中山道69次 No.31 名鉄・御嵩駅-(約13km)-太田宿
2012年10月25日(木)08:05 晴
御嵩駅 鬼首塚遺跡 上恵土神社 龍洞寺 富士浅間神社 太田橋 太田稲荷神社 祐泉寺 脇本陣 太田宿中山道会館

名鉄・御嵩駅から左折、21号線方向に北へ進む。すぐ左手に神明神社、すぐの十字路に標識がある。

御嵩駅 神明神社
[寄り道]愚渓
愚渓山門
愚渓本堂 石庭
十字路を直進すると神明神社から5分ほどで、21号線に突き当る。左折して御嵩小学校の角を右折して坂を登ると、右手に応永3年(1396年)創建の愚渓(ぐけい)寺がある。創建時は鈴が洞にあり愚渓庵と称していたが、永正3年(1506年)愚渓寺に改称された。天保年間(1830年〜1844年)に現在地に移され、京都・竜安寺の庭園の原形になったとも云われる石庭が忠実に再現された。
町並み 常夜燈 秋葉常夜燈
旧中山道は十字路を左折する。5分ほどの御嵩中郵便局手前の十字路南西側に、常夜燈があり右折する。すぐ右手に常夜燈があり、21号線の中交差点を左折する。すぐ右手に不明の道標 / 右手に鬼首塚遺跡と続く。鎌倉時代の建久年間〜正治年間(1190年〜1200年)の頃、鬼岩の岩窟に住み着き乱暴狼藉の限りをつくしていた悪党がいた。西美濃不破ノ関生まれだったため、“関の太郎”とか“鬼の太郎”と呼ばれ恐れられていた。住民の願いにより地頭・交告源吾盛康は家来4人を京より派遣、蟹薬師祭礼の日に女装をして現れたところを討ち取る。首を首桶に入れて京に運ぼうとしたが、首桶の縄が切れて中から首が転げ落ちたため首を埋めたと云われている。左手に子規句碑「草枕むすぶまもなく うたたねの ゆめおどろかす野路の夕立」がある。
不明の道標
子規句碑
鬼首塚遺跡  鬼首塚
御嶽神社 八幡神社石柱 不明の堂
比衣一里塚跡 集落 中山道道標
鬼首塚遺跡から5分ほどの大庭交差点手前角右手に、御嶽神社がある。社殿の左手に開教壱百年大祭記念碑 / 常夜燈、右手に清嶽覚直霊神 / 覚清心霊神 / 覚済心霊神 の石柱や石塔がある。すぐに標識があり、右へ進む。5分ほどすると、再度21号線と合流する。すぐ右手に延長8年(930年)創建の八幡神社石柱 / 不明の堂と続く。5分ほどすると、右手に比衣一里塚跡があり右へ進む。10分ほどの突き当りに中山道道標があり、左折する。すぐ右手に「左 伏見宿 右 御嶽宿」道標があり、21号線に合流する。
道標
中山道69次 50番 伏見(ふしみ)宿
所在地:岐阜県可児郡御嵩町
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:485人 家数:82 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:29
木曽川の流れが変わり、土田の渡し場は上流の今渡の渡し場に移動となる。元禄7年(1694年)土田宿は廃宿となり、間の宿であった伏見宿が宿場に格上げになった。伏見宿北を流れる木曽川の新村湊船着場は、物資輸送の重要な拠点であった。多くは農業従事者であったため、苦しい宿場経営で毎年助成金を受けていた。寛延3年(1750年)の大火で、防火のため道幅を広げる。宿場は寂れ潰れる家もあったと云われている。当時の名残りを残すものは殆どない。
伏見宿本陣之跡 伏見宿道標
「左 伏見宿 右 御嶽宿」道標から5分ほどすると標識があり右へ進む。21号線に沿う様に進むとすぐに21号線に合流する。すぐ右手に社が2社、左手の伏見公民館敷地に伏見宿本陣之跡 / 伏見宿道標 / 尾張藩領界石「是よ里東尾州領」がある。伏見宿本陣は、道の反対側にあったと云う。尾張藩領界石は、西坂にあったものを移設したもの。
尾張藩領界石
町並み 常夜燈 / 社 題目塔

尾張藩領界石から5分ほどすると、右手に常夜燈と社 / 右手に題目塔(南無阿弥陀仏) / 左手に子規歌碑「すげ笠の生国名のれ ほととぎす」と続く。題目塔は、槍ヶ岳を開山した播隆上人が造立したもの。播隆上人は槍ヶ岳の開山を志し、文政11年(1828年)辛苦を重ねて登頂する。以来5回に渡り登山する。多くの人が安全に登山ができる様に、槍ヶ岳の岩壁に鉄鎖を懸けるための浄財集めに尽力をした。天保11年(1840年)にその念願がかなえられ、槍ヶ岳の開山となった。

子規歌碑
道標 弘法堂 上恵土神社
子規歌碑から5分ほどの上恵土交差点を渡ると、左手に大正4年(1915年)造立の道標がある。正面に「左 多治見及大山ニ至ル約四里」 / 右側面に「右 太田渡ヲ經テ岐阜市ニ至ル約九里」 / 左側面に「御大典記念」と彫られている。さらに5分ほどすると、右手に弘法堂 / 右手に鳥居に諏訪神社と神明神社の額が架かる上恵土(かみえど)神社と続く。
上恵土神社からすぐに21号線は左へ曲がるが、旧中山道は直進する。5分ほどすると再度21号線と合流する。5分ほどすると右手の中恵土地下道入口左手に一里塚跡がある。実際には約30m東にあったと記されている。
中恵土地下道入口 一里塚跡
辞世塚 妙見大菩薩 御料地払下開墾記念碑
交差点を直進、10分ほどの可茂公設市場交差点を右折、道なりに進む。可茂公設地方卸売市場前を通り、21号線と並行するの道を進む。可茂公設市場交差点から5分ほど、右手に灯篭1基と石塔5基の辞世塚がある。すぐにJR太多線中仙道踏切を横断する。5分ほどすると、右手に妙見大菩薩と御料地払下開墾記念碑が並んでいる。さらに5分ほどすると、左手の東住吉自治会館前に秋葉神社がある。
秋葉神社
今渡神社鳥居 古民家 龍洞寺
龍の枕石 分岐 富士浅間神社

