中山道69次 No.26 馬篭バス停-(約9km)-中津川駅
2012年 7月19日(木)08:15 晴
馬篭バス停 馬籠城跡 新茶屋の一里塚 落合石畳 山中薬師 落合宿本陣跡 門冠の松 おがらん四社 子野の一里塚跡 覚明神社 小野の地蔵堂 旭ヶ丘公園 中津川駅
馬篭宿道標 / 中山道馬篭宿石柱 左中津新道道標 丸山坂 / 馬籠城跡案内板
馬籠城跡案内板 石仏・石塔群 諏訪神社鳥居
町並み 双体道祖神 子規句碑
馬篭宿南の入口十字路を南へ進む。南西側の角に、「中山道・京へ 新茶屋・落合の石畳 中山道・江戸へ 馬籠峠・妻籠宿 京へ五十二里半 江戸へ八十里半」馬篭宿道標と「京江五十二里半 江戸江八十里半」中山道馬篭宿石柱がある。急な坂道を下り道なりに進む。10分ほどすると、右手に「左中津新道」道標 / 丸山坂の右手に馬籠城跡案内板 / 右手に石仏・石塔群 / 左手に諏訪神社鳥居と続く。この辺りの地名は城山とも言われ、室町時代から馬籠城があったところ。石仏・石塔群は、馬頭観音 / 馬頭観音 / 庚申塔 / 馬頭観音 / 不明の石塔 と並んでいる。諏訪神社鳥居から5分ほどすると、左手に双体道祖神 / 「馬籠宿1.1km 落合宿2.9km」道標と続く。さらに5分ほどすると、右手に子規句碑「桑の実の 木曽路出づなむ 穂麦かな」がある。
芭蕉句碑 「是より北 木曽路」道標 「信濃 美濃 国境」石柱
新茶屋の一里塚 一里塚古跡
子規句碑から5分ほどすると、左手に芭蕉句碑「送られつ 送りつ果ては 木曽の穐」 / 左手に「是より北 木曽路」道標 / 右手に「信濃 美濃 国境」石柱 / 左手に新茶屋の一里塚跡と続く。ここが美濃国と信濃国の国境、岐阜県と長野県の県境だったところ。長野県山口村は平成17年(2005年)の越県合併により岐阜県中津川市に編入された。国境の美濃側に新茶屋の一里塚があり、東側が復元されている。案内板があるが、新茶屋の一里塚碑 / 少し盛られたところにある松 / 一里塚古跡碑の関係がよく解らない。新茶屋の由来は、十曲峠の美濃側にあった立場茶屋がここに移ったことによる。
分岐
なんじゃもんじゃ 落合石畳
山のうさぎ茶屋
中山道石柱と落合石畳 苔むした落合石畳
一里塚古跡からすぐに分岐があり、旧中山道は直進する。右への石畳道は「落合宿2.0km」標識もあり、紛らわしい。この全長120mの石畳は、平成17年(2005年)に遊歩道として造られたもの。すぐに合流、落合石畳を下る。落合石畳は、馬篭宿と落合宿の間にある十曲峠の坂道に敷かれた。全長823mの内、部分的に4カ所の計70.8mが当時のままで残る。あとは復元されたもの。すぐ左手に「なんじゃもんじゃの杜」案内板と「なんじゃもんじゃの杜」碑がある。石畳も苔むしたところは、滑り易い。5分ほどすると、左手に山のうさぎ茶屋がある。すぐに落合の石畳案内板、さらに5分ほどすると中山道石柱がある。すぐに約20分下った落合石畳が終わる。
地蔵 医王寺(山中薬師) 落合川
不明の石塔 / 地蔵 / 地蔵 不明の石仏2基 不明の石塔2基
落合石畳から車道に出ると、すぐ右手に地蔵 / 左手に医王寺(山中薬師)と続く。15分ほどすると落合川に架かる下桁橋を渡る。左手に堰による涼しげな滝が見える。以前中山道だった道と合流する手前の左手に、石仏・石塔が7基 / 「中山道の付け替えと落合大橋」案内板 と続く。医王寺(山中薬師)からこの辺りまでは難所の為、何度か道が付け替えられたている。
中山道69次 44番 落合(おちあい)宿
所在地:岐阜県中津川市
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:370人 家数:75 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:14
美濃路に入って最初の小さな宿場。宿場通りの中央にある本陣は、江戸時代の建物がほぼそのまま残っている。
高札場跡 秋葉常夜燈 町並み
落合宿本陣跡
落合村役場跡地 落合宿助け合い大釜 門冠の松
落合川に架かる下桁橋から5分ほどすると、左手に落合宿の高札場跡がある。すぐの桝形を右折すると、右手に寛政4年(1792年)造立の秋葉常夜燈 / 右手に落合宿本陣跡 / 左手に落合宿助け合い大釜 / 左手に落合村役場跡地 / 門冠の松 と続く。宿場には4基の常夜燈があったが、現存するのはこの1基だけとなっている。井口家本陣跡の門は、文化12年(1815年)火災再建時に加賀藩より火事見舞で賜った門。落合宿助け合い大釜は文久元年(1861年)皇女和宮の大行列が宿場を通行したとき、暖かいもてなしをするために寒天の原料(天草)を煮た直径1.5mの大釜。道路上に張り出している樹齢450年の松は、移転前の山門を覆っていたので門冠の松と呼ばれている。
