甲州街道 No.06 藤野駅-(約20km)-鳥沢駅
2014年 5月 2日(金)06:20 晴
階段下の道 仮設の橋 山道
JR中央線沿いの道 / 前方に跨線橋 跨線橋〜20号線 間野本陣跡

JR中央穂本線・藤野駅から南へ、すぐの藤野駅前交差点を右折する。旧甲州街道はすぐ左手の急な階段を下る。住宅地から草道へ進むと、犬に吠えられる。階段を下ってから10分ほどのところにある仮設の橋を渡る。山道からJR中央本線沿いの道を進む。仮設の橋から5分ほどの跨線橋を登り、JR中央本線を越える。跨線橋から民家の庭先の様な道を進むと、20号線突き当り左折する。すぐ右手に間野本陣跡がある。下諏訪方向に向いており、見逃し易い。関野宿は、本陣:1 / 脇本陣:1 / 旅籠:3 の小さな宿場。甲斐の国へ通ずる最後の宿場として重要視されていたと云う。明治21年(1886年)とその後2度の大火で、建物は全て焼失している。

増珠寺 関野町小渕の横断歩道橋 境沢橋

間野本陣跡からすぐ右手に、永正年間(1504年〜1520年)創建の増珠寺 / 土手に力士・追手風喜太郎案内板 がある。7時近くになっているが、参道階段にある門扉は閉じられている。力士・追手風喜太郎は寛政11年(1799年)ここ関野に生まれ、大関まで昇進し引退後も相撲界の発展に寄与した。増珠寺に五具足 / 燭台などを寄贈している。増珠寺から5分ほどの関野町小渕の横断歩道橋を過ぎると、旧甲州街道は右へ坂道を登る。 すぐに登り切り、左への細い道を下ると20号線に合流する。すぐに名倉入口交差点から左へ下る。5分足らずで境川に架かる境沢橋を渡る。境川は相模国(神奈川県)と甲斐国(山梨県)との国境で、すぐ先で相模湖に注いでいる。

境川橋 相模湖 諏訪関跡

境沢橋を渡ると、すぐに突き当る。左手に相模川上流の桂川に架かる境川橋が見える。桂川も相模国と甲斐国の国境となっている。旧甲州街道は右折して、急な坂道を道なりに登って行く。眼下に、けぶっている相模湖が見える。境沢橋から10分足らずのところの右手の法面に、甲州街道史跡案内図 / 諏訪関跡 / 諏訪番所跡 がある。ここは甲斐国の東口にあたる最重要地点。番所は宝永4年(1707年)諏訪神社前から、境川と相模川の合流点で展望の効くこの地に移転する。42.25坪の番所建物での主な仕事は、通行取締りと物資出入調べ / 高瀬舟取締りと徴税 / 鶴川「渡し場」取締 / 通行手形改め / 番所坂所在茶店よりの情報収集 であったと云う。明治4年(1871年)番所は廃止された。

諏訪番所跡
船守寺山門 船守寺本堂 諏訪神社

坂を登り切り、諏訪関跡から10分足らずの右手に船守寺 / 境内に伊豆法難碑 がある。弘長元年(1261年)伊豆法難(いずほうなん)のとき、上野原諏訪生まれの漁師・弥三郎が救い庇護した。伊豆法難は日蓮が伊豆に流罪となったとき、到着前に伊東沖の俎岩と言う岩礁に置き去りにされた事件。別れに日蓮は弥三郎の海上安全を祈って、船守の御守護を授けた。船守寺には船守・弥三郎の骨が分骨されている。すぐ右手に諏訪神社がある。諏訪の集落は上野原宿の馬宿であったところ。

油屋 旧甲州街道碑 疱瘡神社

諏訪神社から10分ほどすると、右手に旧甲州街道碑 / 常夜燈 がある。すぐの陸橋で中央自動車道を越えると、すぐ右手に疱瘡(ほうそう)神社 / 入口に塚場一里塚案内板 / 裏手に塚場一里塚跡 がある。

塚場一里塚跡
牛倉神社 旧本陣門 歩道橋左手の道

疱瘡神社から10分足らずの新町交差点で、20号線と合流する。この辺りから上野原宿となる。上野原宿は甲州へ入り最初の宿で、本陣:1軒 / 脇本陣:2軒 / 旅籠:20 があった。すぐの新町2丁目交差点を左折すると、すぐ右手に牛倉神社がある。9月4日から3日間開催される祭礼は、勇壮な暴れ御輿と云う。新町2丁目交差点まで戻り、旧甲州街道を進む。すぐ右手にあるホテルルートイン上野原が脇本陣跡。すぐの明誠高校入口交差点から次の小路を右折すると、旧本陣門が見える。甲州街道を進むとすぐに分岐があり、直進は33号線 / 旧甲州街道は左方向へ20号線を進む。20号線に架かる歩道橋の左手に、旧甲州街道に繋がる間違え易い道がある。

