中山道69次 No.18 芦田宿-(約13.5km)-和田宿
2012年 3月16日(金) 07:45 晴
芦田バス停 土屋本陣跡 正明寺 笠取峠 松尾神社 石合本陣跡 水明の里公園 若宮八幡神社 和田八幡宮 長井本陣跡 翠川脇本陣跡 上和田バス停
土屋本陣跡 味噌・醤油酢屋茂 金丸土屋旅館
正明寺 双体道祖神2基 中山道灯篭

しなの鉄道・大屋駅よりバスで芦田へ、芦田バス停から西へ進む。すぐの芦田中央交差点手前の右手に土屋本陣跡がある。交差点を越えると、右手に“味噌・醤油酢屋茂”看板の商家 / 文化元年(1804年)頃より営業の金丸土屋旅館と続く。5分ほどすると、左手に元和8年(1622年)創建の正明寺 / 右手に双体道祖神2基と続く。5分ほどすると、石打場公園に中山道灯篭がある。

常夜燈 双体道祖神 笠取峠のマツ並木標柱
歌碑
歌碑 松並木
地蔵 地蔵 歌碑
常夜燈 道祖神 従是東小諸領標柱
交差点で142号線を横断すると、右手に道標がある。旧中山道は常夜燈方向へ142号線と並行に進む。すぐ左手に双体道祖神 / 分離帯に笠取峠のマツ並木標柱 / 右手に歌碑と続き、松並木が始まる。5分ほどすると、右手に歌碑 / 右手に地蔵 / 右手に地蔵 / 右手に歌碑と続く。公園には屋根とベンチのある休憩所 / 冬季に閉鎖のトイレがある。すぐに左手に常夜燈 / 142号線と斜めに交差する手前左手に道祖神 / 右手に右手に従是東小諸領標柱がある。
笠取峠のマツ並木標柱 一里塚跡 双体道祖神
142号線を斜めに横断する。5分ほどすると笠取峠のマツ並木石柱と「塩名田14.0km 笠取峠1.3km」道標があり、142号線と合流する。延々と続く上り坂を15分ほど進むと、右手に一里塚跡 / 右手に双体道祖神と続く。5分ほどすると左手に、笠取峠竣工記念碑がある。昭和59年(1984年)から平成7年(1995年)交通の難所であった笠取峠の道路改良工事が行われた。昔は旅人が上り坂で暑さと疲れのあまり笠を取ってしまうことから、笠取峠と呼ばれるようになった。長和町標識があるところが、標高900mの笠取峠頂上になる。
笠取峠竣工記念碑
旧中山道笠取峠標識 常夜燈 笠取峠碑
笠取峠を下ると、すぐ左手に旧中山道笠取峠標識 / 右手に峠乃茶屋 / 右手に常夜燈 / 笠取峠碑と続く。さらに右手に壁画がある。
壁画
「中山道原道」道標 枝垂桜 中山道原道

壁画から5分ほどすると、142号線から旧国道が分岐する。三角地帯に「中山道原道」標識と「中山道原道」道標がある。旧中山道は142号線と旧国道に挟まれた雑木林の中を進むが、雪に埋もれている。「笠取峠0.5km 和田宿9.3km 東餅屋(和田峠)20.1km」道標に従い、旧国道を進む。10分ほどすると、右手に右手に枝垂桜が見えてくる。左手からの中山道原道と合流する。

馬頭観音 / 地蔵 「中山道原道」標識 中山道原道

すぐに標識があり右へ進むと、左手に馬頭観音と地蔵がある。すぐ右手のガードレールが切れたところに「中山道原道」標識がある。旧国道を5分ほど進むと、右手からの中山道原道と合流する。

「笠取峠原道⇔笠取峠原道」標識 「笠取峠原道⇔笠取峠原道」標識の右側 「笠取峠原道⇔笠取峠原道」標識
旧国道を進むとすぐに「笠取峠1.7km 和田宿8.1km」道標があり、142号線と合流する。「笠取峠1.9km 和田宿7.9km」道標のところ、右手に「中山道原道」標識がある。5分ほどすると左手に「笠取峠原道⇔笠取峠原道」標識がある。左側は雪に埋もれているが、右側は確認できる。5分ほどすると「笠取峠原道⇔笠取峠原道」道標がある。この区間はどの様に繋がっているか解らない。
不明の石仏6基と馬頭観音 是より長久保宿 石仏群
石塔群 灯篭 松尾神社
「笠取峠原道⇔笠取峠原道」標識からすぐ左手に不明の石仏6基と馬頭観音がある。すぐに五十鈴川を上五十鈴橋で渡る。右手に「笠取峠2.7km 和田宿7.1km 東餅屋(和田峠)17.9km」道標 / 142号線と並行になる左手の分離帯に是より長久保宿標柱 / 祠に石仏が5基 / 右手に10数基の石塔群と続く。すぐに右手に灯篭と松尾神社案内板がある。

中山道69次 27番 長久保(ながくぼ)宿
所在地:長野県小県郡長和町長久保
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:721人 家数:187 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:43

難所であった和田峠と笠取峠の間にあった宿場。大門道と北国脇街道往還の分岐があり、比較的大きな宿場であった。本陣のある堅町が中心であったが、発展とともに横町が形成されL字型の珍しい宿場町となった。本来の表記は“長窪”であったが、明治になって“長久保”になる。久しく保つ意味の“久保”に縁起を担いだと云われている。
町並み 石合本陣跡 高札場跡
脇本陣跡 釜鳴屋

