甲州街道 No.05 高尾駅-(約12km)-藤野駅
2014年 4月26日(土)07:10 晴
高尾駅前交差点から甲州街道(20号線)を西へ進む。10分ほどすると、JR中央本線ガードを南浅川に架かる両界橋で潜る。南浅川は川原宿と駒木野宿の境界になっていたところ。すぐに西浅川交差点があり、旧甲州街道は20号線と分かれ右折する。5分ほどすると、左手に地蔵 / 後ろに石仏が5基並んでいる。すぐの左手に土地区画整理で撤去された駒木野橋跡碑がある。
石仏群
小仏関跡 手形検め石 甲州街道駒木野宿
駒木野橋跡からすぐ右手の駒木野バス停前に、小仏関跡がある。戦国時代に北条氏照が小仏峠に設けたのが始まり。徳川幕府の五街道整備を経て、元和2年(1616年)現在地に移転する。明治2年(1869年)に廃止された。関所の通過は、明け六つ(午前6時)から暮れ六つ(午後6時)になっていた。通行手形を番所前の手形石に置いた手形検め石がある。隣接した公園の街道側に甲州街道駒木野宿石柱がある。
甲州街道駒木野宿石柱からすぐ左手に、石仏石塔群 がある。
石仏石塔群
石仏石塔群 古民家 道標

石仏石塔群から5分ほどの荒井バス停を過ぎると、すぐ左手に石仏石塔群がある。建屋左手に地蔵、建屋に庚申塔 / 地蔵 / 戦没者供養塔 が並んでいる。5分ほどの蛇滝口バス停を過ぎると、すぐ左手の古民家右手に道標がある。「鏡 谷下 上行講」 / 「是より蛇瀧まで八丁」と彫られている。蛇滝は高尾山中腹にある。すぐ左手に“高尾梅の郷まちの広場”がある。旧甲州街道と小仏川に沿って点在している梅林を総称して高尾梅郷と呼んでいる。案内板があり、ここはJR高尾駅から2.5km、小仏バス停まで2.5kmの地点。

街道 常林寺 女裸体群

高尾梅の郷まちの広場から10分ほどすると、右手に常林寺 / すぐ左手に女裸体群 / すぐ左手に東京都水道局裏高尾増圧ポンプ所 と続く。東京都水道局裏高尾増圧ポンプ所は、遠くから見ると宝珠屋根の堂に見える。

東京都水道局裏高尾増圧ポンプ所

東京都水道局裏高尾増圧ポンプ所からすぐに、裏高尾バス停がある。旧甲州街道は、高尾山の北側を通っている。5分ほどすると、Y字路の三角地帯に「右 小仏峠 景信山」道標がある。すぐにJR中央本線線の煉瓦アーチトンネルを潜る。この辺りから小仏宿であった。

道標 煉瓦アーチトンネル

煉瓦アーチトンネルを潜り、JR中央本線を左手に見ながら進む。煉瓦アーチトンネルから10分ほどすると、左手に「甲州街道 高尾駅 小仏峠 景信山」道標 / 右手に小仏バス停 がある。京王バスの終点で、ここから小仏峠は2.8km。

E257系特急 道標
浅川神社 宝珠寺石仏群 宝珠寺本堂
小仏バス停からすぐの左手に浅川神社 / 左手に宝珠寺 と続く。参道の石段左手に、8基の石仏がある。撮影の際にこけ、カメラが石段に当たりそうになる。ぎりぎりで回避できたのは、浅川神社への賽銭のご利益か。石段を登っていくと本堂 / 本堂手前右手に鬼子母神 がある。
鬼子母神
道標 山道
標高369.51m水準点 山道 水飲み場

宝珠寺から10分ほどすると、「小仏峠 小仏バス停 景信山」道標があり、すぐに山道に入る。ここには道標 / 標高369.51m水準点 がある。5分ほどすると、左右にベンチが置かれた水飲み場がある。

山道
道標 小仏峠標柱
地蔵 / 庚申塔
明治天皇小仏峠御小休所跡の地蔵 休業中の茶屋 / 広場
高尾山道道標 道標 小仏峠標柱

水飲み場から20分ほどで、標高548mの小仏(こぼとけ)峠に着く。峠は広場になっており、休業中の茶屋は廃墟となっている。道標が数多く見られ、広場の東側にある明治天皇小仏峠御小休所跡に地蔵 / 南側には寛永7年(1795年)造立の高尾山道道標がある。東京都八王子市と神奈川県相模原市の境界になっており、広場の南側にある道標には相模原市と併記されている。

