中山道69次 No.29 深萱立場-(約11km)-細久手宿・仲町バス停 |
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2012年 9月26日(水)08:00 晴 |
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深萱立場 |
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権現坂一里塚 |
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巡礼水 |
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三十三観音石窟 |
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宗昌寺 |
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大湫公民館 |
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二つ岩 |
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琵琶峠 |
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弁財天の池 |
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奥之田一里塚 |
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細久手公民館 |
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仲町バス停 |
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深萱立場案内板 |
分岐 |
山形屋跡 |
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深萱立場案内板 |
中山道道標 |
馬茶屋跡 |
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JR中央本線・武並駅よりバスに乗車、深萱上バス停で下車する。バスの進行方向左手に深萱立場案内板があり、左折して旧中山道を進む。道標や標識はない。すぐに分岐があり直進して小道を進むと、右手に山形屋跡
/ 右手に深萱立場案内板 と続く。すぐに分岐があり右へ進むと、左手に中山道道標 / 左手に馬茶屋跡と続く。 |
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石段 |
不明の中山道標 |
中山道茶屋坂道標 |
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馬茶屋跡から5分ほどすると十字路があり、直進して石段を登る。5分ほどすると“みつじ坂”の左手に、判読できない中山道道標がある。すぐに三城峠となり、“ばばが茶屋跡”に「中山道茶屋坂」道標がある。 |
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中山道道標 |
中山道道標 |
大久後の向茶屋跡 |
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すぐ右手に中山道道標 / 右手に中山道道標 / 「大久後 1km 30分 武並 1.5km 30分」道標 と続き、分岐を右へ進むと左手に大久後の向茶屋跡がある。すぐの分岐を直進して草道を進むと、左手に大久後観音坂道標
/ 右手に「観音様と馬頭様」案内板 / 左手に東屋と続く。案内板手前を右折すると、大岩に馬頭観音がある。東屋で休息する。 |
分岐 |
大久後観音坂道標 |
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霊場巡拝塔 |
灰くべ餅の出茶屋跡 |
弘法 |
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刈安神社 |
炭焼立場跡案内板 |
吾郎坂の石畳 |
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東屋から旧中山道を進むと、すぐ右手に天明2年(1841年)造立の霊場巡拝塔がある。すぐに舗装道と合流すると、左手に灰くべ餅の出茶屋跡 / 右手の祠に弘法 と続く。鞍骨坂から権現坂と進むと、右手に刈安神社への石段 / 「大湫3.2km 炭焼立場 0.4km 大久後0.2km」道標 / 右手に炭焼立場跡案内板 / 「大湫 2.7km 大久後 0.6km」道標と続く。草道から短い吾郎坂の石畳を進む。
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登りの草道 |
権現坂一里塚 |
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十三峠の内 中山道樫木坂道標 |
十三峠の巡礼水 |
中山道巡礼水道標 |
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吾郎坂の石畳から草道を登ると、両側に権現坂一里塚 / 右手に太田南敏の紀行文一節が彫られている「十三峠の内 中山道樫木坂」道標 がある。巡礼水坂を登ると、ゴルフ場のカート道と交差する。旧中山道を残すために分断されている。「十三峠の内
中山道樫木坂」道標から5分ほどのところ、右手に「十三峠の巡礼水」 / 左手に説明が彫られている「中山道巡礼水」道標がある。旅の巡礼が8月1日に通りかかったとき、急に具合が悪くなる。石の間から流れ落ちる水を飲んで、一命を取りとめたと云われている。普段は出ないが8月1日には必ず水が流れ出ると云われていたが、現在は枯れている。 |
