日光街道21次 No.12 石那田バス停-(約15km)-JR日光線・今市駅
2014年 3月20日(木)10:20 雨

JR宇都宮駅に到着したときから雨で、道中は難儀する。道路が冠水しているところがあり、遊歩道がないところは悲惨だった。トラックは徐行してくれるが、乗用車はお構いなしだった。ひたすら歩いた結果、見逃している遺蹟も多い。

JR宇都宮駅から関東バスで石那田へ。石那田バス停から旧日光街道を北西へ進む。30分ほどすると、左手に享保15年(1730年)造立の“うらない地蔵”がある。地蔵に願いをかけた後、台座の丸石3個のどれかを持ち上げる。丸石が軽く感じれば、願いが叶うと云われている。
石那田バス停から15分の遊歩道 うらない地蔵
新渡神社 大乗妙典六十六部供養塔 第四接合井

うらない地蔵から5分ほどすると、右手に新渡神社がある。さらに5分ほどすると、右手に大乗妙典六十六部供養塔 / 右手に第四接合井 と続く。

杉並木道分岐 日光並木街道石標 並木寄進碑

第四接合井から20分ほどすると、119号線から右へ杉並木道を進む。すぐ左手に日光並木街道石標 / 並木寄進碑 がある。日光杉並木は、日光街道(16.52km) / 例幣使街道(13.17km) / 会津西街道(5.72km)の3街道35.41kmに約13.000本の杉が続く並木道の総称。大河内松平氏玉縄藩初代藩主・松平正綱が20余年の歳月をかけて杉並木を植栽し東照宮に寄進したもの。世界一長い並木道として、ギネスブックに掲載されている。

日光街道21次 19番 大沢(おおさわ)宿
栃木県日光市大沢
天保14年(1843年)宿村大概帳
人口:278 家数:43 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:41

宿場の北側、街道から少し離れた場所に寛永4年(1627年)に造営された大沢御殿があった。徳川将軍家の日光参詣に際し宿泊所として使用されたが、3代将軍・徳川家光と4代将軍・徳川家綱が何度か使用しただけと云われている。享保年間(1716年〜1735年)には処分され、以降は街道沿いにあった竜造寺が用いられた。竜造寺は明治元年(1868年)に移転している。
並木寄進碑から10分ほどすると、杉並木を抜け119号線と合流する。すぐの大沢交差点を過ぎると、すぐの右手に王子神社標識がある。右折すると、左手に王子神社が見える。
王子神社
地蔵堂
車両通行止め区間 石仏 / 石塔

旧日光街道に戻り、北西へ進む。右手にある大沢郵便局先の交差点から、杉並木道を進む。5分ほどすると車両通行止めとなり、車両通行止め区間が15分ほど続く。杉並木道を抜けると、左手に地蔵堂 / 左手に石仏石塔群 がある。杉並木道の途中にある水無一里塚(大沢一里塚)は見過ごしている。

馬頭観音 遊歩道 119号線との交差

地蔵堂からすぐに119号線と合流する。交差点からすぐ左手に、馬頭観音がある。遊歩道を10分ほど進むと、119号線を斜めに横断して杉並木道に入る。右手方向はカーブしており、横断には注意が必要である。

杉並木道 第貳接合井 来迎寺

119号線を横断、杉並木道を進む。10分ほどすると、右手に第貳接合井がある。すぐに119号線と合流、5分ほどすると右手に永正14年(1517年)創建の来迎寺がある。

杉並木道入口 桜杉
来迎寺からすぐに森友交差点がある。旧日光街道は119号線から右へ、杉並木道を進む。15分ほどすると、左手の柵内に杉の割れ目に山桜が寄生した桜杉がある。
森友交差点から続く杉並木道は、一方通行になっている。ほとんど途切れることなく追分地蔵堂手前まで続く。この頃には全身雨まみれで、JR日光線・今市駅へ辿り着くことしか考えていない。ひたすら歩いたため、七本桜の一里塚は見逃している。
日光街道21次 20番 今市(いまいち)宿
栃木県日光市今市
天保14年(1843年)宿村大概帳
人口:1122 家数:236 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:21

宿駅になる以前は、今村と呼ばれていた。宿駅となってから定市が開かれる様になり、今市宿になったと云われている。日光街道の宿場だけでなく、壬生(みぶ)道 / 会津西街道 / 日光北街道 などが集まる交通の要衝にあった。壬生道は日光西街道とも呼ばれ、日光街道小山宿(喜沢追分)から壬生宿・鹿沼宿を経由して日光街道今市宿へ至る道。楡木宿〜今市宿間は日光例幣使街道と共通であり、この区間は日光例幣使街道と呼ばれている。会津西街道は、会津の若松城下から日光街道今市宿に至る街道。下野(しもつけ)街道 / 南山(みなみやま)通りともとも呼ばれていた。日光北街道は、奥州街道大田原宿(大田原城下)と日光街道今市宿を結ぶ脇街道。

追分地蔵堂 道標
桜杉から30分ほど杉並木道を進むと、119号線と合流する。さらに壬生道(日光西街道)と合流、三角地に追分地蔵堂がある。像高2mの石造地蔵は、室町時代頃の作と推定されている。空海(弘法大師)が大谷川含満ヶ淵の岸辺に造立、大水で流されて今市の河原に埋もれていたと云われている。今市七福神(恵比寿)になっている。境内に読み取れない道標がある。
追分地蔵堂からすぐの小倉町交差点を左折、5分ほどの突き当りにJR日光線・今市駅がある。