分岐からすぐの上野原市役所前交差点を左折する。すぐに十字路があり、旧甲州街道は右折する。左からの道は歩道橋から続く道。右折するところの南西角に、大乗妙典廻国供養塔 / すぐ左手に不明の石塔が2基並んでいる。すぐに解りにくい分岐がある。電信柱と道路ミラーの間を進む。間違えて手前の坂を登り、地元の方に教えて貰う。すぐ左手に石仏石塔群がある。

大乗妙典廻国供養塔 不明の石塔
分岐 石仏石塔群
石塔群からすぐに高低差のない鶴川入口歩道橋を進み、20号線を越える。歩道橋を下り30号線を進むと。すぐ左手の鶴川入口バス停横に「甲州街道史蹟案内図」がある。旧甲州街道はすぐに左へ下る道を進む。すぐに下り切り、30号線に合流する。鋭角に左折すると左手に大向バス停があり、すぐに鶴川を鶴川橋で渡る。旧甲州街道は、渡し舟で鶴川を渡っていた。春〜秋は、徒歩で渡っていた。
鶴川
小公園 道標 旧甲州街道(道中)鶴川宿
鶴川宿標識 町並み 不明の石柱
鶴川神社 町並み 標識
町並み 木々に囲まれた道 これより甲州街道 鶴川宿標識

鶴川橋を渡るとすぐ右手の小公園に、鶴川宿案内板 / 「旧甲州街道 鶴川宿」道標 がある。すぐ右手に旧甲州街道(道中)鶴川宿碑 / 右手に鶴川宿標識 と続き、鶴川宿の町並みになる。鶴川宿は、本陣:1 / 脇本陣:2 / 旅籠:8 の小さな宿場であった。宿場は大正10年(1921年)の大火で、殆どの建物が焼失している。すぐ左手に不明の石柱 / 左手に「上野原宿 上野山 大椚宿 鶴川神社 公衆トイレ」道標 と続く。左折すると鶴川神社の鳥居がある。鳥居から石段が続くが、社殿は見えない。旧甲州街道を進むと、5分足らずのY字路に「旧甲州街道 大月・甲府方面」標識があり左へ進む。Y字路を右へ進むと、「これより甲州街道 鶴川宿」標識があり鶴川宿が終わる。

「これより甲州街道 鶴川宿」標識からすぐに、中央自動車道の側道と合流する。この辺りから旧甲州街道は途切れている。5分ほどすると左手に「大椚方面 日野方面」道標があり左折、鳶ヶ崎陸橋で中央自動車道を越える。復活した旧甲州街道を進むみ、5分ほどすると左手に大椚一里塚跡がある。

中央自動車道の側道 大椚一里塚跡
農興 錬達道人遺関跡 廿三夜塔 不明の石塔
大椚一里塚跡から5分ほどすると、右手に昭和17年(1942年)造立の「農興 錬達道人遺関跡」碑 / 右手に廿三夜塔 / 左手に不明の石塔 と続く。
5分足らずの左手に、祠に道祖神 / 「上野山 鶴川宿 野田尻宿 大目宿 大椚宿発祥の地」道標 / 秋葉常夜燈 が並んでいる。大椚宿は、鶴川宿・野田尻宿間の間宿(あいのしゅく)だった様である。
土蔵と藤棚のある民家 祠 / 道標 / 秋葉常夜燈

道標からすぐ右手に石仏石塔群 / 右手に石仏石塔群 / 右手に不明の石塔 と続く。

石仏石塔群
石仏石塔群 不明の石塔
吾妻神社 大椚観音堂 供養塔

石仏石塔群からすぐの左手に、左手に甲州街道史跡案内図 / 左手に吾妻神社 / 吾妻神社境内右手に大椚観音堂 がある。ここは不動院行満寺の廃寺跡で、観音堂には明治23年(1890年)に修復された大日如来と千手観音像がある。郡内33観音24番札所になっている。旧甲州街道を進むと、すぐ左手に供養塔がある。

