中山道69次 No.42 醒井駅-(約9km)-鳥居本駅
2013年 4月 4日(木)08:45 晴
醒井駅 一類狐魂等衆 茶屋道館 敬永寺 大日如来堂 本授寺 称名寺 赤玉神教丸有川家 合羽所 木綿屋 鳥居本駅
JR東海道本線・醒井駅から21号線の醒井駅前交差点を越えて南へ進む。すぐのY字路を右へ進む。すぐ右手に地蔵の祠 / 左手に祠 と続き、すぐに旧中山道と交差、右折して西へ進む。
地蔵の祠
十字路からすぐに21号線と合流、すぐの右手に一類狐魂等衆 / 左手に祠 と続く。一類狐魂等衆には、案内板 / 石標 / 地蔵の祠 が並んでいる。江戸時代には美談かも知れない話。
一類狐魂等衆
「中山道 阿南」道標 茶屋道館
祠から5分ほどの分岐に「中山道 阿南」道標があり、右へ進む。5分ほどすると右手に祠 / 左手に茶屋道館 / 右手に祠 / 右手に地蔵の祠 と続く。茶屋道館は歴史的資料を集め、中山道を旅する人の休憩所としての施設。土蔵が2棟もある旧家で長らく空家になっていたものを、自治会が買い取ったもの。
 地蔵の祠
町並み
     
 長屋門 町並み    敬永寺
地蔵の祠から5分ほどすると、左手に祠がある。すぐに21号線の樋口交差点を斜めに横断する。すぐ左手に祠、5分ほどすると右手に敬永寺がある。すぐ右手に案内地図があり、240号線に合流する。すぐに地図には記載のない北陸自動車道を潜る。すぐに右へ進むと、すぐの左手に久禮一里塚跡がある。
久禮一里塚跡
 
街道の桜

久禮一里塚跡からすぐに,、青空に映える桜並木が5分ほど続く。

中山道69次 62番 番場(ばんば)宿
滋賀県米原市
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:808人 家数:178 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:10

飛鳥時代から東山道の交通の要衝。鎌倉時代には既に宿の機能を果たしていた。江戸時代慶長年間に米原港が開設されると、中山道と湊を結ぶ深坂道が開通する。琵琶湖水運に乗り換えて京へ結ぶ近道への分岐点として宿場は繁栄した。番場の古称は馬場で、いつの間にか訛ったもの。

問屋場跡 「中山道 番場宿よ!!」道標
桜並木が終わると、すぐに番場宿に入る。右手に中山道番場宿問屋場跡石標 / 右手に祠 / 右手に「中山道 番場宿よ!!」道標 / 右手に「中山道 番場宿」道標 / 240号線を横断した右手に「米原 汽車汽船道」道標 と続く。慶長年間に米原に湊が築かれ、中山道と湊を結ぶ道が造られた。道標は明治22年(189年)東海道本線開通以後に造立されたもの。
「中山道 番場宿」道標 「米原 汽車汽船道」道標
中山道番場宿脇本陣跡 中山道番場宿問屋跡 中山道番場宿問屋跡
中山道番場宿本陣跡 中山道番場宿問屋跡 中山道番場宿問屋跡

「米原 汽車汽船道」道標から、すぐ右手に中山道番場宿脇本陣跡石標と中山道番場宿問屋跡石標 / 左手に壊れた中山道番場宿問屋場跡石標 / 右手に中山道番場宿本陣跡石標 / 右手に中山道番場宿問屋場跡石標 / 右手に中山道番場宿問屋場跡石標 と続く。米原湊への輸送中継地として、番場宿には6軒もの問屋があった。

地蔵の祠 「史蹟 蓮華寺」石標 「南北朝の古戦場 蓮華寺」標柱

中山道番場宿問屋場跡石標から、すぐの左手に地蔵の祠 / 左手に「史蹟 蓮華寺」石標 / 左手に 「境内在故六波羅鎮将北条仲時及諸将士墳墓」と「南北朝の古戦場 蓮華寺」標柱 と続く。蓮華寺は聖徳太子創建と云われ弘安7年(1284年)鎌刃城主・土肥元頼が再建。この地は南北朝時代の古戦場であったところ。元弘3年(1333年)足利尊氏に敗れ京都を追われた六波羅探題北条仲時が鎌倉に向かう途中、この地で京極道誉に塞がれる。北条仲時以下432名は蓮華寺本堂前で自刃した。住持・同阿上人が法名を与え、北条仲時以下432人を記載した「陸波羅南北過去帳」は重文。本堂裏に長谷川伸作「瞼の母」の主人公・番場の忠太郎地蔵があるが、番場の忠太郎は創作の人物。

