中山道69次 No.45 和田宿-(約23km)-下諏訪駅
2013年 7月20日(土)06:00 晴
上和田バス停 唐沢一里塚 三十三体観音 永代人馬施行所 広原一里塚 東餅屋跡 和田古峠 西餅屋跡 水戸浪人墓 樋橋茶屋本陣跡 御柱木落し坂 諏訪大社下社春宮 慈雲寺 下諏訪宿本陣跡 甲州街道合流点 下諏訪駅
JR上田駅から長久保行きのバスに乗車する。長久保バス停から南へ進むと、すぐに旧中山道に合流する。さらに142号線と合流、大和橋交差点から諏訪・白樺湖方面の152号線を進む。旧中山道はすぐに右折して大門川に架かる落合橋を渡るが、直進する。15分ほどすると、右手にある“民宿みや”で前泊する。152号線の反対側に、馬頭観音 / 馬頭観音 / 馬頭観音 / 廻国供養塔 / 地蔵 が並んでいる。送迎は実費で行ってくれる。以前は上和田バス停前に和田宿唯一の旅館、庄屋跡を利用した本亭旅館があった。2012年3月に廃業している。
石塔群
上和田バス停 旧屋号が架かる商店 高札場跡
和田上町バス停 不明の石塔 古民家

上和田バス停から南西へ進む。両側に並ぶ建物には、旧屋号が架けられている。上和田バス停から5分ほどすると、右手の上町バス停に高札場跡 / 和田上町バス停 と続く。5分ほどすると、左手に不明の石塔 / 鍛冶足バス停 / 公民館前バス停 と続く。

鍛冶足バス停 公民館前バス停
一里塚跡
大出バス停 登り切ると142号線に合流 ゴミ無し童地蔵
ドライブイン杉の屋 自動販売機 ビーナスライン・扉峠道標 扉峠口バス停
公民館前バス停から、すぐに142号線の和田鍛冶足交差点がある。渡ったところにある一里塚跡に、「中山道一里塚跡 江戸より50里」石標 / 「左松澤歩道 右諏訪街道」道標 / 歴史の道 中山道道標 / 中山道道標 / 標識が並んでいる。標識に従い、右折してすぐに左への細い道に入り大出集落に進む。すぐの大出バス停から、左に分かれる道を進む。5分ほどすると142号線に合流する。5分ほどすると「塩尻45km 下諏訪26km」標識 / 右手にゴミ無し童地蔵 と続く。5分ほどすると、ドライブイン杉の屋前に牛宿バス停 / ドライブイン杉の屋に和田峠への最後の自動販売機 がある。すぐ右手にビーナスライン・扉峠道標 / 左手にドライブイン和田宿 と続く。ドライブイン和田宿に茅葺の扉峠口バス停がある。下諏訪方面へのバスは男女倉口が終点であるが、特徴ある待合室はここで終わる。
一之橋 頌徳碑 常夜燈
馬頭観音 分岐 小川に架かる木橋
扉峠口バス停から5分ほどすると、依田川に架かる一之橋を渡る。さらに5分ほどすると、左手に頌徳碑 / 右手に常夜燈 と続く。道の反対側に馬頭観音と中山道標識があり左へ、坂を登る。突き当りを道なりに左へ進むと、すぐに中山道標識がある。右折して細い道を下ると、すぐに小川に架かる木橋を渡る。
 
唐沢一里塚
神号碑(山之大神) 線刻の石仏

御嶽山座王大権現

中山道道標 歴史の道 中山道道標

小川に架かる木橋から5分ほどすると、唐沢一里塚がある。左手に社 / 神号碑(山之大神) / 線刻の石仏 / 御嶽山座王大権現 / 中山道道標、右手に歴史の道 中山道道標 / 案内板 がある。坂を下ると、すぐに142号線と合流する。合流するところに、中山道唐沢一里塚石標 / 中山道標識がある。

