中山道69次 No.27 中津川駅-(約10km)-恵那駅
2012年 8月 9日(木)13:00 晴
中津川駅 往来庭 小手の木坂 上宿一里塚跡 六地蔵石憧 坂本観音堂 茄子川小休所 甚平坂 菅原神社 大井宿本陣跡 市神神社 恵那駅
寄り道
中津川宿西太田町通り(北東側) 中津川宿西太田町通り(南西側)
JR中津川駅から71号線を南東へ、旧中山道は5分ほどの新町交差点を右折する。手前の太田町交差点右手に、紛らわしい中津川宿西太田町通りがある。すぐ左手に社があり、5分ほどすると中津川宿西太田町通りは終わる。四ツ目川に架かる倉前橋手前を左折、川沿いに進むとすぐに旧中山道と交差する。
町並み 津島神社 桂小五郎隠れ家跡
町並み 間家大正の蔵 津島神社
中山道 中津川宿 往来庭
JR中津川駅から71号線を南東へ、5分ほどの新町交差点を右折する。旧中山道の新町商店街を南西へ進むと、すぐ右手に津島神社 / 左手に桂小五郎隠れ家跡 / 左手に間家大正の蔵 / 左手に津島神社 / 右手に宿場往還を復元した“中山道 中津川宿 往来庭”と続く。大正6年(1917年)築の間家大正の蔵は、明治以降の近代的工法と土蔵造りが混在した建築方法が用いられている。東美濃最大の豪商・間杢左衛門の屋敷跡。“中山道 中津川宿 往来庭”の奥にある蔵の前に立つと、扉が開き招き猫が現れる。
四ツ目橋 常夜燈 中津川市街地周辺案内板
町並み 中津川宿脇本陣跡 中山道歴史資料館
“中山道 中津川宿 往来庭”からすぐの四ツ目川に架かる四ツ目橋を渡ると、左手に嘉永元年(1848年)造立の常夜燈 / 左手に中津川市街地周辺案内板 がある。宿場の中心・本町を進むと、すぐ左手に中津川宿脇本陣跡 / 左手のNTTビル1階に中山道歴史資料館 と続く。中津川宿脇本陣跡には「脇本陣はここから右(西方)約20mの所にありました」の注意書きがある。
町並み 中津川宿本陣跡 中津川村庄屋居宅
左:松露堂(南側から) 十八屋(間家) はざま酒造
“式内恵奈山上道”道標 常夜燈 / 社 辻灯篭 / 中津川橋
中山道歴史資料館から、すぐに右手に皇女和宮が宿泊した中津川宿本陣跡 / 左手に江戸中期築の中津川村庄屋居宅 と続く。中津川村庄屋居宅は、江戸時代に中津村の庄屋と脇本陣を務めた肥田家。すぐ右手に江戸時代の米屋で、屋根裏の博打部屋などが残る松露堂がある。ここから枡形になり、突き当りを左折する。すぐ右手に皇女和宮の御供が宿泊した江戸中期築の十八屋(間家) / 突き当りに慶長6年(1601年)創業の“はざま酒造”と続く。左手に「式内恵奈山上道」道標がある。右折するとすぐ右手に、下町かいわい案内板 / 常夜燈 / 社 がある。高札場があったところと云われている。すぐに中津川に架かる中津川橋を渡る。辻灯篭は、美濃中山道中津川宿商店街イメージアップ事業で整備されたもの。
町並み 津島神社参道石柱 地蔵
石塔群 駒場村高札場跡 / 民家に架かる高札 三重の塔
中津川橋から5分ほどすると、突き当りに津島神社参道石柱と中山道標識がある。旧中山道は左折するが、右折するとすぐ左手に地蔵の祠がある。“いがぐり”が降ってきて、帽子越しに頭を直撃する。未だ神社に道中安全祈願をしていないことに気付く。津島神社参道石柱まで戻り、旧中山道を進む。すぐに坂の途中右手に、題目塔(南無阿弥陀仏) / 馬頭観音 / 不明の石塔 / 馬頭観音 と並んでいる。5分ほどすると中山道標識があり右折、すぐ左手に駒場村高札場跡 / 民家に架かる高札 / 三重の塔 / 中山道駒場村道標「左 中津川宿 右 大井宿」と続く。
中山道駒場村道標
中山道小手の木坂道標 小手の木坂 津島神社灯篭
道標 石塔群
双頭一身道祖神
地蔵の祠 上宿一里塚跡
中山道駒場村道標からすぐの突き当りに、中山道小手の木坂道標と案内板がある。左手の石段を登り車道を横断、さらに石段を登り車道を右折する。すぐのT字路右手に津島神社灯篭 / 「左 苗木道 右 中山道」道標 / 「左 ひだみち こでの木坂」道標 と並んでいる。T字路を左折すると右角に石塔群、文化13年(1816年)造立の双頭一身道祖神碑と案内板がある。男女別々の頭を持ち、肩から足元まで一体となっている。道標を兼ねており、「是より苗木道」と彫られている。すぐ先右手に1/3規模で復元された上宿一里塚跡 / 地蔵の祠がある。
地蔵の祠 / 石塔群 小石塚立場跡 嵐讃岐供養塔
上宿一里塚跡から5分ほどすると、左手に地蔵の祠と石塔群がある。2基の題目塔(南無阿弥陀仏)以外は墓石。さらに5分ほどすると、左手に小石塚立場跡 / 右手に寛永3年(1626年)造立の嵐讃岐供養塔 と続く。嵐讃岐は木曾家の有力武将の一人。すぐの突き当りに中山道案内板がある。ここから約400mは、19号線 / 257号線の道路拡張のため途切れている。案内板左手の階段を下る、右方向へ進み257号線を横断、左折して合流する19号線を進む。すぐに中山道標識があり、右折してJR中央本線沿いに進む。道なりに進むと途切れた旧中山道と合流。右折する。小道を直進すると19号線に出る。
途切れた旧中山道と合流
六地蔵石憧 六地蔵石憧 題目塔
坂本神社参道 千旦林村高札場跡
常夜燈 / 社 地蔵 馬頭観音
途切れた旧中山道と合流、右折する。すぐ右手に坂本地区文化遺産説明板設置案内図 / 右手に六地蔵石憧(せきどう)と題目塔(南無阿弥陀仏)と続く。六地蔵石憧は、明暦3年(1657年)中山道から大林寺参道への分岐点に造立されたもの。5分ほどすると、右手に坂本神社参道がある。鳥居の先に中央本線の踏切が横切り“特急しなの”が通過しているのが見える。すぐ右手に千旦林村高札場跡 / 左手に常夜燈と社 / 左手に地蔵と馬頭観音 と続く。
分岐 道標 不明の石塔 / 道標

