中山道69次 No.40 愛知川駅-(約10km)-武佐駅
2013年 3月14日(木)08:30 曇り
愛知川駅 河脇神社 郡分延命地蔵堂 祇園神社 正眼寺 清水鼻の名水 奥石神社 東光寺 西願寺 牟佐神社 武佐駅
愛知川駅 郵便ポスト
近江鉄道・愛知川駅前に、愛知川伝統工芸・瓶手毬の形をした郵便ポストがある。江戸時代の終わりに遡り、愛知川町に残る最古の瓶手毬は天保年間(1840年頃)のもの。
近江鉄道・愛知川駅から北東へ進む。すぐの十字路を左折する。愛知川駅から5分ほどすると左手に勝光寺 / 左手に堂 と続く。
勝光寺
旗神豊満大社道標 河脇神社参道の石仏 河脇神社
歓迎 中仙道愛知川宿ゲート 地蔵堂 延寿寺
蓮泉禅寺入口の地蔵 蓮泉禅寺 近江商人亭

すぐに旧中山道に合流、鋭角に左折して南西へ進む。三角地帯に旗神豊満大社道標がある。近江鉄道・愛知川駅の南にある神社で、神功皇后軍の軍旗を祀って創建されたと云われている。すぐの右手に、河脇神社がある。参道を進むと左手の祠に石仏2基、突き当りに社殿がある。すぐの「歓迎 中仙道愛知川宿」ゲートを潜ると、左手に地蔵堂 / 左折するとすぐ右手に延寿寺がある。地蔵堂の反対側右手に蓮泉禅寺 / 参道入口左手に地蔵がある。すぐ左手に、麻織物商を営んでいた田中家別邸を利用した近江商人亭がある。

中山道69次 65番 愛知川(えちがわ)宿
滋賀県愛知郡愛荘町(旧愛知川町)
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:929人 家数:199 本陣:1 脇本陣:2 旅籠:28
愛知川の東岸に位置している。南北朝時代の1370年頃までに成立したと言われている太平記にも記載されている東山道の宿駅で、中山道の宿駅として踏襲された。宿場町であるとともに近江商人の町でもあり、近江商人発祥の地の一つ五個荘(ごかしょう / ごかのしょう)がある。山前荘に主要な荘園が五個所在していたことに由来する。近江商人は天秤を担いで近江の産物を全国に売り歩き、帰りには他国の品々を上方で売りさばいていた。江戸時代後期から昭和初期にかけて多くの商人が発生、成功して財を成した商人の屋敷や庭園などが残る。愛知川宿の名産は高宮宿と同様に近江上布で、近江商人によって全国に売りさばかれた。愛知川伝統工芸・瓶手毬は、江戸時代の終わりに遡る。愛知川町に残る最古の「びん細工手まり」は天保年間(1840年頃)のもの。
町並み
愛知川宿北入口道標 郡分延命地蔵堂
近江商人亭からすぐの右手に郡分延命地蔵堂 / 愛知川宿北入口道標 / 地蔵堂の右脇に多くの石仏 がある。すぐの交差点を右折して西に進むと、すぐ左手に愛知川郵便局がある。風景印は、愛知川 / 豊満神社四脚門(重文) / 常夜灯 の図柄になっている。
愛知川郵便局風景印
黒塗り書状集箱 木曽街道六拾九次之内 恵智川愛知川宿 中山道愛知川宿道標
交差点まで戻り、旧中山道を南西に進む。横断した左角に明治4年(1872年)郵便創業時の物を再現した現役の黒塗り書状集箱 / 広重・木曽街道六拾九次之内 恵智川愛知川宿 / 中山道愛知川宿道標 がある。
等覚寺 本陣跡
八幡神社 竹平楼 中山道 愛知川宿ゲート

交差点からすぐの右手に等覚寺 / 右手の街路灯に本陣跡標識 / 右手に八幡神社 / 左手に宝暦8年(1758年)創業の“旅館竹の子屋”を利用した料理旅館・竹平楼 と続く。すぐに不飲川にかかる不飲川橋を渡り、中山道 愛知川宿ゲートを潜る。北側の愛知川宿ゲートは「中仙道」になっている。不飲川は、水として飲めなかったことが由来となっている。上流で平将門の首を洗って水が濁った / 戦国時代この川に多くの死者が横たわっていて飲めなかったからと云われている。