法雲寺 直孝神社鳥居 地蔵の祠
大日如来堂 常夜燈の残骸 / 不明の石仏 / 祠 鎌刃城跡道標

「史蹟 蓮華寺」石標からすぐの右手に法雲寺 / 右手に直孝神社鳥居 / 左手に地蔵の祠 / 右手に大日如来堂 / 左手に不明の石仏と祠 / 左手に「鎌刃城跡 約2.0km」道標と鎌刃城跡案内板 と続く。鎌刃城の築城年は不詳であるが、文明4年(1472年)には既に存在していた。京極氏と浅井氏の国境を守る山城として築かれ、観音寺城 / 小谷城に次ぐ規模があったと云われている。天正2年(1574年)織田信長の直轄城となったが、その後まもなく廃城となった。

町並み 北野神社 「中山道 西番場」石標
地蔵の祠 地蔵の祠左側面 稱揚寺
鎌刃城跡道標から、すぐ右手に北野神社 / 左手に「中山道 西番場 古代東山道 江州馬場駅」石標 / 地蔵の祠 / 右手に稱揚寺 / 右手に本授寺 と続く。すぐに桜並木になり、すぐの左手に「鎌刃城跡 約2.0km」道標と「鎌刃城跡2.0km JR醒井駅4.8km 摺針峠2.3km 鳥居本宿3.5km」などが確認できる道標 / 「中山道 番場」道標 と続く。
本授寺
 
鎌刃城跡道標など
桜並木 「中山道 番場」道標
名神高速道路沿いの道 「番場 醒井」道標と「右中山道」道標
「摺針峠 彦根」道標 麿針一里塚跡 称名寺

「中山道 番場」道標から15分ほどすると、左手が名神高速道路沿いの道になる。すぐ右手に祠があり、5分ほどすると左手に「番場 醒井」「摺針峠 彦根」道標と「右中山道」道標がある。右へ摺針(すりはり)峠へ進む。5分ほどすると右手に麿針(すりはり)一里塚跡 / 左手に称名寺 / 左手に神明宮鳥居 と続き、石段を登ると摺針峠の頂上になる。

神明宮鳥居
神明宮鳥居から5分ほど下ると、右手に「中山道→」道標がある。薄暗い林の道を10分程進むと、舗装道に出て左折する。すぐ左手に「右中山道 擂針 番場」「左北国 米原 きの本 道」道標があり、8号線に合流する。すぐ左手に「右 中山道」道標がある。
「中山道→」道標
 
林の街道
「右中山道 擂針 番場」「左北国 米原 きの本 道」道標 「右中山道」道標

中山道69次 63番 鳥居本(とりいもと)宿
滋賀県彦根市鳥居本町
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:1448人 家数:293 本陣:1 脇本陣:2 旅籠:35

北国街道、朝鮮人街道の分岐点。宿名の由来は、日無神社の鳥居が海道に跨って建てられていたことによる。赤玉神教丸と雨合羽が名産であった。赤玉神教丸は下痢 / 食あたり / 腹痛に効く薬として街道で人気となり、爆発的に売れた。現在も販売されている。雨合羽は和紙に紅殻を混ぜた柿渋を塗ることで防水性と保温性を高めた。旅人に人気があり、15軒もの店があった。随所に宿場の雰囲気が漂う。
「おいでやす 彦根市へ」モニュメント 古民家 地蔵の祠
地蔵の祠 町並み 赤玉神教丸有川家

「右 中山道」道標から左へ進むと、すぐ左手に「おいでやす 彦根市へ」モニュメントがある。5分ほどすると宿場の雰囲気が漂う町並みが続く。左手に地蔵の祠 / 右手に地蔵の祠 / 右手に万治元年(1658年)創業の赤玉神教丸有川家 / 右手に有川薬局 と続く。有川家の建物は宝暦年間(1751年〜1764年)築。赤玉神教丸はここで製薬された、赤色の5mmほどの丸薬。下痢 / 食あたり / 腹痛に効く薬として街道で人気となり、爆発的に売れた。現在も販売されている。

有川薬局
町並み 湖東焼・自然斉住居跡 町並み
合羽所・木綿屋 合羽所・木綿屋設置のスタンプ
有川薬局から突き当りを左へ進むと、すぐ右手に湖東焼・自然斉住居跡 / 右手に天保3年(1832年)創業の合羽所・木綿屋 / 左手に旧本陣跡案内板と標識 と続く。雨合羽は和紙に紅殻を混ぜた柿渋を塗ることで防水性と保温性を高めた。旅人に人気があり、15軒もの店があった。旧本陣跡からすぐの丁字路を右折すると、突き当りに近江鉄道・鳥居本駅がある
旧本陣跡 近江鉄道・鳥居本駅