中山道69次 No.30 細久手宿・仲町バス停-(約12km)-名鉄・御嶽駅
2012年 9月27日(木)08:00 晴
仲町バス停 津島神社 秋葉坂三尊石窟 鴨之巣一里塚 中山道御殿場 一呑み清水 謡坂一里塚 謡坂石畳 和泉式部廟所 願興寺 御嶽駅
古民家 細久手坂の穴観音 津島神社
JR中央本線・瑞浪駅からのバスは11:00始発のため、細久手宿までタクシーを利用する。仲町バス停から5分ほどすると宿場の外れとなり、「細久手宿(本線)0.3km 平岩近道 開元院(本線」1.3km20分」道標があり、旧中山道は直進して平岩近道を進む。5分ほどすると、右手の石窟に細久手坂の穴観音 / 右手に12世紀後半から文献にある津島神社 と続く。尾張津島神社 / 京都八坂神社 / 江戸天王社の分詞との案内板があるが、いずれも疫病にご利益がある牛頭天王を祀っていた。
田圃 旧中山道くじ場跡 馬頭観音
津島神社から5分ほどすると、右手に旧中山道くじ場跡 / 右手に馬頭観音 / 右手に馬頭観音 / 右手に馬水池 と続く。馬水池は明治25年(1892年)情報収集のためにシベリア大陸を単騎横断した陸軍大将福島安正が、中山道を通行中にこの池で愛馬に水を飲ませたと云う。
馬頭観音 馬水池
 
西坂への分岐 右:中山道西の坂道標 瑞浪市内旧中仙道の影
秋葉坂三尊石窟 秋葉坂三尊石窟道標

馬水池から5分ほどすると、左手に木製の道標と「左 中山道西の坂 旅人の上り下りや西の坂」道標がある。左へ西坂を進むと、すぐ左手に瑞浪市内旧中仙道の影と彫られた案内の石塔 / 右手に秋葉坂三尊石窟 / 秋葉坂三尊石窟道標 / 鴨之巣道の馬頭文字碑 と続く。秋葉坂三尊石窟は左から、天保11年(1840年)造立の石仏 / 明和7年(1770年)造立の観音 / 明和5年(1768年)造立の馬頭観音。鴨之巣道の馬頭文字碑の奥に馬頭観音がある様であるが、気付かず通り過ぎる。

鴨之巣道の馬頭文字碑標識
鴨之巣辻の道祖神標識 「右 旧鎌倉街道迄約一里余」道標 切られヶ洞道標
 
鴨之巣一里塚
鴨之巣道の馬頭文字碑標識から10分ほどすると、鴨之巣辻と呼ばれる鎌倉街道追分がある。左手に鴨之巣辻の道祖神標識 / 後方に「右 旧鎌倉街道迄約一里余」道標がある。道標の傍らに道祖神がある様であるが、見逃している。5分ほどすると、右手に「切られヶ洞」道標がある。さらに5分ほどすると、鴨之巣一里塚がある。地形の関係で、塚は16mずれて造られている。
鴨之巣一里塚道標
馬頭観音 山内喜助屋敷跡 中山道道標
集落 常夜燈 中山道道標
中山道道標 題目塔 / 坂東秩父西国百番供養塔 三界萬霊塔

鴨之巣一里塚からすぐに「ようこそ瑞浪市へ」案内板があり、瑞浪市から御嵩町に入る。すぐに「鴨之巣一里塚0.1km 鬼岩公園・松野糊 御殿場3.2km」道標 / 「鴨之巣一里塚0.6km 鬼岩公園・松野糊2.6km 御殿場2.7km 津橋1.5km」道標 / 「鴨之巣一里塚0.7km 鬼岩公園・松野糊2.7km 御殿場2.5km 津橋1.3km」道標 と道標が続く。すぐ右手の石窟に馬頭観音があり、5分ほどすると「鴨之巣一里塚1.1km 鬼岩公園・松野糊3.1km 御殿場2.2km 津橋1.0km」道標 / 右手に酒造業を営んでいた山内喜助屋敷跡 / 左手に中山道道標 と続く。5分ほどすると右手に常夜燈がある。すぐに車道と交差、直進する。すぐに道標と標識があり左へ進む。さらに標識があり車道と交差、直進する。すぐ右手に中山道道標 / 右手に中山道道標 / 右手に題目塔と坂東秩父西国百番供養塔 / 右手に三界萬霊塔 と続く。