山道 標識 山道
標識 甲州道中標柱 甲州道中標柱 / 標識
相模原市側の小仏峠標柱から峠を下る。底沢バス停まで3.5km / 相模湖駅まで5.5kmの距離となる。35分ほどすると車道に合流、左折する。左手に「甲州道中 相模湖町」標柱 / 「小仏峠1.8km 底沢バス停1.7km 相模湖駅3.7km」標識 がある。
照手姫ものがたり案内板 中央自動車道 / JR中央本線
車道に出て10分ほどの分岐を左へ進む。ここには道標がなく、地図とコンパスで方向を確認する。10分ほどすると20号線に合流、鋭角に右へ進む。ここも地図とコンパスで方向を確認する。5分ほどすると、右手に“照手姫ものがたり”案内板がある。照手姫は小仏峠の麓・美女谷の生まれと云われている。照手姫ものがたりは、武蔵国と相模国の郡代・横山将監の娘・照手姫と常陸国の国司・小栗判官正清にまつわる伝説。
[参考]照手姫伝説: 照手姫水汲み井戸
    旧中山道の赤坂宿・垂井宿間に、照手姫水汲み井戸がある。この井戸は、照手姫が籠で水を汲んだと云われている。 
 照手姫水汲み井戸
照手姫ものがたり案内板からすぐの右手に「相模湖駅2.0km 小仏峠3.5km」道標 / 底沢バス停 / 右手に小原の郷 と続く。小原の郷は、相模湖町の歴史文化に関する資料の展示を行っている。
標識 小原の郷
小原の郷からすぐの左手に「甲州街道小原宿 これより二町半」標柱 / 左手に「相模湖駅1.6km 小仏峠3.9km」標識 と続く。小原宿は二町半(276m)の宿内に、本陣:1 / 脇本陣:1 / 旅籠:7 / 家数:29 があった。明治28年(1895年)の大火があったが、本陣を含む4軒が残る。
甲州街道小原宿標柱 標識
高札場跡 小原宿本陣
「相模湖駅1.6km 小仏峠3.9km」道標からすぐ右手に、小原宿本陣 / 甲州街道に面した垣根に高札場 がある。神奈川県には東海道と甲州街道合わせて26の本陣があったが、唯一現存する建造物となっている。約200年前築で、定紋のついた敷居の高い玄関がある91坪の建物。高島藩 / 高遠藩 / 飯田藩の大名と甲府勤番の役人が、江戸往来で利用していた。無料で公開されている。
甲州街道小原宿標柱 題目塔 甲州道中平野標柱

小原宿本陣からすぐの右手に「甲州街道小原宿」標柱 / 右手に文政2年(1819年)造立の欠けた「南無阿弥陀仏」題目塔 と続く。すぐの平野バス停を過ぎると、三角地帯に「甲州道中 平野」標柱があり右へ進む。