地蔵 / 馬頭観音からすぐに分岐がある。三角地帯に道標 / 不明の石塔 / 案内地図、左手に中山道標識がある。道標の正面に「新國道美乃坂本駅ヲ経テ……」、左側面に「旧國道大井町ニ至ル」と彫られている。案内地図には「新國道は現在市道 / 旧國道は現在旧中山道」と説明がある。

古民家 中平弘法堂 馬頭観音
庚申塔 地蔵 / 題目塔 三ヶ家一里塚跡

分岐から5分ほどすると左手に中平弘法堂、堂の左手に馬頭観音と庚申塔がある。左手に中平神明神社案内板 / 右手に宝永年間造立の地蔵と題目塔(南無阿弥陀仏) / 右手に将監塚案内板 / 右手に三ヶ家一里塚跡 と続く。将監は、慶長18年(1613年)〜寛永8年(1631年)美濃代官であった岡田将監善同。

馬頭観音 坂本立場跡 石塔群(題目塔と墓石)
従是稲園道 坂本観音堂 整田記念碑
茄子川村高札場跡 尾州白木改番所跡 町並み

三ヶ家一里塚跡からすぐに交通量の少ない十字路に横断地下道 / 右手に馬頭観音 / 右手に坂本立場跡 / 右手に坂本立場跡 / 420号線を潜る手前左手に題目塔(南無阿弥陀仏)と墓石群 / 左手に「従是稲園道」道標 と続く。すぐに坂本川に突き当り左手の坂本橋を渡ると、右手に延亨2?年(1745年)創建と云われる坂本観音堂 / 左手に整田記念碑 / 左手に茄子川村高札場跡 / 右手に尾州白木改番所跡 と続く。尾張藩は直轄地木曽山から伐採した木材を、重量材は木曽川 / 軽量材の白木は中山道を牛馬を利用した。木曽川筋には川番所 / 中山道には白木改番所を設置、抜荷監視や量目点検の厳しい取り締まりを行った。

茄子川小休所 秋葉常夜燈 秋葉常夜燈

尾州白木改番所跡から5分ほどすると、左手に茄子川小休所・篠原家がある。中津川宿まで一里23町(約6.3km) / 大井宿まで一里(約4km)の距離があり、宿泊や小休止に使用された。本陣や脇本陣の役割を担っていた。皇女和宮も小休止、表門 / 部屋 / 厠などが当時のまま保存されている。T字路は遠州秋葉道の分岐点で、両側にに秋葉常夜燈がある。