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阿波屋の茶屋跡 |
十三峠の三十三観音石窟 |
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「十三峠の巡礼水」から5分ほどすると、ゴルフ場のカート道と交差する。びゃいと坂から曽根松坂を進む。枇杷湯糖(びゃいと)は、枇杷の葉に薬草を加えて煎じたもの。「十三峠の巡礼水」から15分ほどのところ、右手に「中山道十三峠 阿波屋の茶屋跡」 / 右手に天保11年(1840年)造立の三十三観音石窟と続く。石窟には33基の馬頭観音がある。旅の安全を祈って大湫宿伝馬連中 / 助郷の村々 / 定飛脚などにより寄進されたもの。 |
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中山道 尻冷しの地蔵道標 |
尻冷しの地蔵 |
中山道 しゃれこ坂(八町坂)道標 |
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十三峠八丁坂の観音 |
中山道十三峠 山之神坂道標 |
中山道十三峠 童子ヶ根道標 |
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寺坂石仏群 |
中山道十三峠道標 |
中山道大湫宿道標 |
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三十三観音石窟から5分ほどすると、左手に「中山道尻冷しの地蔵」道標と尻冷しの地蔵がある。宝永8年(1711年)伊勢の豪商・熊野屋の夫人が十三峠を旅していたとき、急病をここの清水が救ってくれた。それに感謝して地蔵を造立した。清水が地蔵の尻を冷やしている様に見えるので、尻冷やし地蔵と呼ばれるようになったと云う。5分ほどすると左手に太田南敏の壬戌紀行文を刻んだ「中山道しゃれこ坂(八町坂)」道標 / 左手に「十三峠八丁坂の観音」と続く。5分ほどすると、右手に中山道十三峠 山之神坂」道標 / 右手に「中山道十三峠 童子ヶ根」道標 / 右手に寺坂石仏群 / 右手に「中山道十三峠」道標 / 左手に「中山道大湫宿」道標 と続く。寺坂石仏群は左から、馬頭観音 / 馬頭観音 / 地蔵 / 題目塔 / 題目塔 と並んでいる。大井宿の先「西行坂」から続いた、「十三峠におまけが七つ」と云われた十三峠が「寺坂」で終わる。 |
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中山道69次 47番 大湫(おおくて)宿
所在地:岐阜県瑞浪市
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:338人 家数:66 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:30
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慶長9年(1604年)に新設された宿場で、大久手宿とも呼ばれた。標高510mの山間にあるさな宿場で、尾張藩領であった。人馬継立では、標準(50人
/ 50疋)より少ない10人 / 10疋の規模であったため、大規模通行時は大井宿や御嶽宿から応援を受けていた。皇女和宮が宿泊している。古びた格子戸の町並みが残る。 |
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宗昌寺 |
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中山道大湫宿道標 |
大湫宿の町並み |
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中山道大湫宿道標からすぐの左手に広場があり、左手奥に宗昌寺 / 右手に東屋がある。東屋からは、大湫宿の町並みが見える。坂を下る手前左手にも、中山道大湫宿道標がある。 |
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町並み |
大湫公民館 |
古民家(文化庁登録有形文化財) |
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本陣跡 |
皇女和宮の陶製人形 |
白山神社 |
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町並み |
脇本陣跡 |
神明神社 |
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坂を下り十字路を直進、次を左折して宿場通りを進む。すぐ右手に大湫公民館 / 左手に文化庁登録有形文化財の古民家 / 右手に本陣跡 / 右手に皇女和宮の陶製人形3基
/ 右手に白山神社鳥居 / 右手に半分程度の規模で残っている脇本陣跡 / 右手に神明神社 / 右手に大湫宿道標 と続く。 |
大湫宿道標 |
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常夜燈 |
中山道大湫宿道標 |
高札場 |
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常夜燈 |
馬頭観音 |
馬頭観音 |
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大湫宿道標から5分ほどすると、右手に常夜燈 / 右手に中山道大湫宿道標 / 右手に高札場 / 右手に常夜燈 / 左手に馬頭観音2基 と続く。
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公園 |
馬頭観音 |
中山道大湫宿大洞小坂道標 |
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二つ岩(母衣岩) |
中山道二つ岩道標 |
二つ岩(烏帽子岩) |