地蔵の祠 祇園神社 常夜燈
中山道 愛知川宿ゲートからすぐに8号線に合流する。5分ほどの愛知川に架かる御幸橋手前を左へ進む。左手の広場に地蔵の祠 / 隣接して祇園神社 / 境内に弘化3年(1846年)造立の常夜燈 がある。
祇園神社からすぐに愛知川突き当たる。以前はここに橋があったが、明治11年(1878年)御幸橋に架け替えられた。突き当たりを右折、すぐの御幸橋北交差点を左折して御幸橋を渡る。南側に近江鉄道鉄橋がある。御幸橋を渡り、すぐの簗瀬(やなせ)北交差点を左折して近江鉄道の踏切を渡る。すぐ右手に文政8年(1825年)造立の太神宮常夜燈がある。
近江鉄道鉄橋 太神宮常夜燈
太神宮常夜燈から分岐を右へ進むと、すぐ左手に愛宕神社 / 右手に東嶺禅師御誕生地石柱 と続く。東嶺禅師は「臨済宗中興の祖」と呼ばれる「白隠禅師」のもとで修行した人物。
愛宕神社 東嶺禅師御誕生地
古民家 善住寺
東嶺禅師御誕生地石柱からすぐの近江鉄道踏切を渡ると、すぐ左手に五個荘駅への道標 / 左手に堂 / 右手に聖徳太子御忌跡石柱のある善住寺 と続く。御忌(ごき)とは、高貴な人や祖師などの年忌の法会(ほうえ)のこと。
山王神社 長寶寺 「左いせ 右京みち」道標
古民家 常夜燈 正眼寺
善住寺からすぐ右手の小幡神社御旅所に山王神社 / 右手に長寶寺 / 左手に「左いせ 右京みち」道標 と続く。すぐ分岐に常夜燈と休憩所があり、右へ進む。右手に安南(ベトナム)国書と呼ばれる御朱印状が保存されている正眼寺がある。
大同川 中山道道標
正眼寺からすぐに大同川に架かる橋を渡る。渡り終える手前左手に中山道道標がある。丁字路を道なりに左へ進む。すぐ右手に五個荘郵便局がある。風景印は、蔵屋敷の街並み / 往時の近江商人 の図柄になっている。
五個荘郵便局風景印
中山道分間延絵図五個荘
中山道寸景 古民家 常夜燈

五個荘郵便局から5分ほどすると、右手に堂 / 左手の公園に文化3年(1806年)江戸幕府作成「中山道分間延絵図五個荘」看板 / 民家の玄関先に鐘 と続く。公園から5分ほどの左手に常夜燈がある。

市田邸跡 蓮光寺
大郡神社 古民家 金毘羅大権現常夜燈
古民家
若宮八幡宮 三十二番かんおん道道標 千手観音

常夜燈から5分ほどすると左手に堂 / 右手に市田邸跡 / 右手に蓮光寺 / 右手に大郡神社鳥居 と続く。すぐの209号線との交差点を越えた右角に、大名や公家が休憩した茅葺屋根旧家と金毘羅大権現常夜燈 / 右手に社 / 左手に社と若宮八幡宮 / 左手に「三十二番かんおん道」道標と続く。西国三十二番札所・観音正寺への道標で、千手観音が乗っている。

「三十二番かんおん道」道標から5分ほどすると、8号線と合流する手前右手に天秤を担いて行商している近江商人銅像の旧中山道モニュメントがある。
近江商人銅像モニュメント
近江商人銅像モニュメントからすぐに8号線と合流する。最初の交差点を右折、すぐの五個荘清水鼻町自治会館前を左折する。すぐ右手に日枝神社石段 / 右手に清水鼻の名水 と続く。敷地に常夜燈や 石仏などがある。屋根のある井戸からは、現在も清水が湧き出ている。近江商人銅像モニュメントから清水鼻の名水まで5分ほどである。
日枝神社石段
常夜燈
石仏3基 清水鼻の名水
浄敬寺 常夜燈 神号碑(愛宕大神)
清水鼻の名水からすぐ右手に浄敬寺がある。5分ほどの分岐に標識があり左へ進むと、すぐ右手に常夜燈と神号碑(愛宕大神)がある。
中山道東老蘇道標 地蔵 奥石神社道標
奥石神社道標 奥石神社鳥居