旧中山道はすぐに左折する。坂を登り切った十字路を右折、19号線に架かる“おがらん橋”を渡ると、正面に“おがらん四社”(落合五郎兼行神社 / 愛宕神社 / 山神神社 / 天神社)がある。
十字路から見る登り坂
おがらん四社 落合五郎兼行之城跡
道を間違え、直進する。門冠の松からすぐに19号線と交差する。横断して左折、19号線を南西へ進む。すぐに右へ分岐する道を登ると、右手に“おがらん四社”(落合五郎兼行神社 / 愛宕神社 / 山神神社 / 天神社)がある。落合五郎兼行(かねゆき)は、平安時代末期の武将。巴御前の兄または弟で、木曽義仲四天王の一人。信濃国との境である美濃国恵那郡落合村(岐阜県中津川市落合)に、美濃口の抑えとして館を構えていたと云われている。
与坂バス停 与坂立場跡 弘法堂
おがらん四社から南西へ、19号線に平行する坂を下る。道なりに進むと19号線に突き当る。旧中山道は分断されており、19号線を進む。すぐに19号線を潜る車道があり、反対側に出る。与坂バス停から南西へ急坂を登る。10分ほどすると右手に与坂立場跡 / 左手に弘法堂がある。10分ほどすると、左手に子野(この)の一里塚跡がある。すぐ左手に題目塔(南無観世音菩薩) / 馬頭観音 / 馬頭観音 と並んでいる。
子野の一里塚跡 題目塔 / 馬頭観音 / 馬頭観音
覚明神社 石塔群
子野の一里塚跡からすぐ右手に、覚明(かくめい)神社と数多くの石塔・石仏が並んでいる。覚明は、木曾御嶽講の開祖。天明5年(1785年)御嶽山を開くために泊まった茶屋があった場所に創建された神社。すぐ左手に社がある。
小野の地蔵堂 南西側からの枝垂桜
標識 双体道祖神 秋葉常夜燈
双体道祖神 尾州白木改番所跡 中山道道標

覚明神社から10分ほどすると、左手に枝垂桜が覆いかぶさる小野の地蔵堂がある。地蔵堂はなく、数多くの石塔・石仏が並んでいる。5分ほどすると斜めに交差するところに標識があり、Λ字に進む。すぐに19号線と交差、右手の地下道を潜る。出口に標識があり、左へ進む。すぐ右手に双体道祖神 / 左手に秋葉常夜燈 / 左手にめだかの学校唱歌と双体道祖神 / 右手に尾州白木改番所跡 / 中山道道標 と続く。尾州は白木材の木曽五木の領外搬出を厳しく取締り、天明2年(1782年)上金村に白木改番所を設置した。すぐ左手に旭ヶ丘公園があり、昼食を摂る。

經王書寫塔 芭蕉句碑 不明の石仏 / 庚申塔
石畳 元矩碑 下るとそのまま歩道橋
案内地図 高札場 常夜燈 / 庚申塔 / 二十三夜塔
旭ヶ丘公園の旧中山道側に經王書寫塔がある。旧中山道を進むと、すぐに左手に安永2年(1772年)造立の芭蕉句碑「山路来て 何や羅遊かし 寿みれ草 はせを」 / 右手に不明の石仏と庚申塔 / 石畳を下り切った左手に元矩碑 と続く。坂を下るとそのまま歩道橋で6号線を越える。「落合の石畳4.4km 三百米先右折 JR中津川駅0.7km」道標がある。歩道橋を下ったところ、側面に案内地図がある。すぐ左手に中山道中津川宿絵図 / 左手に復元された高札場 / 左手に常夜燈 / 庚申塔 / 二十三夜塔と続く。
中山道69次 45番 中津川(なかつがわ)宿
所在地:岐阜県中津川市
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:928人 家数:228 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:29
飛騨街道が分岐する交通の要衝であったため、商業で賑わった大きな宿場。寛文3年(1663年)から始まった3と8の日に市が立った。現在は毎月第一日曜日に「六斎市」が開催されている。立派なうだつのある建物が残っている。江戸方より、淀川町 / 新町 / 本町 / 横町 / 下町と続き、本町に本陣と脇本陣があった。皇女和宮が江戸に降嫁される際、中津川宿で食べた料理の文献が見つかる。忠実に再現したものが市内の旅館で食べられる。
高札場から5分ほどすると、71号線との新町交差点がある。旧中山道は、直進する。右折するとすぐ右手に神号碑「水神」、すぐにJR中津川駅に至る。
水神