中山道69次 No.36 垂井駅-(約6km)-関ヶ原駅
2012年12月13日(木)07:40 晴
垂井駅 南宮大社大鳥居 本龍寺 垂井一里塚 野上七つ井戸 若宮八幡神社 関ケ原駅
旅籠丸亀屋
問屋場跡 南宮社大鳥居
JR垂井駅より234号線を北西へ、5分ほどの突き当りを左折する。旧中山道を西へ進むと、枡形の突き当りに安永6年(1777年)築の旅籠丸亀屋がある。左に折れると、すぐ左手に金岩家問屋場跡 / 交差点の左手に南宮社大鳥居(重文)と続く。旅籠丸亀屋は、浪花講や文明講の指定旅籠であった、大鳥居は寛永19年(1642年)三代将軍・徳川家光の寄進により南宮社が再建されたとき、約400両で石屋権兵衛が建立した。大鳥居の左側に「南宮社八町」と彫られた道標がある。一町は109.09m、八町は872.72mになる。鳥居の西側辺りに、脇本陣があったと云われている。
道標
旧旅籠長浜屋 油屋卯吉の家 本龍寺
西の見付跡 愛宕神社 八尺堂地蔵道道標

南宮大社大鳥居からすぐ右手に旧旅籠長浜屋 / 左手に文化末年(1817年頃)築の油屋卯吉の家 / 右手に本龍寺 / 左手に西の見付跡 / 左手に愛宕神社 / 左手に八尺堂地蔵道道標 と続く。油屋卯吉の家は土蔵造りに格子を入れ軒下には濡れむしろを掛ける釘をつけるなど、宿場時代の商家の面影を残す建物。本龍寺の山門は、明治時代に脇本陣の門を移築したもの。西の見付は宿場の西入口で、東の見付までは766mあった。八尺堂地蔵は地下八尺から掘り出された大日如来石像を、八尺四方の堂を建立して祀ったと云われている。

町並み 地蔵 松島稲荷神社
西の見付からすぐに前川に架かる橋を渡ると、道は左へ曲がる。曲がる途中の右手に地蔵、すぐ左手に松島稲荷神社 / 右手に不明の石塔と地蔵 と続く。5分ほどすると東海道本線踏切を渡り、日守交差点で21号線を斜めに横断する。すぐ左手に「南宮近道八町」と彫られた道標がある。
不明の石塔 / 地蔵 道標
日守の茶所 西濃新四国四拾五番札所 弘法大師 地蔵
道標から5分ほどすると、左手に日守の茶所 / 垂井一里塚と続く。日守の茶所は、関ヶ原山中にあった秋風庵を明治になって移築したもの。大垣新四国八十八ヶ所弘法45番札所になっており、「西濃新四国四拾五番札所 弘法大師」と彫られた石柱がある。左手に地蔵の祠がある。垂井一里塚は南側のみであるか、ほぼ完全な形で残っている。東京都板橋区にある志村一里塚とともに、中山道の国指定文化財の一里塚。この辺りが、浅野長政嫡男・浅野幸長陣跡(東軍)。
垂井一里塚
中山道垂井宿案内板 道標 町並み
伊冨岐神社鳥居 町並み 野上七つ井戸
垂井一里塚からすぐの21号線の日守西交差点を直進する。すぐに道は左へ折れ、21号線と並行する道を進む。5分ほどすると左手に中山道垂井宿案内板 / 左手に「これより中山道 関ヶ原宿野上 関ヶ原町」道標と続く。野上は間(あい)の宿だったところ。すぐの21号線バイパスを越え、5分ほどすると右手に伊冨岐神社鳥居がある。5分ほどすると 右手に野上七つ井戸がある。
山内一豊陣跡
関ヶ原宿道標 松並木
野上七つ井戸から10分ほどすると、松並木が始まる。すぐ右手に山内一豊陣跡(東軍) / 左手に関ヶ原宿道標 / 左手に六部地蔵 と続く。六部または六十六部は、日本廻国大乗妙典六十六部経聖(ひじり)の略称。法華経六十六部を写経,日本全国六十六ヵ国に納経するために廻国した。江戸時代になると、全国社寺を巡礼して修業している人を言う様にもなった。宝暦11年(1761年)読経して行脚中の行者がこの地で亡くなり、里人が祠を建立したと云われている。
六部地蔵
[寄り道]徳川家康最初陣地跡
若宮八幡神社 地蔵 真念寺
 
秋葉神社 山内一豊出世の松
日守西交差点を左折して21号線を進む。5分ほどすると左手に若宮八幡神社石柱、奥に鳥居が見える。社殿は東海道新幹線を越えたところにある。車道は除雪しているが、歩道は雪が積もったままの21号線を進む。若宮八幡神社石柱から5分ほどすると、右手に地蔵の祠 / 左手に真念寺 と続く。5分ほどすると右手に秋葉神社、さらに5分ほどすると右手に天下茶屋がある。すぐ右手に案内看板があり、右下方に山内一豊出世の松がある。右前方に旧中山道の松並木が見える。5分ほどすると左手に徳川家康最初陣地 跡がある。すぐの関ヶ原野上歩道橋で旧中山道と合流する。  
徳川家康最初陣地 跡
町並み 地蔵 若宮八幡神社
六部地蔵から5分ほどすると、関ヶ原野上歩道橋で21号線に合流する。すぐの一ツ軒交差点横断してから右折、JR東海道本線ガード手前を左折して細い道を進む。5分ほどすると右手に地蔵の祠、すぐに21号線と合流する。5分ほどすると、右手に関ヶ原の戦いのときに社殿が焼失した若宮八幡神社 / 右手に法忍寺 と続く。
法忍寺 町並み
関ヶ原駅前交差点を右折すると、すぐ右手に由緒がありそうな古民家がある。すぐにJR関ヶ原駅がある。
古民家 JR関ヶ原駅
中山道69次 58番 関ヶ原(せきがはら)宿
岐阜県不破郡関ケ原町
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:1389人 家数:269 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:33

伊勢神宮に通じる伊勢街道 / 長浜や越前に通じる北国脇往還へ分岐する交通の要衝として賑わった。天武天皇元年(672年)壬申の乱の戦場となり、その後天武天皇の命で不破の関が置かれた。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの地。宝暦10年(1760年)の大火で宿が焼失、復興にあたり道幅を倍に拡張した。道の中央に水路を設け、両側に梅 / 桃 / 柿などを植えて防火対策を講じた。当時の宿場の名残りは殆ど残っていない。

柏原駅までの予定であったが、積雪のため関ヶ原駅で断念する。