中央自動車道の前方に「1km談合坂SA」標識 長峰砦跡
長峰の史跡案内板拡大図

吾妻神社から5分ほどすると、右手の中央自動車道沿いに進む。この辺りから旧甲州街道は途切れている。中央自動車道の前方に「1km談合坂SA」標識が見える。5分ほど中央自動車道沿いの道を登って行くと、左手に「長峰の史跡」案内板 / 長峰砦跡 / 「古池や蛙飛び込む水の音 芭蕉」「あかりてはさかり明けては夕雲雀 蓮二房」句碑がある。芭蕉・蓮二房句碑は、中央自動車道建設で発掘されたもの。鳶が崎から矢坪坂付近までの丘陵は、長峰と呼ばれていた。ここは古くから交通の要所で、戦国時代にはたびたび北条氏と武田氏が小競り合いをした中世の古戦場だったところ。長峰砦は天正年間(1573年〜1592年)武田家家臣・加藤丹後守景忠が築いたと云われ、江戸時代に砦の傍らを通る山道が甲州街道として整備された。中央自動車道建設で、旧甲州街道や長峰の史跡は分断されている。

道標 新栗原陸橋からの中央自動車道 切通し
長峰砦跡から5分ほどすると、T字路左手に「これより 甲州街道 野田尻宿」道標がある。T字路を右折して、新栗原陸橋で中央自動車道を越える。渡り終えると十字路があり、右手からの山道は旧甲州街道の様でもある。直進して切通しを進む。
野田尻宿の町並み 上野原市消防団甲東分団半鐘 町並み
旧甲州街道(道中)野田尻宿 標識 野田尻簡易郵便局

切通しを抜けると、すぐに野田尻宿の町並みとなる。野田尻宿は、本陣:1 / 脇本陣:1 / 旅籠:9 の宿場で、明治19年(1886年)に大火にあっている。すぐ左手の上野原市消防団甲東分団に半鐘が吊るされている。すぐ左手に旧甲州街道(道中)野田尻宿碑 / 甲州街道野田尻宿案内板 がある。道の反対側に本陣跡 / 右手に「犬目宿 野田尻宿 鶴川宿」標識 / 右手に野田尻簡易郵便局 / 右手に大嶋神社 と続く。茶店の様な野田尻簡易郵便局には、「旧甲州街道 野田尻宿」看板 / 使用されていないレトロなポスト / 現在使用されているポスト が並んでいる。

大嶋神社
大嶋神社からすぐのT字路を直進する。大嶋神社から5分ほどの左手に、お玉ヶ井石標がある。旅籠の女中・お玉の恋が結ばれたお礼に、水不足で悩む野田尻の人たちのために土地の一角に澄んだ水を沸き立たせたと云う。お玉の正体は龍であり、結ばれた相手は長峰の池の主の龍神であったと云う伝説。
お玉ヶ井石標
お玉ヶ井石標からすぐの突き当りのY字路三角地帯に、中央自動車道建設で移転してきた天長6年(824年)創建の西光寺がある。 
西光寺
天満宮 石仏石塔群
Y字路を右へ、西光寺境内に添って道なりに進む。すぐ右手に天満宮 / 右手に石仏石塔群 と続き、すぐのT字路を左折して中央自動車道を陸橋で越えて林の道を進む。すぐに車道に突き当り、左手に下諏訪側からの道しるべの「ここは甲州道中」標柱がある。
中央自動車道 甲州道中標柱
富士講碑 萩野一里塚跡 神社の鳥居
町並み 大乗妙典日本廻国苦闘塔 矢坪坂分岐
突き当りに「至る上野原駅 犬目・鳥沢方面」道標があり、右折する。すぐ右手に明治2年(1869年)造立の「嶽 大先達白倉宝行」富士講碑 / 右手に萩野一里塚跡 / 左手に神社の鳥居 と続く。10分ほどすると「平和中学校 四方津 上野原 上りサービスエリア」道標のあるT字路を右折して、矢坪陸橋で中央自動車道を越える。すぐ右手に大乗妙典日本廻国苦闘塔があり、すぐに旧甲州街道は右へ矢坪坂を登る。すぐ右手に、矢坪坂の古戦場跡案内板がある。享禄3年(1530年)相模国北条氏縄軍が甲斐に攻め込み矢坪坂に進み、坂上の小山田越中守の軍と激戦を展開したところ。
武甕槌神社鳥居 隈出没注意標識 山道入口
庚申塔 フェイスのある崖沿いの道 矢坪金比羅神社参道道標
山道 座頭転がし 山道出口付近
町並み 標識 尾張の殿様定宿家

