日光街道21次 No.11 東武宇都宮駅-(約15km)-石那田バス停
2014年 3月 3日(月)09:00 晴
東武宇都宮駅西側の10号線を北へ、すぐの池上町交差点を左折する。すぐのT字路交差点までは旧奥州街道の区間。T字路交差点は、旧日光街道と旧奥州街道の追分だったところ。旧日光街道は交差点を右折して、清住町通りを北へ進む。
大谷石塀 弥勒堂

三峯神社・八坂神社

清住町通りを進むと、すぐ右手に大谷石塀に黒漆喰の建物がある。すぐ左手に弥勒堂 / すぐ左手に三峯神社・八坂神社 と続く。

延命院山門 延命院本堂 延命院地蔵堂
三峯神社・八坂神社からすぐのT字路を右折して坂を下り、すぐに右折する。道なりに進むと、すぐ左手に文亀4年 / 永正元年(1504年)創建の延命院がある。蒲生君平が幼少のころ学問を学んだところで、山門右手に石標がある。享保年間(1716年〜1735年)建立の地蔵堂は、宇都宮市最古の木造建築物。

蓬莱大黒通り(旧日光街道)西側にある茅葺の報恩寺唐門は、寛永16年(1639年)建立と云われている。宇都宮市最古の木造建築物と云われている。

報恩寺唐門
宝勝寺 桂林寺 琴平神社
旧日光街道に戻り北へ進むと、すぐ左手に宝勝寺がある。鎌倉時代、宇都宮家7代・宇都宮景綱が蓮池の底より見つけ出した阿弥陀如来を安置するために建立した草庵が始まりと云われている。境内にある日限地蔵は、お産にご利益あるとされる。すぐの交差点右手に、応永3年(1396年)宇都宮家12代・宇都宮満綱によって創建された桂林寺がある。元和6年(1620年)現在地に移転する。境内に、蒲生君平の遺髪が分葬された墓がある。隣接した南側に、琴平神社 / 清住不動がある。
清住不動
桂林寺から旧日光街道を北西へ進むと、5分ほどに星が丘2丁目交差点がある。さらに5分ほどの交差点北西側の三角地に、神号碑「勝善(そうぜん)神」がある。勝善神は神道系の牛馬守護神、仏教系では馬頭観音になる。
古民家 勝善神
神号碑「勝善神」からすぐの戸祭交差点で119号線と合流する。戸祭交差点から15分ほどの上戸祭町交差点を過ぎると、左手に地蔵 / すぐ左手に薬師堂 と続く。
地蔵 薬師堂
薬師堂から15分ほどすると杉並木になるが、ところどころに杉以外の木も植えられている。旧日光街道は両脇に杉が植えられ、現在の車道が本来の街道。別に遊歩道が設けられているところが多く、歩きやすい。
遊歩道と街道間の並木
 
上戸祭一里塚
杉並木に入り5分ほどすると、両側に上戸祭一里塚がある。
上戸祭一里塚から20分ほどすると、左手に鎌倉時代に石塚の地に創建された玉塔院が始まりの光明寺がある。寛文11年(1671年)現在地に移転、改称した。徳川将軍日光社参詣時、休息所として利用された。文政8年(1825年)〜明治20年(1887年)寺子屋が開かれていた。
光明寺鐘楼門 光明寺本堂
光明寺から20分ほどすると、宇都宮IC入口交差点で119号線を潜る。この先の街道より高い所にある高谷林一里塚を見過ごして通過している。石那田バス停〜JR今市駅を歩く際、バスから場所は確認できた。宇都宮IC入口交差点から15分ほどすると、左手に地蔵がある。
地蔵

日光街道21次 18番 徳次郎(とくじら)宿
栃木県宇都宮市徳次郎町
天保14年(1843年)宿村大概帳
人口:653 家数:168 本陣:3 脇本陣:4 旅籠:72