祠 / 社 標識 甲州道中与瀬宿標柱
「甲州道中 平野」標柱から5分ほどで坂を登り切ると、すぐ右手に祠と社がある。すぐのT字路を直進して坂を下ると、すぐ右手に「甲州道中はこの階段を降り、えんどう坂を下り桂北小学校前へ出る」標識がある。階段を下り道なりに進むと、5分足らずで20号線に突き当る。20号線に架かる相模原町与瀬歩道橋下に、「甲州道中 与瀬宿」標柱がある。与瀬宿には、本陣:1 / 旅籠:6 があった。
相模原町与瀬歩道橋辺りからの旧甲州街道は、小手沢川を渡るため左手の南へ下っていた。現在は相模湖により消滅している。相模原町与瀬歩道橋から20号線を西へ進むと、すぐに相模湖駅前交差点がある。右折すると、突き当りにJR中央本線・相模湖駅がある。明治34年(1901年)中央本線・八王子駅〜上野原駅間開通時に、与瀬駅として開業する。昭和31年(1956年)相模湖駅に改称される。相模湖駅前交差点から10分ほどすると、右手に与瀬神社社務所がある。旧甲州街道は手前を右折する。すぐのT字路手前右手に地蔵の祠がある。
地蔵
石仏石塔群 標識 左:与瀬神社参道 / 右:慈眼寺参道
突き当りは慈眼寺への参道で、石塔群 / 道標 がある。正面に見える陸橋は、中央自動車道で寸断されたところを跨ぐ慈眼寺と与瀬神社の参道。登り切ったところで合流している。中央自動車道を陸橋で跨ぐと、正面に天正年間(1573年〜1592年)創建の慈眼寺がある。明治5年(1872年)の神仏分離までは、与瀬蔵王大権現の別当寺だった。本堂は大正6年(1917年)の火災で焼失、昭和17年(1942年)に再建されたもの。津久井三十三所観音20番札所。慈眼寺 / 与瀬神社 ともに、幼児の虫封じに効能があると云われている。
慈眼寺
与瀬神社鳥居 与瀬神社随神門 与瀬神社石段
慈眼寺山門左手に、与瀬神社の鳥居がある。石段を登り随神門を潜る。さらに石段があり。登ると権現造りの社殿がある。小仏峠越えが終わりほっとしているとき、予期しない石段は疲れる。祈願は20号線沿いにある与瀬神社社務所で済ませたいところ。昔は相模川北岸にあったが、天和2年(1682年)に現在地に移転した。大和吉野山の蔵王権現を勧請した古社で、与瀬の権現様と呼ばれていた。明治37年(1904年)の火災で、権現造の壮麗を極めた社殿は焼失する。大正3年(1914年)に社殿が再建された。
与瀬神社社殿
与瀬神社鳥居 前方:中央自動車道側壁 20号線への階段
中央自動車道を跨ぐ陸橋から慈眼寺参道を下り、旧甲州街道を西へ進む。すぐに20号線から続く与瀬神社参道と交差、右手に鳥居がある。5分足らずで中央自動車道側壁に突き当り、旧甲州街道は途切れる。旧甲州街道は中央自動車道を斜めに横切る形で、北西方向に続いていた。ここからは迂回路になる。中央自動車道側壁沿いの道を進み、階段を下り20号線に出る。
迂回路の20号線 左:旧甲州街道 / 右:迂回路 甲州道中横道標柱
中央自動車道 石仏石塔群 秋葉神社鳥居
20号線を道なりに進むと、すぐに中央自動車道を潜る。すぐに右への坂道を5分ほど登ると、途中で途切れている旧甲州街道と合流する。合流点の右手に「甲州道中 横道」標柱がある。すぐに中央自動車道の陸橋があるが、旧甲州街道は陸橋を渡らずに中央自動車道を見下ろしながら右へ進む。すぐ右手に二十三夜塔 / 庚申塚 / 「南無阿弥陀仏」題目塔 / 不明の石塔 / 地蔵 と並び、奥に秋葉神社鳥居と赤い灯籠がある。すぐ右手に欠けた不明の石仏 / 欠けた石塔 がある。
不明の石仏 / 石塔
けぶる相模湖 石仏石塔群
不明の石仏と石塔から5分足らずで、右手に社 / 右手に石仏石塔群 / 左手に馬頭観音 / 右手に「甲州道中 橋沢」標柱と続く。
馬頭観音 甲州道中橋沢標柱
甲州古道赤坂標柱 旧甲州街道 甲州古道椚戸標柱
「甲州道中 橋沢」標柱からすぐの変則X字路を左方向に進む。すぐの中央自動車道を陸橋で越え、道なりに進む。5分足らずの右手に「甲州古道 赤坂」標柱があり、旧甲州街道は右へ土道を進む。中央本線トンネル上のフェンスに突き当たり、左折して坂を下ると車道に出る。右手に「甲州古道 椚戸」標柱がある。「甲州古道 赤坂」標柱から「甲州古道 椚戸」標柱まで5分ほどである。
観福寺 甲州古道矢部標柱 下川橋
「甲州古道 椚戸」標柱から左へ進むと、すぐ左手に大永2年(1522年)創建の観福寺がある。津久井三十三ケ所観音21番札所になっている。すぐの突き当りを道なりに右へ進むと、右手に「甲州古道 矢部」標柱がある。右折して階段を下る。下川橋を渡ると登り坂になり、すぐに車道に突き当たる。左手に「甲州古道 椚戸」標柱がある。「甲州古道 椚戸」標柱が2ヶ所あり、少し紛らわらしい。「甲州古道 矢部」標柱から「甲州古道 椚戸」標柱まで5分も掛らない。
甲州古道椚戸標柱
石仏石塔群 相模湖
吉野宿高札場跡 六地蔵 / 馬頭観音

車道を左折すると、すぐ右手に石仏石塔群がある。5分ほどすると陸橋で相模湖ICと20号線を結ぶ道路を越える。すぐ右手に吉野宿高札場跡 / 六地蔵と馬頭観音がある。

藤野町郷土資料館 聖蹟石柱 吉野本陣土蔵

吉野宿高札場跡からすぐに20号線に突き当り、右折して西へ進む。すぐ左手に明治30年(1905年)築の旅籠ふじやを利用した藤野町郷土資料館 / 右手に聖蹟石柱 / 「甲州街道 吉野宿」標識 と続く。聖蹟石柱があるところが吉野本陣跡。木造五階建ての威容を誇っていたが、明治29年(1896年)の大火で焼失する。土蔵のみが残っている。吉野宿は、本陣:1 / 脇本陣:1 / 旅籠:3 の小さな宿場であった。

甲州街道吉野宿標識
祠 / 不明の石塔 廿三夜塔 / 百万遍供養塔 吉野橋眺望
「甲州街道 吉野宿」標識からすぐの吉野郵便局前交差点左手に祠と不明の石塔がある。すぐに沢井川に架かる吉野橋を渡る手前左手に、廿三夜塔 / 百万遍供養塔 / 小猿橋案内板 がある。当社は吉野橋よりも下流に、猿橋が架けられていた。大月の猿橋と同じ構造で、橋脚を持たずに刎木を出して重量を支えていた。明治中頃に上流約500mの所に新猿橋が架橋されたが、昭和8年(1933年)吉野橋の完成により撤去された。
馬頭観音 20号線の町並み 不明の石塔

吉野橋を渡り5分足らずの藤野下バス停からすぐに、旧甲州街道は右へ坂を登る。すぐ右手の赤い祠に馬頭観音がある。5分ほどすると、藤野中学校先で20号線に合流する。すぐの交差点手前右手に、欠けた不明の石塔がある。

不明の石塔からすぐの藤野駅前交差点を右折すると、JR中央本線・藤野駅がある。