲村神社
大月橋東詰交差点を直進して桂川に架かる大月橋を渡る。5分ほどすると、左手の下咲花一里塚跡に「甲州街道 下花咲宿」標識 / 石仏石塔群 がある。「甲州街道 下花咲宿」標識の真後ろに「しばらくは 花の上なる 月夜かな」芭蕉句碑がある。下花咲宿は次の上花咲宿との合宿で、本陣:1 / 脇本陣:2 / 旅籠:22 であった。下咲花一里塚跡から5分ほどすると、右手に下花咲宿の本陣だった星野家住宅(重文)がある。星野家は本陣 / 庄屋 / 問屋 を務めた旧家。現在の建物は、天保6年(1836年)に焼失したものをその後忠実に再建したもの。本陣碑 / 明治天皇花咲御小休所碑 がある。すぐ右手に稲村神社がある。

稲村神社から5分ほどの大月インター入口交差点の左手に、不明の石仏がある。この辺りから上花咲宿の宿場通りとなる。上咲花宿は下花咲宿との合宿で、本陣:1 / 脇本陣:2 / 旅籠:13 であった。大月インター入口交差点から5分ほどの右手に廿三夜塔がある。

不明の石仏 廿三夜塔
振り返るとE257系特急 真木橋からの笹子川 親鸞上人廬跡碑
廿三夜塔から10分ほどすると大月警察署があり、20号線の左手をJR中央本線が通る。すぐ左手にあるJR中央本線を潜る道が旧甲州街道であるが、すぐ行き止まりとなる。5分ほどの笹子川に架かる真木橋を渡ると、すぐの大月市真木歩道橋の右下に、親鸞上人廬跡碑 / 平井圭斎先生頌徳碑 がある。
5分ほどすると、右手に真木諏訪神社 / 境内に火伏神社がある。真木諏訪神社本殿は、文政10年(1827年)に再建されたもの。
真木諏訪神社 火伏神社
源氏橋 笹子川 JR中央本線沿いの道
振り返るとE257系特急 旧甲州街道標識 石仏石塔群
第七甲州街道踏切 聖護院道興歌碑 馬頭観音
真木諏訪神社からすぐに真木川に架かる初月橋を渡る。5分ほどすると左折して笹子川とJR中央本線に架かる源氏橋を渡る。すぐに右折して線路沿いに進む。10分ほどの突き当りに「←20号線 旧甲州街道→」標識がある。道なりに左へ進むと、すぐ左手に石仏石塔群がある。すぐに第七甲州街道踏切を越えると、すぐ右手に文化3年(1806年)造立の「今はとてかすみを分けてかえるさに おぼつかなしやはつかりの里」聖護院道興歌碑 / すぐ左手に馬頭観音 と続く。
下初狩宿の町並み 常夜灯 / 廿三夜塔 中初狩宿本陣跡
馬頭観音からすぐに20号線と合流、下初狩宿の宿場通りを進む。下初狩宿は次の中初狩宿と合宿で、本陣:2 / 脇本陣:2 / 旅籠:12 であった。合流してから5分ほどの右手に常夜灯 / 廿三夜塔 がある。5分足らずで宮川に架かる宮川橋を渡ると、中初狩宿に入る。中初狩宿は、本陣:1 / 脇本陣:2 / 旅籠:25 であった。宮川橋から10分ほどの右手に明治天皇御小休遺跡碑があるところが本陣跡。10分足らずの左手に石仏石塔群がある。5分ほどで笹子川に架かる船石橋を渡ると、すぐ左手に船石碑がある。親鸞上人は船石の上で説法を行い、南無阿弥陀仏の題目をしたためたと云われている。
中初狩宿本陣跡
石仏石塔群 船石碑
前方:JR中央本線 / 右:天神峠 標識 分岐
町並み 常夜燈 / 庚申塔 / 不明の石塔 甲州街道 白野宿 標識
古民家 宝林寺 子神社
船石碑から10分ほどすると、JR中央本線を潜る。旧甲州街道は手前から右へ進み、天神峠を迂回して白野宿に至っていた。中央自動車道の敷設で消滅している。5分ほどすると、右手に標識と案内板がある。天神峠を迂回していた旧甲州街道は、ここに通じていた。すぐに分岐があり、旧甲州街道は右へ進む。白野宿は、本陣:1 / 脇本陣:1 / 旅籠:4 の小さな宿場であった。すぐ右手に常夜燈 / 庚申塔 / 不明の石塔 が並んでいる。すぐ左手に「甲州街道 白野宿」標識 / 右手に山門が閉じられている宝林寺 と続く。宝林寺の左側に本陣があった。5分足らずで20号線に合流、すぐ右手に右手に子神社がある。
子神社からすぐに分岐があり、旧甲州街道は右へ進む。すぐにJR中央本線を潜ると、左手に「伝説 立石坂の立石」の標柱がある。
「伝説 立石坂の立石」標柱
町並み 萬霊塔
左折して坂を登ると、5分ほどの右手に萬霊塔 / 右折すると突き当りに堂がある。
 
町並み 親鸞上人念仏塚の旧跡
稲村神社 稲村神社 石仏石塔群
旧甲州街道に戻り5分ほどすると、左手に親鸞上人念仏塚の旧跡 / 右手に稲村神社 がある。稲村神社境内には数多くの石仏石塔がある。
稲村神社から5分足らずのところに、左手にシュロの木あるT字路がある。旧甲州街道は直進するが、JR中央本線で分断消滅している。直進方向に行き止まりの標識がある。
T字路を左折して迂回する。すぐ左手に毒蛇が住んでいたと云われる葦池(あしがいけ)跡がある。葦ケ窪の地頭・小俣左衛門尉の娘が修行僧に心を寄せたが叶わず、葦ケ池に身を投げ毒蛇となったと云われている。
葦池跡
旧甲州街道 分岐 笹子川橋
葦池跡からすぐのJR中央本線を潜ると、20号線に突き当たり右折する。5分ほどすると、JR中央本線で分断された旧甲州街道と合流する。5分ほどすると、笹子川に架かる橋の手前に分岐がある。旧甲州街道は20号線と分れ、直進する。すぐの突き当りは笹子小学校の校庭で道は消滅している。左折して笹子川橋を渡り、合流する20号線を西へ進む。
笹子川橋から20号線を5分ほど進むと、笹子駅入口交差点がある。前方左手方向に笹子駅が見える。途中は阿弥陀海道の宿場通りとなるが、宿場の面影はない。阿弥陀海道宿、本陣:1 / 脇本陣:1 / 旅籠:4 の小さな宿場であった。笹子駅入口交差点の駅前に笹子隧道記念碑がある。明治35年(1902年)に完成した笹子トンネルは、全長4,656mの当時東洋一の鉄道トンネル。
笹子隧道記念碑