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馬頭観音からすぐ右手に公園があり、右の小道を進む。すぐ右手に馬頭観音 / 中山道大湫宿大洞小坂道標 / 二つ岩(母衣岩) / 中山道二つ岩道標
/ 二つ岩(烏帽子岩) と続く。二つ岩は夫婦岩とも呼ばれている。
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二つ岩(烏帽子岩)から5分ほどすると、分岐があり右へ進む。突き当りに、馬頭観音 / 中山道琵琶峠東上り口道標 / 地蔵 と並んでいる。道なりに右へ進むと、全長約600mの琵琶峠の石畳が始まる。“大湫”と“細久手”の“くて”は低湿地の意味で、琵琶峠に石畳が敷かれたのも湿地が多かったことによる。
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分岐 |
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馬頭観音 |
中山道琵琶峠東上り口道標 |
地蔵 |
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登り坂の石畳 |
琵琶峠道標 |
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登り坂の石畳 |
皇女和宮歌碑 |
馬頭観音 |
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下り坂の石畳 |
八瀬沢一里塚 |
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中山道琵琶峠東上り口道標から5分ほどすると、右手に琵琶峠道標がある。さらに5分ほどすると標高558mの琵琶峠頂上で、右手に皇女和宮歌碑「住み馴れし都出でてけふいく日
いそぐもつらき東路のたび」 / 宝暦13年(1763年)造立の馬頭観音が並んでいる。琵琶峠から下るとすぐに八瀬沢一里塚がある。5分ほどすると舗装道路と交差、左手の広場で昼食を摂る。
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下り坂の石畳 |
中山道琵琶峠西上り口道標 |
草道 |
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石畳を5分ほど下ると草道になり、すぐ左手に「中山道 琵琶峠西上り口」道標 / 「琵琶峠 0.6km 北野神社 1.5km」道標 / 右手に北野坂の廻国塔標識
と続く。奥の林に安永6年(1777年)造立の北野坂の廻国塔が見える。六十六部塔とも言う。法華経を六十六部写経、全国六十六州にそれぞれ奉納した行者の記念塔。 |
北野坂の廻国塔標識 |
北野坂の廻国塔 |
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一つ屋茶屋 |
天神前バス停 |
天神辻の地蔵 |
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北野坂の廻国塔標識から5分ほどすると、国際犬訓練所がある。さらに5分ほどすると、右手に一つ屋茶屋跡がある。この辺りでたった一軒の茶屋であったのが由来と云われている。すぐ右手に天神前バス停があり、左脇にこの辺りで一番古いと云われる天神辻の地蔵がある。5分ほどすると、右手に焼坂の馬頭観音がある。 |
焼坂の馬頭観音 |
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弁財天の池 |
弁財天 |
女男松の跡 |
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奥之田一里塚 |
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焼坂の馬頭観音から10分ほどすると、右手の弁財天の池に弁財天がある。10分ほどすると左手に女男松の跡がある。女男松は根元から2つに分かれ、夫婦円満のご利益のある木として知られていたと云う。10分ほどすると奥之田一里塚がある。
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中山道69次 48番 細久手(ほそくて)宿
所在地:岐阜県瑞浪市
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:256人 家数:65 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:24
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慶長15年(1610年)に新設された宿場。標高420mの山中にあるさな宿場で、尾張藩領であった。 |
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日吉第二小学校跡 / 天王宮 |
庚申堂 |
高札場跡 |
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細久手公民館・月あかり夢街道 |
大黒屋 |
大黒屋設置の細久手宿スタンプ |
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10分ほどすると352号線と合流、細久手宿に入る。右手に日吉第二小学校跡 / 天王宮が並んでいる。道なりに進むと、すぐ右手に庚申堂 /右手に高札場跡
/ 左手に細久手公民館 / 右手に大黒屋 と続く。当時の面影を残す元問屋の旅館大黒屋は、尾張藩定本陣となっていた。現在も旅館業を営んでおり、旧中山道の大井宿・伏見宿間40km区間で唯一の宿泊施設になっている。 |
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大黒屋からすぐ右手に、本陣跡がある。反対側に仲町バス停があり、JR中央本線・瑞浪駅へ向かう。 |
本陣跡 |
仲町バス停 |
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