町並み 中山道道標 馬頭観音
岡瀬澤永代燈 中山道岡瀬澤道標 岡瀬澤集落
甚平坂公園
甚平坂 竹ぼうき
茄子川小休所からすぐ左手に茄子川案内板がある。10分ほどすると、左手に坂本地区文化遺産説明板設置案内図 / 左手に「是より大井 中山道」道標 / 右手に馬頭観音 と続く。5分ほどの岡瀬沢沢交差点を越えると、左手に岡瀬澤永代燈と中山道岡瀬澤道標がある。濁川に架かる筋違橋を渡り、岡瀬澤集落のゆるい坂道を上る。「岡瀬沢・濁川200m 甚平坂関戸一里塚100m」道標からすぐに甚平坂に着く。岡瀬沢沢交差点から甚平坂まで10分ほど。短い距離であったが凄い急坂で有名な甚平坂を、階段で上る。右手にある甚平坂公園の眺めが良い東屋で休息する。厠の側面に竹ぼうきが並ぶ。
根津神社石柱 関戸一里塚跡 菅原神社
馬頭観音 上宿石仏群
甚平坂公園から410号線を右へ進むと、すぐ左手に根津神社の石段 / 坂を下ると左手に関戸一里塚跡 と続く。すぐに401号線と合流、左折する。中央自動車道を陸橋で越えると、右手に菅原神社がある。甚平坂公園から菅原神社まで10分ほど。「大井宿 約300m 長石関戸一里塚 約100m」道標があり階段を下ると、右手に上宿8人女講連中が造立した馬頭観音 / 上宿石仏群 / 「本陣 約380m」道標 と続く。上宿石仏群は、題目塔(南無阿弥陀仏) / 馬頭観音 / 地蔵 / 痰切地蔵 / 不明の石塔 / 不明の石塔 / 供養塔 / 題目塔(南無阿弥陀仏) / 地蔵 / 題目塔(南無阿弥陀仏) / 庚申塔 / 不明の石塔4基 と並ぶ。
菅原神社参道 山本用水 明智鉄道ガード
題目塔 馬頭観音 高札場
上宿石仏群からすぐ右手に菅原神社参道 / 山本用水 / 明智鉄道ガード / 左手に題目塔(南無阿弥陀仏) / 右手に馬頭観音 / 「本陣 約150m 寺坂石仏群 約230m」道標 / 右手に復元された高札場 と続く。山本用水は安永元年(1772年)阿木川から引かれた5,400mの灌漑用水。

中山道69次 46番 大井(おおい)宿
所在地:岐阜県恵那市
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:466人 家数:110 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:41

尾張藩領にあり、美濃16宿で繁盛した宿場。江戸方から、横町 / 本町 / 竪町 / 茶屋町 / 橋場と5町があった。それぞれの町は6ヶ所の枡形によって区切られていた。大井宿から槙ヶ根追分を経て、下街道を利用する旅人も多かった。当時の面影を残す建物が残る。
中山道ひし屋資料館
大井宿本陣跡 大井村庄屋古山家
高札場からすぐに横町川に架かる上横橋を渡り、枡形の突当りを左折する。さらに枡形の突当り左角に大井宿本陣跡がある。右折して本町の宿場通りを進むと、左手に古山家のひし屋史料館 / 右手に1704-05大井村庄屋古山家がある。古山家は江戸時代の屋号を菱屋、酒の製造販売や享保年間から約150年間庄屋を務めていた。現在の建物は明治初年に上宿より移設したもの。高札場から大井村庄屋古山家まで5分ほど。
宿役人屋敷跡 行在所 旅館いち川
旅籠屋角屋案内板 / 中山道標識 大井村庄屋古屋家 市神神社
大井村庄屋古山家から、すぐ右手に林家の宿役人屋敷跡 / 左手に下問屋場跡案内板 / 右手に行在所跡 / 右手に旅館いち川 と続く。林家は文化2年(1805年)から明治に至るまでの60余年間、宿役人の問屋役を務め苗字帯刀が許されていた。旅館いち川は元旅籠屋角屋跡で、案内板に明治初年撮影の角屋の写真が掲載されている。ここから枡形になっている。案内板下に中山道標識があり右折すると、すぐ左手に大井村庄屋古屋家がある。古谷家は江戸時代商業を営み、天保元年(1830年)から約20年間庄屋を務めた。すぐの突き当りに、市神神社がある。明治25年(1892年)阿木川沿いからここに移された。宿役人屋敷跡から市神神社まで5分ほど。
恵那峡弘法大師 大井橋 中山道案内板

市神神社の突当りを左折する。すぐに突き当る手前右手に、恵那峡弘法大師八十八所がある。恵那駅から恵那峡までの道路沿いに造立されたが、戦争が始まり未完成になっている。突き当りを左折、すぐに旅館いち川から延びる道と合流する。右折して阿木川に架かる大井橋を渡ると、右手に中山道案内板がある。江戸に瀬を向けた位置になっている。市神神社から中山道案内板まで5分ほど。

中山道案内板からすぐの中央通1交差点を右折すると、JR恵那駅に至る。
[寄り道]津島神社
中央通1交差点を左折すると、すぐ左手に津島神社 / 左手に中山道広重美術館 と続く。大正7年(1918年)大井町中心部に疫病患者が大発生、愛知県津島市にある津島神社総本社の分霊を祀る。
津島神社