142号線合流点
標識 観音沢今京坊跡 142号線分岐標識
休憩所
和田峠登り口 三十三体観音
142号線を5分ほど進むと、左手に「笠取峠16.3km 東餅屋(和田峠)4.3km」標識 / 右手に観音沢今京坊跡 / 観音沢バス停と続く。5分ほどすると、男女倉口バス停がある。すぐに142号線は左右に分岐、右へ進む。すぐに142号線は右にカーブするが、突き当りに旧中山道の和田峠登り口がある。歴史の道 中山道道標 / 中山道道標 / 案内板 がある。熊出没情報があり、鈴を取り付ける。すぐに急な登りとなり、すぐ右手に休憩所 / 鉄柵で囲まれた三十三体観音 がある。三十三体観音は中腹の荒廃した熊野権現社前あったものを、昭和48年(1973年)に発掘して移動したもの。
急坂 急坂の石畳 木立の坂
ゴミ無し童地蔵 中山道道標 接待湧水水呑場
馬頭観音
永代人馬施行所 歴史の道 中山道道標
三十三体観音から急坂になり、短い石畳になっているところもある。すぐに「接待800m 男女倉口800m」標識があり、10分ほどすると142号線に合流する。すぐ左手にゴミ無し童地蔵 / 中山道道標 / 接待湧水水呑場 がある。水を汲む車が停まっている。反対側に接待茶屋と呼ばれる嘉永5年(1852年)再建の永代人馬施行所がある。江戸の豪商が中山道の旅人の難儀を救おうと幕府に千両を寄付、文政11年(1828年)ここと碓氷峠に設置した。11月から3月まで峠を越える旅人に粥と焚火、牛馬には年中桶一杯の煮麦を施していた。明治3年(1870年)まで続けられた。永代人馬施行所の左手に3基の馬頭観音 / 接待(和田峠施行所)案内板と「歴史の道 中山道」石標 がある。
142号線から山道へ 常夜燈
「避難小屋500m」標識辺り 近藤谷一郎巡査 殉職の地 小川に架かる木橋
水飲場
避難小屋 石を敷き詰めた道
接待茶屋から142号線を進むと、すぐ先の右にカーブするところで道標に従い大きな石を跨いで山道に入る。すぐ右手に昭和55年(1980)に再建された常夜燈がある。ここにあった常夜灯は、嘉永4年(1851)の山津波で流されてしまったと云う。5分ほどすると、「避難小屋500m」標識 / すぐ右手に「近藤谷一郎巡査 殉職の地」がある。明治22年(1889年)近藤谷一郎巡査が護送中に逃走した犯人を捕まえようとこの付近の谷川で格闘となり、腹部を刺され殉職した。5分ほどの小川に架かる木橋を渡ると、すぐ右手に避難小屋と水飲場がある。ここから大きな石だらけの歩きにくい道が続く。
広原一里塚 キャンプ場炊事場
中山道道標 大衆食堂・東餅屋 東餅屋跡案内板
避難小屋から10分ほどすると、左側のみが残る広原一里塚がある。笹と萱が生い茂る広い原に造られていた。降雪期に雪で道が埋もれたとき、この塚が旅人の道標となった。すぐ左手のキャンプ場に、炊事場と屋外トイレが併設されている。すぐに道が数本集まる広場に、標識がある。すぐに142号線と合流して左折すると、左手に左手に中山道道標 / 左手に大衆食堂・東餅屋 / 右手に「東餅屋跡」案内板。がある。大衆食堂・東餅屋は廃墟の様な佇まいで、営業していない様子。東餅屋には5軒の茶屋があり、人馬の休息所となっていた。名物の餅を売っていた。寛永年間(1624年〜1643年)幕府より与えられた1軒1扶持(1日玄米5合)で、旅人の救助にあたっていた。鉄道開通後、5軒の茶店は全て店をたたんだ。
石畳 不明の石塔 水路併用のトンネル
東餅屋跡からすぐに142号線は右へカーブする。旧中山道はすぐの左斜めに分かれる石畳を登る。すぐに上り切り、142号線を横断して階段を登る。すぐ右手に不明の石塔(和田領……)があり、5分ほどすると標識があり左へ進む。左下に見える水路併用のトンネルで、194号線(ビーナスライン)を潜る。
頂上への道 賽ノ河原地蔵 歴史の道 中山道道標
中山道道標 不明の石塔 古峠案内板
 