馬の水飲み場 馬頭観音 中山道御殿場道標

不明の石塔から5分ほどすると「津橋0.5km 御殿場0.7km」道標、さらに5分ほどすると「津橋0.5km 御殿場0.7km」道標がある。5分ほどすると、右手に馬の水飲み場 / 右手に馬頭観音 / 右手に中山道御殿場道標 と続く。文久元年(1861年)皇女和宮の行列が中山道を下向したとき、ここに休憩のための御殿が造られたことから御殿場と呼ばれるようになったところ。中山道御殿場道標の左手を登ると、展望台がある。

唄清水道標 唄清水標識 / 中山道唄清水道標 巡拝記念塔
中山道道標 一呑み清水 地蔵 / 一呑み清水碑 

御殿場から坂を下り、分岐は直進する。次の分岐は道標と標識があり右へ、さらに分岐を左へ進む。御殿場から5分ほどのところ、左手に唄清水道標 / 左手に岐阜県の名水 唄清水標識と中山道唄清水道標 / 右手に巡拝記念塔 と続く。唄清水道標の背後に「この水は、生水での飲用はしない…」とあるが、唄清水は岐阜県名水50選???。すぐ左手に標識と木製の道標 / 左手に中山道道標 / 左手に一呑の清水 / 左手に中山道 一呑の清水道標と続く。一呑み清水に地蔵と一呑み清水碑がある。中山道を下向した皇女和宮が大変気に入り、後に多治見・永保寺に滞在したときこの清水を取り寄せて点茶をしたと云われている。現在は生水では飲めない岐阜県名水50選???。

中山道一呑の清水道標
中山道 一呑の清水道標のある左手の道を間違えて進むと、登り坂になる。途中に「この先 行き止まり」の標識があるが、車なのか人なのか解りづらい。道標から5分ほどすると茶畑が広がり、行き止まりになる。 
茶畑
中山道十本木立場道標 分岐 馬頭観音
  一呑み清水まで戻る。旧中山道側に「津橋1.9km 御殿場0.7km 西洞1.2km 謡坂0.2km」道標がある。坂を下るとすぐ右手に「中山道十本木立場」道標,、すぐの分岐に道標と標識があり左へ進む。すぐ左手に馬頭観音 / 水飲み場 / 謡坂(うとうざか)一里塚 と続く。謡坂一里塚は昭和48年(1973年)に復元されたもの。
 水飲み場
 
謡坂一里塚
不許葷酒入山門塔 十本木茶屋跡 中山道道標
謡坂石畳道標
謡坂石畳 中山道道標

謡坂十本木一里塚からすぐ左手に不許葷酒入山門塔 / 左手に十本木茶屋跡 / 右手に中山道道標 / 謡坂石畳案内板 / 右手に謡坂石畳道標 / 右手に中山道道標 と続き、標識があり左へ進むとすぐ左手に不明の石塔がある。不許葷酒入山門とは、臭い匂いを放つ野菜と酒を寺に持ち込んではならないこと。葷は、匂いの強い葱・韮・にんにくなどの野菜。臭い匂いは、浄念を乱し修行の妨げになると云われている。謡坂石畳は300m続く。旅人が急な坂道が続くこの辺りを謡を詠いながら歩いたことから、謡坂と言われるようになったと云う。

不明の石塔
中山道耳神社道標 耳神社 道標
中山道道標
分岐 百八十八ヶ所順拝納經塚

不明の石塔から5分ほどすると、右手に中山道耳神社道標 / 耳の病気に御利益のある耳神社への石段 / 右手に「左 御嶽宿四一〇〇米 右 細久宿七七〇〇米」道標 と続く。すぐ右手に「牛の鼻かけ坂0.5km10分 耳神社0.4km5分」道標と中山道道標があり、分岐を右へ進む。すぐ左手に百八十八ヶ所順拝納經塚がある。