すぐの突当りを右折、前方に見える東海道新幹線ガード方向へ進む。新幹線に並行する8号線と合流する。新幹線ガード下を潜ると「←奥石神社 観音正寺→」標識があり、次の交差点を左折する。神号碑(愛宕大神)と常夜燈から15分ほど掛かる。交差点に信号機がなく、地下道を潜る。すぐ左手に中山道東老蘇道標 / 右手に屋根が後ろに吹き飛んでいる地蔵 / 右手に奥石神社道標 / 右手に社 と続く。奥石神社道標には、正面に「200m先表参道」 / 右側面に「東参道」と彫られている。奥石神社道標から5分ほどすると、右手に奥石神社鳥居がある。奥石神社背後の森は、国史跡・国名勝に指定されている老蘇(おいそ)の森。昔この一帯は地面が裂け水が湧き出して、人の住める土地ではなかったと云われている。 孝霊天皇5年(紀元前286年)石辺大連(いしべのおおむらじ)が松 / 杉 / 檜などの苗を植えたところ、たちまち森林になったと云われている。石辺大連は百数十歳を過ぎても若く元気だったことから「老蘇」と称され、この森を「老蘇の森」と呼ぶようになった。 石辺大連が「老蘇の森」と呼ばれたことに感謝して社檀を築いたのが、神社の始めと云われている。

中山道東老蘇道標 常夜燈 轟地蔵跡
常夜燈 / 地蔵 常夜燈

奥石神社鳥居からすぐ左手に中山道東老蘇道標 / 左手に常夜燈 と続く。すぐに轟川に架かる轟橋の手前右手に、轟地蔵跡 / 案内板 / 常夜燈 / 地蔵6基 がある。轟地蔵は現在、福生寺にある。轟橋を渡ると左手に常夜燈 / 右手に社 / 右手に安土老蘇郵便局 / 交差点の手前右角に中山道大連寺橋道標 と続く。安土老蘇郵便局の右手奥一帯は、織田信長の居城のあった安土。

中山道大連寺橋道標
鎌若宮神社鳥居 古民家
長屋門 東光寺
 
古民家
町並み

中山道大連寺橋道標から10分ほどすると、右手に奥石神社の若宮として勧進したとも云う鎌若宮神社鳥居 / 右手に社 / 右手に平安時代後期作の阿弥陀如来がある東光寺 / 右手に堂 と続く。5分ほどすると、右手にしめ縄が目立つ社がある。

西願寺 西生来一里塚跡

社から5分ほどすると、左手に堂 / 左手に泡子地蔵がある西願寺 / 右手に西生来一里塚跡 と続く。茶店の娘が旅の僧が飲み残した茶を飲んだところ懐妊、子供が生まれる。3年後再び訪れた僧は話を聞き、息を吹きかけとたん泡となり消えてしまったと云う。僧は西の方にある「あら井」の池の中に地蔵があるので、安置する様に言ったのが泡子地蔵。

中山道69次 66番 武佐(むさ)宿
滋賀県近江八幡市
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:537人 家数:183
南北朝時代の1370年頃までに成立したと云われている太平記に登場する武佐寺(現在は廃寺)の門前町で、宿名にもなった。古くから南は伊勢へ通じる八風街道、北は豊臣秀次が開町した八幡町への八幡街道の分岐点として賑わった。
牟佐神社 廣済寺参道 武佐町会館(脇本陣跡)
町並み 宿役人宅・大橋家 武佐郵便局
西生来一里塚跡から5分ほどすると、右手木立の森に牟佐神社がある。市神大明神とも呼ばれ、宿の氏神様として信仰されていた。5分ほどすると、左手に推古天皇2年(694年)創建の廣済寺参道 / .右手の脇本陣跡に武佐町会館 / 左手に400年以上歴史をもつ元商家で宿役人宅の大橋家 / 右手に往時の書状集箱を模した郵便ポストがある武佐郵便局 / 右手に本陣跡 と続く。武佐郵便局のところも本陣跡で、かつ伝馬所跡だったところ。
本陣跡
「いせ ミな口 ひの 八日市道」道標 「安土浄厳院道」道標 愛宕山常夜灯 / 神号碑(愛宕神)
「武佐寺長光 是より三丁」道標 神号碑(愛宕神) / 愛宕山常夜灯 双体道祖神

本陣跡からすぐ左手に、文政4年(1821)造立の「いせ ミな口 ひの 八日市道」道標 / 右手に「安土浄厳院道」道標 / 右手に愛宕山常夜燈と神号碑(愛宕神) / 左手に「武佐寺長光 是より三丁」道標 / 右手に神号碑(愛宕神)と愛宕山常夜燈 / 左手に双体道祖神 / 近江鉄道・武佐駅 と続く。「いせ ミな口 ひの 八日市道」道標は、ここから八日市へ通じていた。鈴鹿山系八風峠を越えて伊勢へ続いていたので、八風街道と呼ばれていた。