御嶽山権現                  馬頭観音
水路併用のトンネルで194号線(ビーナスライン)を潜り、坂を登る。すぐに標識があり左へ、左上に194号線(ビーナスライン)のガードレールを見ながら道なりに進む。5分ほどすると標識があり、460号線(ビーナスライン)を横断する。すぐにふたたび460号線(ビーナスライン)を横断する。この地点が車で来られる場合、和田古峠に一番近い場所になる。10分ほどの坂道を登ると、夏草で覆われた和田古峠に着く。峠の広場右手(北側)に、賽ノ河原地蔵 / 案内板 / 「歴史の道 中山道道標 / 扉峠への標識 がある。左手(南側)に、中山道道標 / 不明の石塔 / 古峠案内板 がある。左手の高台に、御嶽山権現碑 / 馬頭観音 がある。標高1531mの古峠は、江戸時代を通じて諸大名の参勤交代や一般旅人の通行 / 物資を運搬する牛馬の往来で賑わった。ただ冬季は寒気も強く降雪量も多かったので、峠越えは想像を絶するものがあった。明治9年(1876年)東餅屋から旧トンネルの上を通って西餅屋へ下る紅葉橋新道が開通してから、この峠を通る人はいなくなった。頂上は、長和町と下諏訪町の境界になっている。
下諏訪方面 頭が欠けた石仏 道標
西餅屋跡
峠からの下山道は、登り口の反対側になる。短い草の道を進むと、道は段差のある急勾配の岩道で極端に狭くなる。斜面の崩れそうなところもある険しい道を下る。10分ほどすると、左手に頭が欠け苔むした石仏がある。和田宿側の標識は青い板であったが、下諏訪側は細い白杭が多い。夏草で覆われた岩道や草道は、細い白杭が目印となる。苔むした石仏から30分ほどすると、「和田峠0.9km 諏訪大社下社(秋宮)11.1km」道標がある。10分ほどすると、142号線を横断する。さらに10分ほどすると、右手の開けたところに西餅屋跡がある。小口茶屋本陣など4軒の茶屋があった。
一里塚跡 岩だらけの道
木立の道 モーテル 分岐
西餅屋跡からすぐに142号線を横断すると標識があり、階段を下り雑木林の岩道を下る。142号線を横断してから5分ほどの右手に、一里塚跡がある。5分ほどすると、岩だらけの道が続く。一里塚跡から20分ほど下ると、142号線に出て右折する。142号線を20分ほど進むと、左手に廃業したらしいモーテルがある。さらに5分ほどすると「水戸浪士の墓0.3km」標識があり、すぐの分岐を左へ進む。
浪人塚案内板 水戸浪士殉難石標 題目塔(観世音)
題目塔(南無阿弥陀仏)
和田領合戦百年祭之碑

浪人塚(水戸浪士の墓)

分岐から道なりに進むと、すぐに142号線をトンネルで潜る。道なりに擁壁沿いに進むと、すぐの左へカーブするところに公園がある。入口に浪人塚案内板 / 水戸浪士殉難石標、中程に題目塔(観世音) / 題目塔(南無阿弥陀仏),、奥に和田領合戦百年祭之碑 / 浪人塚(水戸浪士の墓)がある。元治元年(1864年)勤皇の志で西行した水戸浪士千余人と松本・諏訪(高島藩)連合軍千余人が戦ったところ。浪士たちは戦士した十数人をここに埋めて行ったが、高島藩は塚を作って祀った。墓には名前の判った6柱が刻まれている。
神社 樋橋茶屋本陣跡 中部北陸自然歩道道標
石塔群
天下の木落し坂石標 御柱
公園から142号線をトンネルで潜ると、会社敷地に和田峠下ってから初めての自動販売機がある。突当りで左折して道なりに進む。公園から10分ほどの左手に神社がある。すぐに142号線と合流して左折すると、すぐ左手に樋橋茶屋本陣跡がある。旧中山道は左へ進む書き込みが多く、歩道のない左側を歩く。樋橋茶屋本陣跡から15分ほどすると、鈴ヶ口バス停と「諏訪大社下社4km」標識 / 5分ほどすると町屋敷バス停 / 5分ほどすると萩倉口バス停 と続く。萩倉口バス停からすぐに「3.8km諏訪大社下社(秋宮) 和田峠8.2km」中部北陸自然歩道道標があり、左へ坂を登る。ここに出来れば中山道の表記が欲しい。すぐに坂を登り切ると、右手に中山道標識 / 突き当りに木落とし坂広場 / 広場入口左手に石塔群 がある。広場には、天下の木落とし坂石標 / 天下の木落とし坂案内板 / 御柱 がある。御柱木落し坂は142号線方向に、傾斜45度 / 斜面100mと崖の様な坂になっている。御柱祭は十二支の寅年と申年の6年に行われる。諏訪大社の上社本宮 / 上社前宮 / 下社春宮 / 下社秋宮 の4宮の4隅に御柱を曳いて建てる。長さ20m / 重さ10トンのモミの木を人力で曳行し、木の上に若者を乗せて木落とし坂を滑り落とす豪快な行事。
[迷い道]
旧中山道は、木落し坂広場左手を下る。人垣で標識が見えず、広場入口から、萩倉集落へ進んでしまう。すぐ右手に御柱追掛け網固定柱がある。御柱の木落としを行う際、御柱後部の網を固定し安全を確保するための予備の柱。5分ほどすると、右手に水車小屋跡 / 左手に水車小屋跡5ヶ所 / 左手に米守神社鳥居 / 右手に明治館製糸工場跡 / 左手に双対道祖神と不明の石仏 / 左手に水車小屋跡 と続く。水車小屋跡立札はすべて同じもの。
御柱追掛け網固定柱 水車小屋跡
米守神社鳥居 明治館製糸工場跡 双対道祖神 / 不明の石仏
道祖神 石塔群