21号線の住吉交差点を直進する。秋葉神社から10分ほどのところ、右手に今渡神社鳥居がある。10分ほどすると、右手に龍洞寺がある。境内に雄雌の龍神の寝枕であったと云われる龍の枕石がある。すぐに分岐があり右へ進む。直進する道は、江戸中期まで使われていた土田の渡し場と土田宿へ通じる古中山道。木曽川の流れが変わり、上流側に今渡の渡し場と太田宿が作られ、土田の渡し場と土田宿は廃止された。すぐ右手に富士浅間神社があり、前方に木曽川に架かる青い太田橋が見えてくる。

古民家

太田橋手前右手に、常夜燈と太田の渡し案内板がある。中山道の難所で、昭和2年(1927年)太田橋が架けられるまで利用されていた。こちらの岸を今渡の渡し場、対岸を太田の渡し場と呼んでいた。実際の今渡の渡し場の跡は、橋から下流へ250mほどのところあった。太田橋のワーレントラス橋部を渡り、右折して下ると日本ライン下り乗船場がある。広場で昼食を摂る。

常夜燈 / 太田の渡し案内板 / 太田橋
木曽川の土手 太田橋ワーレントラス橋

太田橋に戻り、川が流れていないもうひとつの太田橋を渡る。木曽川の土手を進むが横断歩道がなく、御門町交差点で横断Uターンする。化石公園入口から木曽川の土手を進む。平成6年(1994年)木曽川河床から約1900万年前の樹木の化石群が発見され、整備して化石林公園となっている。振り返ると、太田橋のワーレントラス橋部が見える。化石公園入口から10分ほどすると、右手の土手下の文化会館前に古井一里塚跡がある。

古井一里塚跡
岡本一平終焉の地 神号碑群
太田宿への経路は複数存在する。案内板や中山道太田宿パンフレットの経路を辿る。一里塚跡から文化会館前を直進、木曽川沿いの土手を進む。すぐ右手に岡本一平終焉の地 / 右手の土手下に神号碑群と続く。岡本一平は漫画家・小説家。津藩に仕えた儒学者・岡本安五郎の次男、岡本太郎の父。神号碑は左から、山神 / 天満太神・神明神社 / 秋葉神社 / 御嶽神社 / 水神 と並んでいる。すぐに右折、すぐの十字路を1245左折して宿場通りを進む。この十字路で、文化会館角を右折して飛騨街道追分を経由する道との合流する。
道標 町並み 神明水神公園
一里塚跡から文化会館の角を右折して北へ進む。5分ほどすると21号線と交差、左折して西へ進む。5分ほどの六差路の神明堂交差点手前右手、飛騨街道追分に「左 飛騨高山 右 東亰善光寺」道標がある。神明堂交差点を斜めに南西方向へ進む。すぐ左手に神明水神公園 / 左手に法華経塚 と続く。すぐの十字路で文化会館がら直進してくる旧中山道が左から合流する。
法華経塚

中山道69次 51番 太田(おおた)宿
所在地:岐阜県美濃加茂市
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:505人 家数:108 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:20

尾張藩領で、天明2年(1782年)太田代官所が置かれた。恵那から鵜沼までの約4.5万石の村々を統括していたため、政治 / 経済 / 文化の中心地であった。交通の要衝でもあり、中山道と飛騨高山道 / 善光寺道の追分としても栄えた。宿場町の面影が残っている。
町並み 太田稲荷神社 町並み(突き当りが枡形)
稲荷神社
 
小松屋 祐泉寺
旧十六銀行太田支店
町並み 脇本陣跡

十字路から西へ進むと、すぐ左手に太田稲荷神社がある。すぐに枡形となり、左手角に稲荷神社と左手に文明6年(1474年)湧泉庵が始まりと云われる祐泉寺 / 右手に明治40年(1907年)築の旧十六銀行太田支店 / 左手に太田宿案内所の小松屋 と続く。5分ほどすると、左手に脇本陣跡(重文)がある。江戸時代の原型を留める建物は、明治6年(1873年)大火のあと再建されたもの。脇本陣・林家は、庄屋や尾張藩勘定所の御用達も務めたていた。

酒蔵 稲荷神社
脇本陣跡の反対側に酒蔵がある。北へ進むと、奥の角地に稲荷神社がある。脇本陣跡まで戻り西へ進むと、すぐ左手に太田宿中山道会館がある。中山道や太田宿の資料が展示され、休憩もできる。道の反対側に本陣跡があり、文久元年(1861年)皇女和宮が江戸に下向の時に新築された門が残る。
本陣跡
太田稲荷神社手前の十字路を北へ進む。21号線の太田本町1交差点を直進すると、突き当りにJR高山本線 / 長良川鉄道・美濃太田駅がある。
寄り道祥光寺 / 万尺寺
祥光寺 万尺寺

太田宿本陣跡から西へ、すぐの十字路を右折して北へ進む。21号線と交差、右折するとすぐ左手に祥光寺 / 社 と続く。5分ほどすると左手に美濃加茂市役所、すぐの太田本町1交差点手前左手に万尺寺がある。