矢坪坂の古戦場跡案内板から5分ほどすると、右手に武甕槌(たけみかづち)神社の鳥居 / 鳥居横に「注意 この付近に隈出没 注意必要」標識がある。すぐに山道となり、右手に庚申塔がある。フェイスのある崖沿いの道となり、右手に矢坪金比羅神社参道道標がある。5分ほどすると、下り坂の「座頭転がし」と云われる難所がある。目の不自由な2人が曲がった道と解らず、前の人の声を頼りにまっすぐ進み谷底に落ちて死んでしまったと云われているところ。10分足らずで土道が舗装道になり、新田の集落に入る。すぐ左手に「四方津駅への標識 / 右手に“旧甲州街道新田宿 尾張の殿様定宿家” と続く。

尾張の殿様定宿家から5分足らずのところに、四方への標識 / 「君恋温泉 これより1.5km」標識 があり左折する。
標識
旧甲州街道(道中)犬目宿 石標 町並み 本陣跡
標識から10分足らずの左手に、「甲州街道 犬目宿 案内板」 / 左手に旧甲州街道(道中)犬目宿 石標 がある。犬目宿は、現在の集落より約600mほど下方の元土橋にあったが、正徳2年(1712年)この地に移転した。本陣:2 / 旅籠:15 の小さな宿場であった.。昭和45年(1970年)の大火で宿場の大半が焼失した。すぐ左手の義民「犬目の兵助」の生家前に案内板 / 本陣跡に明治天皇御小休所址 と続く。天保4年(1833年)と天保7年(1836年)の大飢饉で、代官所に救済を求めたが聞き届けられなかった。兵助は、甲斐の国に広がった甲州一揆を指導した一人。
寶勝寺 馬頭観音
本陣跡からすぐの右手に寶勝寺がある。旧甲州街道沿いに「空」と彫られた丸石がある。空念仏の意味か、よくは解らない。すぐ右手に旧甲州街道案内図 / 右手に馬頭観音2基 と続く。
馬頭観音からすぐの右手に、倒れた「扇山入口 先30M 不動尊180M 公衆トイレ300M先 四方津駅 歩60分」標識がある。5分ほどすると、分岐があるが直進する。分岐を右へ進み、「扇山 犬目宿」道標を確認する。扇山は、山梨県大月市と上野原市の境にある標高1138mの山梨百名山。扇山への標識が目立つ。
分岐から5分ほどすると、右手に甲州街道史跡案内図 / 「扇山 犬目宿」道標 / 不動明王 / 白馬不動鳥居 / 「君恋温泉 鳥沢 至 大里一貯水池 大目・四方駅」道標 が並んでいる。
不動明王 白馬不動鳥居
古民家 君恋温泉への標識 白滝山不動明王 石柱
白馬不動鳥居から10分足らずの左手に「四方津駅 扇山正面入口 至 一里塚 鳥沢 至 君恋温泉・扇山」標識がある。右折すると君恋温泉に行ける。直進すると、すぐ右手に「扇山 犬目宿」標識 / 「白滝山不動明王」石柱 が並んでいる。すぐに「至 鳥沢 君恋温泉入口 扇山 至」道標があり、君恋温泉を経由した道と合流する。すぐ左手に恋塚一里塚跡 / 左手に「聖徳太子」石柱 / 右手に山住神社 と続く。山住神社社殿右手にある庚申塔は、地蔵と三猿が彫られている。
恋塚一里塚
聖徳太子 山住神社 庚申塔
旧甲州街道は、山住神社辺りから右折する。恋塚集落を進み、石畳を通り県道と合流する。恋塚の地名は、東国征伐の帰途にあった日本武尊が海神の生贄となった橘姫を偲んで思い沈んだことに由来する。
「至 鳥沢 旧甲州街道石畳」標識 石塔群 馬頭観音
山住神社から5分ほどすると、「至 鳥沢 旧甲州街道石畳」標識がある。ここで道を間違えたことに気付く。10分ほどすると右手の高台に石塔群が見える。すぐ右手に馬頭観音がある。
馬頭観音から20分ほどすると、左手に不明の石塔 / 左手の竹林に地蔵 と続く。
不明の石塔 地蔵
町並み 非常用水池 石柱 町並み

地蔵から10分足らずのところにある中央自動車道を潜ると、すぐ右手に非常用水池がある。すぐに20号線に合流、右折して下鳥沢宿を進む。下鳥沢宿と上鳥沢宿は、隣接している合宿。下鳥沢宿には、本陣:1 / 脇本陣:2 / 旅籠:11 があった。20号線に合流してから10分ほどすると、右手に鳥沢小学校がある。この辺りに一里塚があった。鳥沢小学校からすぐの交差点辺りから上鳥沢宿となる。上鳥沢宿には、本陣:1 / 脇本陣:2 / 旅籠:13 があった。

交差点を左折すると、すぐの突き当りにJR中央本線・鳥沢駅がある。
鳥沢駅