木落し坂広場から30分ほどのところでナビで確認、道を間違えたことに気付く。木落し坂広場まで戻り、誰もいない広場左手の標識から下る。5分ほどすると、右手に道祖神 / 石塔群 がある。

中山道69次 29番 下諏訪(しもすわ)宿
長野県諏訪郡下諏訪町
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:1345人 家数:315 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:40

旧中山道最大の難所である標高1531mの和田峠の西口に位置、全国に1万余社の分社をもつ諏訪大社の下社(しもしゃ)門前町として賑わった。諏訪氏の城下町でもあり、甲州街道の分岐点がある。鎌倉時代から続く温泉は、旧中山道で唯一の温泉がある宿場。
慈雲寺 大社諏訪神社石標 宮坂道路改修記念碑
道祖神 / 石塔群 からすぐに142号線に突き当り、左折するとすぐに落合橋バス停がある。落合橋手前に「和田峠8.9km 諏訪大社下社(秋宮)3.1km」道標があり、左へ進む。10分ほどすると142号線に合流、「和田峠9.6km 諏訪大社下社(秋宮)2.4km」道標がある。すぐの住連掛(しめかけ)バス停から10分ほどすると、山の神バス停がある、さらに5分ほどすると、標識があり斜めに右へ進む。142号線の左前方に、慈雲寺が見える。諏訪大社春宮境内沿いに5分ほど進むと、右手に大社諏訪神社石標 / 宮坂道路改修記念碑 がある。道なりに左へ坂を下ると、すぐの三角地帯に「左 諏方宮 右 中山道」道標がある。
道標
[寄り道]諏訪大社下社春宮
鳥居 下馬橋 石塔群
 
神楽殿                          幣拝殿
「左 諏方宮 右 中山道」道標を鋭角に右折する。西へ道なりに進むと、右手に諏訪大社下社春宮の鳥居がある。参道を南へ進むと下馬橋がある。室町時代築の太皷橋で、下社で最古の建造物。身分に関わらず馬から下りて渡らなければならないとされ、現在は遷座祭において神輿のみが渡る。すぐ左手に石塔群がある。鳥居まで戻り境内を進むと、天和年間(1681年〜1684年)築の神楽殿 / 安永9年(1780年)築の幣拝殿(重文)がある。幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、秋宮と同じ構造。
諏訪大社は、諏訪湖を挟んで二社四宮が鎮座している。上社(かみしゃ)本宮(ほんみや)と上社前宮(まえみや)は諏訪湖南岸、下社(しもしゃ) 秋宮(あきみや)と下社春宮(はるみや)は北岸に位置している。上社と下社の社格に序列はない。創建年代は不明だが、日本最古の神社の1つと云われている。上社本宮 / 下社秋宮 / 下社春宮には本殿がない。上社本宮は拝殿後背林(御山) / 下社秋宮はイチイの神木 / 下社春宮は杉の神木 を神体としている。上社前宮は古くは上社摂社であった関係で本殿がある。上社本宮 / 下社秋宮 / 下社春宮には、2つの宝殿がある。宝殿の一方には神輿が納められている。御柱祭で御柱建て替え時に、神輿はもう一方へ遷座する。古い宝殿は建て替えられる。宝殿は12年ごとに建て替えられている。神輿が納められている宝殿は「神殿」と呼ばれて祭祀が行われる。もう一方は「権殿」と呼ばれる。
[寄り道]万治の石仏
万治の石仏正面
万治の石仏 下諏訪駅オブジェ
諏訪大社下社春宮幣拝殿から左へ進む。標識に沿って5分ほど進むと、万治3年(1660年)造立の“万治の石仏”がある。高さ2.5mの自然石に手や衣文が陽刻され、その上に仏頭を乗せている。諏訪大社下社春宮の鳥居を造るため、石にノミを入れると血が流れたと云われている。霊の宿る石であるとされ、阿弥陀如来を祀ったと云われている。岡本太郎が訪れて大絶賛したことにより有名となった。下諏訪駅改札口に万治の石仏オブジェがある。
石段左側 石段右側 龍の口
山門 鐘楼門 本堂
旧中山道に戻り南東へ進むと、すぐ左手に正安2年(1300年)創建の慈雲寺がある。長い参道の石段両脇に数多くの石塔 / 石仏がある。石段を登る右手に、龍の口から水が出る龍頭水口がある。通称“龍の口”呼ばれている。石段の途中にある山門を潜りさらに登ると、142号線と交差する。さらに山門を潜ると、安永8年(1779年)築の鐘楼門 / 奥に文化5年(1808年)再建の本堂がある。境内にも数多くの石塔 / 石仏がある。
一里塚跡 町並み 御作田社
常夜燈と番屋跡 中山道茶屋跡 町並み
龍の口からすぐの右手に一里塚跡 / 左手に御作田社 / 「春宮へ600m 秋宮へ600m」標識 / 右手に常夜燈と番屋跡 と続く。すぐに坂を登る手前右手の中山道茶屋跡に、今井邦子文学館がある。
地蔵の祠 水飲み場 / 地蔵 常夜燈 / 道標
 
