中山道69次 No.23 倉本駅-(約12km)-野尻駅
2012年 6月 5日(火)09:20 晴
倉本駅 倉本一里塚跡 須原駅 鹿嶋神社 定勝寺 岩出観音堂 天長院 野尻駅
改札のないJR倉本駅上りホームから、線路沿いに坂を下る。19号線の倉本交差点からの道に突き当り、左折する。ゆるい坂道を上り、突当りを右折する。左からの道は、19号線の倉本駅手前で途切れた旧中山道。
途切れた旧中山道
倉本集落 常夜燈 石塔群
常夜燈 石塔群 石塔群

旧中山道との合流から5分ほどすると、左手に常夜燈がある。すぐに右手が竹林の坂を下ると、左手に不明の石塔 / 不明の石塔 / 地蔵 / 不明の石塔 / 不明の石塔と並んでいる。さらに左手に常夜燈 / 地蔵 / 庚申塔 / 題目塔(南無阿弥陀仏)と並んでいる。背後の丘に10基を越える石塔群が見える。

未舗装の道 左:途切れている旧中山道 倉本一里塚跡
石塔群からすぐに道標があり、未舗装の道を下る。すぐに車道と合流、道標がある。旧中山道は左折、さらに右折して大沢川を渡り19号線の万場交差点に出ていた。現在はJR中央本線で分断され、道が途切れている。右折するとすぐにJR中央本線を潜り、19号線に突き当る。左折して大沢橋を渡り、5分ほどすると右手に倉本一里塚跡がある。
池の尻集落 枝垂れ桜 祈交通安全石柱

倉本一里塚跡からすぐに池の尻交差点があり、19号線から右へ進む。途中から草道になり、19号線に合流する。標高588m標識がある。池の尻交差点から10分ほどである。この辺りから旧中山道は左手のJR中央本線を横断していた。現在はJR中央本線で分断され、道が途切れている。養魚池の間から村天然記念物・エドヒガン桜を通り、ふたたびJR中央本線を越えて19号線に出ていた。19号線を10分ほど進むと、道標があり右へ進む。すぐに19号線と合流、左手に枝垂れ桜 / 右手に祈交通安全石柱と続く。

祈交通安全石柱から10分ほどすると、左手に糸瀬山登山口案内板がある。旧中山道はこの辺りからJR中央本線を跨ぎ、さらに弧を描く様に19号線に通じていた。糸瀬山登山口案内板から19号線を5分ほど進むと、左手に中山道道標がある坂道を登る。

中山道道標のある坂道
須原宿看板 水舟の里看板 一里塚跡

中山道道標から10分ほどすると、19号線に合流する。すぐの三角地帯に、須原宿看板 / 水舟の里看板がある。旧中山道は19号線を直進するが、左へ265号線の坂道を進むと、すぐ左手にJR須原駅 / 右手に一里塚跡がある。19号線を直進、すぐ左手にの道標がある。この辺りに一里塚と高札場があった。左へ道なりに進み石段を登ると、駅前からの265号線と合流する。

町並み

中山道69次 39番 須原(すはら)宿
所在地:長野県木曽郡大桑村
天保14年(1843年)の中山道宿村大概帳
人口:478人 家数:104 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:24

下流の川岸にあったが、正徳5年(1715年)木曽川の氾濫で流出する。享保2年(1717年)現在地へ移転する。宿の中央に防火対策を兼ねた用水路と7ヵ所の共同井戸を設置した。現在もこの水場の水舟が残っている。
水舟 本陣跡 脇本陣跡
水舟 / 子規句碑 秋葉常夜燈
鹿嶋神社 町並み 右奥:須原柏屋