馬頭観音 中山道牛の鼻かけ坂道標 道標

百八十八ヶ所順拝納經塚から5分ほどすると、右手の石窟に明和2年(1765年)造立と云われる馬頭観音 / 牛の鼻かけ坂案内板 / 右手に中山道牛の鼻かけ坂道標 / 左手に「左 細久宿三五〇〇米 右 御嶽宿八三〇〇米」道標 と続く。右手に標識があり、突き当りを右へ進むと、すぐ右手に馬頭観音がある。牛の鼻欠け坂は余りにも急坂で、荷物を背に登ってくる牛の鼻がすれて欠けてしまうほであったことから呼ばれるようになったと云われている。

馬頭観音

馬頭観音から5分ほどすると判読できない道標と標識があり、左へ進む。すぐ左手に道標があり右折すると、「西洞1.2km20分 和泉式部碑0.6km10分」道標がある。5分ほどすると左手に道標と標識があり、突き当りを右折する。すぐの十字路を左折すると、すぐ右手にある自動販売機の裏のベンチで昼食を摂る。

旧中山道を進むとすぐに突当り、右折して21号線を進む。すぐ右手に和泉式部廟所への道標があり、右折すると和泉式部廟所が見える。和泉式部は、紫式部や清少納言とともに平安時代の三大女流作家。数多くの歌を残した一方で、恋多き女性としても知られている。東山道を旅しているときにこの地御嶽で病に倒れ、寛仁3年(1019年)没したと云われている。建屋に「ひとりさへ 渡ればしずむうきはしに あとなる人は しばしとどまれ」歌碑がある。旧中山道に戻り西へ進むと、右手に中街道追分道標 / 右手に八幡神社石柱 と続く。10分ほどすると、左手に「左 細久宿 右 御嶽宿」道標がある。

和泉式部廟所

中街道追分道標

八幡神社石柱 道標

中山道69次 49番 御嶽(みたけ)宿
所在地:岐阜県可児郡御嵩町
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:600人 家数:66 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:28

美濃路で慶長7年(1602年)最初に朱印状を与えられ、宿場と認められた。尾張藩領にあり、願興寺の門前町として栄えた。
弘法堂 用心井戸 町並み
商家竹屋 本陣跡 中山道みたけ館
中山道みたけ館
突き当り:御嶽駅 / 右:願興寺 願興寺本堂

「左 細久宿 右 御嶽宿」道標から、すぐに左へ341号線を進む。すぐ右手に弘法堂がある。突当りを右折して宿場通りを進むと、すぐ左手に用心井戸がある。防火の目的もあり、井戸の上屋には水神 / 右手前に秋葉神社石柱 がある。ここから名鉄・御嵩駅まで、約500mほどである。右手に主屋が明治10年(1877年)頃築の商家竹屋 / 右手に明治10年と大正年間に改築された本陣跡 / 右手の脇本陣跡と人馬継所跡に中山道みたけ館 / 右手に願興寺 と続く。拾弘仁6年(815年)天台宗開祖・最澄が薬師如来(重文)を彫って小堂に安置したのが始まり。近くの尼ヶ池より蟹の背に乗って現れたと云われる金色の薬師仏を、本尊の胎内に納められことから蟹薬師と呼ばれている。本堂(重文)は2度も焼失した後、天正9年(1581年)に再建されたもの。地元の人たちが1木1板を持ち寄り、太い柱も丸削りのままとなっている。突き当りに名鉄・御嵩駅が見える。

御嵩駅は名古屋鉄道・広見線の駅。現在は無人駅になっている。広見線は犬山駅から御嵩駅を結ぶ路線であるが、新可児駅・御嵩駅間の区間運転となっている。

名鉄・御嵩駅 名鉄6000系