上徳次郎宿 / 中徳次郎宿 / 下徳次郎宿の3宿から成る宿場町で、日光街道最大級規模の宿場であった。奈良時代、日光に勢力を持つ久次郎(くじら)一族が日光二荒山神社御神体を智賀都神社に分霊した。その折、日光の久次郎に対して、外久次郎(そとくじら)と称した事に由来する。
第六接合井 大谷道道標

地蔵から5分ほどすると、東北自動車道を潜る。すぐに下徳次郎のバス停があり、ここから下徳次郎宿となる。すぐ右手に一里塚の様に盛られたところに、第六接合井がある。日光街道には大正時代に26kmもの送水管が埋設された。浄水場から配水場まで高低差が240mもあり、送水管にかかる水圧を弱めるために途中6ヶ所に接合井が設けられた。これらの接合井は、昭和24年(1949年)の今市地震によりその大半が倒壊してしまった。第六号接合井だけは建設当時の姿を残しており、国登録有形文化財になっている。5分ほどすると、右手の植え込みに大谷道道標がある。大谷観音へ行く道が分岐していたが、現在は廃道となっている。

石造りの蔵 薬師堂 案内板からの徳次郎城跡
大谷道道標から15分ほどすると、左手に薬師堂がある。薬師堂の右手にある「右 山道 左 氏家・白沢道」と彫られた道標を兼ねた馬頭観音は、徳次郎城跡の麓にあったと云われている。すぐ右手に右手に徳次郎城跡案内板がある。徳次郎城は、戦国時代に宇都宮氏22代・宇都宮国綱の家臣・新田徳次郎昌言によって築城されたと云われている。慶長2年(1597年)宇都宮国綱の改易に伴ない、廃城となった。田川の西岸に造られた平城で、曲輪 / 土塁 / 空堀 が残る。所有者が一般個人であるため、立ち入ることは出来ない。
道標 石造りの蔵古民家 智賀都神社大ケヤキ
智賀都神社 旧日光街道杉並木 宇都宮市大網町入口石標
徳次郎城跡案内板から5分ほどの徳次郎交差点手前左手の小路に、欠けた「神社入口道五丁 田中道」道標がある。神社は奈良時代に創建された神明宮のこと。徳次郎交差点を越えると、大谷石の家が多くなる。徳次郎交差点から5分ほどすると、前方に樹齢700年 / 樹高40mの大ケヤキ2本と鳥居が見えてくる。智賀都神社の創建は、宝亀9年(778年)日光三社(二荒山神社祭神)の分霊を千勝森に勧請したのが始まりと云われている。徳次郎六郷の鎮守で、江戸時代には徳川家の崇敬社となり庇護されている。すぐの六本杉バス停を過ぎると、杉並木になった道の右手に「宇都宮市大網町入口」石標がある。
旧日光街道杉並木 六本木一里塚

宇都宮市大網町入口石標から10分ほどの杉並木が途切れた右手に、街道に背を向けた社がある。5分ほどの船生街道入口交差点の北西側に六本木一里塚がある。片側のみで、修復整備されたもの。塚には樹木はなく、石標が建てられている。道の反対側、左手に日光街道植樹記念碑 / 左手に十九夜塔と彫られた台座に天保11年(1840年)造立の如意観音 と続く。

日光街道植樹記念碑 如意観音
標柱 田川 石那田八坂神社

如意観音から10分ほどすると、右手に「二宮尊徳先生遺跡 石那田堰 100米」標柱がある。すぐの鎌倉街道入口交差点を越えると、田川に架かる田川橋を渡る。すぐ左手に石那田八坂神社がある。毎年7月17日〜24日の天王祭には、江戸時代から明治にかけて造られた彫刻屋台が繰り出す。すぐ右手に金精神(こんせいしん)の祠がある。すぐの石那田バス停から、JR宇都宮駅行きの関東バスに乗車する。

遊歩道からの旧日光街道 金精神