須原宿といえば水舟を思い起こすが、前回2009年に訪れたときより寂しくなっていた。265号線との合流から、すぐ左手に本陣跡 / 反対側に脇本陣跡がある。脇本陣・西尾家は問屋と庄屋も兼ねていた。現在の建物は明治20年(1887年)の火災後に再建されたもの。すぐ左手に水舟 と子規句碑「寝ぬ夜半を いかにあかさん 山里は 月出つるほとの 空もたにもなし」がある。さらに右手に、島崎藤村「ある女の生涯」の舞台となった清水医院跡案内板がある。建物は犬山市明治村に移転、保存されている。さらに左手に、秋葉常夜燈 / 社 / 石段上に鹿嶋神社と続く。5分ほどすると左手に須原柏屋があり、1階に須原柏屋 / 2階に三都講と当時の看板が架っている。すぐに宿場通りが終わる。

定勝寺山門 定勝寺本堂 定勝寺庫裏
旧中山道は十字路を右折するが、直進するとすぐ左手に嘉慶年間(1387年〜1388年)木曽親豊が創建したと云われる定勝寺(じょうしょうじ)がある。木曽川付近にあったが、度重なる洪水に見舞われ荒廃する。天正17年(1598年)犬山城主・石川光吉が現在地に再建する。山門 / 本堂 / 庫裏は重文。境内で昼食を摂る。
水路がある道 水神 古民家

十字路に戻り、中央に水路がある道を下る。すぐに道標があり左折すると、左手に神号碑(水神)がある。すぐに定勝寺前から続く265号線と合流する。10分ほどするとJR中央本線第9中仙道踏切を渡る。さらに10分ほどすると、前方に伊奈川に架かる伊奈川橋が見えてくる。

岩出観音堂の石段 岩出観音堂

伊奈川橋の手前を左折、道なりに進むとすぐ左手に社 / 岩出観音堂と続く。資料によっては、さらに手前を左折して岩出観音前から伊奈川橋への道が旧中山道になっている。天正年間(1573年〜1592年)田んぼから発見された銅製の馬頭観音を祀ったのが、岩出観音の始まりと云われている。現在の堂は文化10年(1813年)に再建されたもの。京都の清水寺に似た懸崖造りになっている。境内に多数の石仏がある。

不明の石塔 念三夜塔 不明の石塔
水害記念碑 天長院 町並み

伊奈川橋は歩道が分離されており、渡る手前の車道と歩道の間に不明の石塔がある。伊奈川橋を渡り道なりに右へ、さらに左折して西へ進む。5分ほどすると右手に中山道道標があり左折する。直進は古中山道で、関所跡のある関山に通じていた。JR中央本線を越えたあたりから途切れている。すぐ左手に念三夜塔 / 不明の石塔が並んでいる。10分ほどすると道標があり左へ進むと、すぐ左手に水害記念碑 / 右手の鉄塔下に天長院への道標がある。左折すると、すぐの突き当りに天長院がある。室町時代に創建された広徳寺が天文年間(1532年〜1555年)に焼失する。文禄年間(1592年〜1296年)天長院として再建される。山門手前に多数の石仏がある。道標まで戻り、左折して道なりに進む。10分ほどすると長野宿橋を渡り、すぐの十字路を直進する。十字路を右折すると突当りにJR大桑駅がある。

常夜燈 関所跡 町並み
十字路を直進すると、常夜燈が2基並んでいる。十字路から5分ほどするとJR中央本線第10中仙道踏切を渡り、すぐの19号線を左折する。5分ほどすると、坂道を上り切った右手に関所跡がある。10分ほどすると道標があり、右へ進む。5分ほどすると第11中仙道踏切、さらに5分ほどすると第12中仙道踏切を渡る。すぐに道標があり、枡形の道を左折してすぐに右折する。

中山道69次 40番 野尻(のじり)宿
所在地:長野県木曽郡大桑村
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:986人 家数:108 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:19

明治27年(1894年)の大火で、宿場の大半を焼失している。宿場通りは奈良井宿に次いで長い。外敵を防ぐため通りが“七曲がり”になっている。

題目塔 町並み
枡形の道からすぐ左手に題目塔(南無阿弥陀仏) / 左手に社 / 左手の野尻駐在所前に社と続く。すぐの旅館庭田屋から右折するとJR野尻駅に至る。枡形の道からJR野尻駅まで10分ほどである。
旅館庭田屋