中山道69次 No.28 恵那駅-(約9km)-深萱(ふかがや)立場 
2012年 8月10日(金)07:00 晴
恵那駅 中野観音堂 西行硯水公園 槇ヶ根一里塚 下街道分岐 姫御殿跡 首なし地蔵 みだれ坂 紅坂一里塚 深萱立場
中野観音堂 中山道道標 上野観音堂
恵那駅から415号線を南へ、旧中山道はすぐの中央通1交差点を右折して西へ進む。5分ほどすると、永田川に架かる長島橋の手前左手に中野観音堂がある。秋葉灯篭は寛政8年(1796年)造立のもの。永田川に架かる長島橋を渡り、すぐに66号線の交差点を左折する。続いて5差路の坂の上交差点があり、旧中山道は西へ多治見方面へ進む。交差点の南西面に「中野観音堂 約200m 西行硯水 約300m」道標が見える。坂の上交差点からすぐ右手に中山道道標、通りを挟んだ左手に上野観音堂がある。
西行硯水公園 硯水碑 歌碑 / 地蔵 /歌碑
 
神明神社
西行塚西三丁道標 「西行塚 約350m 西行硯水 約200m」道標 / 田圃道
上野観音堂からすぐ左手に、西行硯水公園がある。西行法師がこの水で硯をすったと云う小さな泉があったところ。硯水碑、歌碑 / 地蔵 /歌碑 が並んでいる。隣に神明神社の鳥居がある。すぐに三差路があり、右手の坂を進む。右手の三角地帯に、西行塚西三丁道標と西行公園がある。すぐ右手に中山道大井宿案内板があり、JR中央本線の踏切を渡る。標識があり、すぐに左折する。さらに右手に「西行塚 約350m 西行硯水 約200m」道標があり、田圃道を進む。
是より十三峠 中山道道標
 
槇ヶ根一里塚
東屋 左手:西行の森公園 西行の森 桜百選の園碑
田圃道を進むと、道が大きく右へ曲がるところに「JR恵那駅1.8km 中山道十三峠の道西行の森1.0km 西行塚0.3km」道標 がある。中央自動車道を潜り道なりに進むと、すぐに石畳が見えてくる。左手に「是より十三峠」道標 / 「JR恵那駅2.0km 中山道十三峠の道 西行の森0.8km 西行塚0.1km」道標 がある。大井宿から大湫宿までの3里半(約13.5km)には、十三峠と呼ばれる山坂道がある。ここから十三峠が始まり、石畳を登るとすぐ右手に「五輪塔 展望台 約50m」標識がある。五輪塔は西行を供養するために造られたと云われている。すぐ左手に「JR恵那駅2.1km 中山道十三峠の道 東海自然歩道 槙ヶ根合流点1.3km 西行の森0.7km」道標 / 中山道道標 と続く。この中山道道標は、 同じ形状のものが紅坂一里塚を過ぎたところまで点在する。すぐに石畳がなくなり、槙ヶ根一里塚 / 右手に東屋 と続く。槙ヶ根一里塚は塚の頂上の榎は残っていないが、ほぼ原形を留めている。東屋から先の左手一帯は、西行の森公園になっている。すぐ左手に「西行の森 桜百選の園」碑がある。
茶屋槙本屋跡
茶屋松本屋跡 分岐
茶屋松本屋跡〜中山道道標 中山道道標 槙が根立場案内
追分道標 下街道分岐 下街道案内板
「西行の森 桜百選の園」碑から5分ほどすると、「西行塚1.1km 西行の森0.4km 中山道十三峠の道 東海自然歩道 槙ヶ根合流点0.2km」道標があり車道と交差する。坂を登ると車道に中山道標識や道標があり、左折すると右手に茶屋槙本屋跡がある。ここから深萱立場近くまでの史跡は、杭状のために見逃しているのも多い。左手に地図標識があり、分岐を右に進む。標識 / 熊出没注意看板があり、熊鈴を取り付ける。すぐ右手に茶屋松本屋跡 / 左手に中山道道標 / 右手に槙が根立場案内板 と続く。江戸時代ここには茶屋が9戸あったと云う。すぐ左手に「左伊勢名古屋道 右西京大坂道」追分道標 / 左へ下る細い坂道の下街道 / 下街道案内板 がある。中山道を上街道、ここから分かれて下る道を下街道と呼んだ。下街道は釜戸〜土岐〜多治見を経て、名古屋に至る。殆ど平坦な道で、名古屋までの距離は上街道より18km短かった。中山道からの伊勢参りは、下街道が利用された。
馬頭観音
姫御殿跡 直進:旧中山道 / 右:姫御殿跡
首なし地蔵
下街道分岐から5分ほどすると、右手に馬頭観音 / 右手の階段を登ると姫御殿跡 と続く。ここは周囲の展望の良いところで、休憩することが多かった。皇女和宮下向のときは、休憩のための朱塗りの立派な御殿を建てた。すぐ左手に宝暦6年(1756年)造立の首なし地蔵がある。昔2人の中間(ちゅうげん)がここで昼寝をしたが、目覚めると連れの首が切られて死んでいた。中間は「黙って見ているとは、何事だ」と、刀で地蔵の首を切り落とした。それ以来、首を付けようとしたがどうしても付かなかったと云われている。
みだれ坂手前 中山道みだれ坂道標 中山道道標
みだれ坂
みだれ坂 みだれ橋
首なし地蔵からすぐ右手に「中山道みだれ坂」道標がある。あまりにも急坂のため、大名行列 / 旅人の息 / 着物の裾 が乱れるほどであったことから「乱れ坂」と呼ばれた。途中から石畳になる。すぐに中山道道標と標識がある。下り切ったところに、当時は石も流すほどの急流であったと云われる川がある。乱れ橋は、宝暦年間(1751年〜1762年)飛脚たちが架けた土橋。「中山道みだれ坂」道標から乱れ橋まで5分ほど。
中山道道標 中山道平六坂道標 平六茶屋跡
びゃいと茶屋跡前 びゃいと茶屋跡
 