来迎寺本堂                       銕焼地蔵堂
短い坂を登ると、左手に地蔵の祠 / 水飲み場と地蔵 / 交差する左手の三角地に常夜燈と「和田峠11.08km 諏訪大社下社(秋宮)0.2km」道標 と続く。左手に見える来迎寺に、銕焼(かなやき)地蔵堂がある。下諏訪の湯屋別当方に“かね”という娘が奉公していた。弁当を運ぶ途中、飯を地蔵に供えていた。怒った主人の妻が焼け火箸でかねの額を叩いた。泣きながら地蔵のもとに来ると、地蔵の額から血が流れ“かね”の額から傷が消えていた。美しく成長した“かね”の噂は都にも聞こえ、帝に召しだされることになった。後の和泉式部であると云う。和泉式部は地蔵を都に移し、守り本尊としていた。和泉式部没後、最明寺入道が和泉式部の草庵に泊まった折り、お告げがあって下諏訪の聖聚院(来迎寺)に移した。これが銕焼地蔵の伝承。
児宝地蔵
旅籠つる屋跡 本陣跡
来迎寺からすぐの左手に、下諏訪温泉共同浴場・遊泉ハウス児湯(こゆ)入口に児宝地蔵がある。和泉式部にまつわる銕焼地蔵のご利益で湧き出したと云われている。美人になり子宝に恵まれるとされ、江戸時代から続く三湯の一つ。すぐ左手に旅籠つる屋跡 / 左手に問屋も兼ねていた本陣跡 と続く。本陣跡には、建物の半分と旧中山道随一と云われた庭園が残されている。文久元年(1861年)皇女和宮が降嫁時に宿泊した。
甲州道中中山道合流之地 錦の湯 / 宿場問屋場跡  甲州道中終点 中山道下諏訪宿問屋場趾
本陣跡からすぐの丁字路は、旧中山道と甲州街道終点が合流するところ。左手に「下諏訪宿 甲州道中中山道合流之地」石標がある。駐車場奥に「錦の湯」石標 / 宿場問屋場跡 / 錦の湯案内板 / 「甲州道中終点 中山道下諏訪宿問屋場跡」石標が並んでいる。「甲州道中終点 中山道下諏訪宿問屋場趾」石標には、「右江戸へ五十三里十一丁 左江戸より五十五里七丁 正面京都へ七十七里三丁」と刻まれている。分岐点にある元禄3年(1689年)創業の桔梗屋は、広重も泊った旅館。
左方向:旧甲州街道 / 三角地帯:桔梗屋 / 右斜め方向と右方向:旧中山道
歴史民族資料館 道標 歌碑
本願寺 中山道下諏訪宿ゲート 注連縄オブジェ
旧中山道を南西へ進むと、左手に旧家を利用した歴史民族資料館 / 左手に道標 / 左手に歌碑 / 左手に本願寺 と続く。道なりに進むと、すぐに中山道下諏訪宿の提灯が架かるゲートを潜る。左手に巨大な注連縄オブジェがあり、合流する20号線を右折して西へ進む。5分ほどの下諏訪駅前交差点を左折すると、突き当りにJR下諏訪駅がある。