紅坂一里塚
中山道道標  ぼたん岩
石畳 ふじ道道標 集落
乱れ橋からすぐに車道に合流、「槙が根1.2km 深萱2.8km 紅坂一里塚1.7km」道標がある。15分ほどするとY字路があり、左へ進む。消えかけた道標 / 標識 / 熊出没注意看板 / 中山道道標 と賑やかである。5分ほどすると、左手に中山道平六坂道標 / 右手に平六茶屋跡 / 右手にびゃいと茶屋跡 と続く。枇杷湯糖(びゃいと)は、枇杷の葉に薬草を加えて煎じたもの。すぐの林の入口両側に、原型名残のある紅坂一里塚 / 右手に中山道道標 / ぼたん岩 と続く。地上に直径5mほど露出している岩がある。表面が薄く層になって幾重にも削られて、牡丹の花の様に見えることから「ぼたん岩」と呼ばれている。5分ほどすると、右手にふじ道道標がある。
稲荷神社 灯篭 / 佐倉宗五郎碑 / 社 / 廿二夜塔 不明の石塔
ふじ道道標からすぐに熊出没注意看板があり、坂を下ると、左手に稲荷神社がある。灯篭 / 佐倉宗五郎大明神 / 社 / 廿二夜塔 と並び、手前に不明の石塔がある。 元禄14年(1701年)岩村藩の農民騒動を将軍に直訴した竹折村の庄屋・田中与一郎は、討ち首となった。佐倉宗五郎碑は、田中与一郎を祀ったのではないかと云われている。通りを挟んだ右手に、三社灯篭 / よごれ茶屋跡がある。
三社灯篭 よごれ茶屋跡
不明の石塔 / 庚申塔 / 不明野石塔 藤村高札場 深萱立場案内板
よごれ茶屋跡からすぐの突き当りを右折する。藤川に架かる橋を渡ると、418号線に出て左折する。右手に石塔群(不明の石塔 / 庚申塔 / 不明野石塔)と復元された藤村高札場がある。すぐ右手に深萱立場案内板がある。大井宿から大湫宿までの3里半(約13.5km)には、13峠と呼ばれる山坂道がある。ほぼ中間の休憩所として深萱立場が設けられた。当時は茶屋が9軒、大名や身分の高い人が利用する立場本陣があった
418号線を15分ほど下り、階段でに登り19号線を左折する。19号線を10分ほど登り、竹折交差点から下りになる。すぐの分岐を右へ進むと、JR中央本線・武並駅に至る。深萱立場から武並駅まで35分ほど。