松尾神社から15分ほどすると、右手に石合本陣跡 / 右手に高札場跡 / 左手に脇本陣跡 / 右手に釜鳴屋と続く。石合本陣跡には、寛永年間(1624年〜1645年)築の中山道最古の表門や御殿が現存する。釜鳴屋は江戸時代の商家(造り酒屋)で、笠取峠斜面に建てられた江戸期の立場茶屋の様子が描かれた版木が保存されている。すぐ右手に「笠取峠3.3km 和田宿6.5km」道標 / 社 / 「中山道 長久保宿 左ぜんこうじ」道標 / 埋もれた道標 / 長久保新町道路元標 が並んでいる。商店の店先で昼食を摂る。

道標 / 埋もれた道標 / 道路元標
町並み 合流点 是より長久保宿

「笠取峠3.3km 和田宿6.5km」道標から10分ほどすると、右手に小さな中山道標識があり小道を右折する。すぐに突き当りを左へ進むと、右手に「笠取峠3.7km 和田宿6.1km東餅屋(和田峠)16.9km」道標がある。ここは桝形になっていたところで、道は小さな中山道標識があった道から延びる道と合流する。すぐ左手に是より長久保宿標柱があり、宿場は終わる。

不明の石塔
道祖神 依田川
水明の里公園 石塔群

是より長久保宿標柱からすぐに142号線と合流、左手に不明の石塔 / 「笠取峠4.0km 東餅屋(和田峠)16.6km」道標と続く。5分ほどすると「笠取峠4.3km 東餅屋(和田峠)16.3km」道標があり、右へ進む。10分ほどすると、「←中部北陸自然歩道 中山道→」道標がある。さらに10分ほどすると、左手に道祖神がある。10分ほどすると大和橋交差点があり、左へ諏訪・白樺湖方面の152号線を進む。すぐに右折して大門川に架かる落合橋を渡る。中山道標識があり、依田川に架かる橋を渡る。依田川沿いに進むと、すぐに142号線に突当り、左折する。5分ほどすると青原交差点があり、142号線と分かれ水明の里公園沿いに右折する。公園沿いに左にカーブして下ると、左手に石塔群がある。

庚申塔 / 道祖神 上深山口バス停 石塔群
下和田中組バス停 馬頭観音 / 不明の石塔3基 ミミズ碑
水明の里公園から5分ほどすると、右手に庚申塔と道祖神 / 左手に茅葺の上深山口バス停と続く。ここから先、ユニークなバス待合室が登場する。すぐ左手に石塔群がある。天王夜塔の後ろに、祠 / 宝暦2年(1752年)造立の西国三十三ヶ所塔 / 庚申塔 / 祠と並んでいる。さらに右手の下和田中組バス停裏に馬頭観音と 不明の石塔3基 / 左手にミミズ碑と続く。みみずは枯れた落ち葉や木の枝などを良く食べる。糞は植物が育つ土になることから、祀られた様である。
水飲み場 石塔群
上立場バス停 石碑 / 招き猫 双体道祖神
ミミズ碑からすぐ左手に水飲み場 / 左手に石塔群 / 上立場バス停 / 左手に福と刻まれた石碑と 招き猫 / 右手に双体道祖神と続く。石塔群は、馬頭観音 / 大乗妙典 / 南無阿弥陀佛 / 大乗妙典 / 庚申塔 / 三千僧接待塔 / 祠 / 祠 と並ぶ。三千僧接待塔は、慈眼寺境内に造立したものを寛政7年(1795年)にこの地に移したもの。諸国遍歴の1千人の僧侶への供養接待を発願、達成したので2千人増の3千人として再発願した。“一”の字に後から“二”を刻んで“三”としてあると云われている。
獅子舞と子供たち碑 / 不明の石塔 / 不明の石仏 / 庚申塔 下和田上組バス停

双体道祖神からすぐ右手に石塔群 / 下和田上組バス停と続く。石塔群は、平成8年造立の獅子舞と子供たち碑 / 不明の石塔 / 不明の石仏 / 庚申塔と並んでいる。

柳又バス停 不明の石塔 / 馬頭観音 中山道石柱
石塔群 不明の石塔 若宮八幡神社
庚申塔 一里塚跡 バス停

下和田上組バス停から5分ほどすると柳又バス停がある。さらに5分ほどすると、左手に不明の石塔と馬頭観音 / 左手に中山道石柱 / 左手の小高いところに石塔群4基(左から4番目:馬頭観音 5番目:水道の碑) / 斜め右手に不明の石塔と続く。すぐに左手の道路より一段低いところに若宮八幡神社 / 左手に庚申塔 / 左手に一里塚跡と続く。若宮八幡神社本殿は享保6年(1721年)建立。境内には、天文23年(1555年)武田信玄に敗れた和田城主大井信定父子の首級が埋葬されている。5分ほどすると洒落たバス停がある。

是より和田宿石碑 不明の石柱 中山道石柱

洒落たバス停から10分ほどすると、左手に是より和田宿石碑 / 不明の石柱 / 中山道石柱がある。

中山道69次 28番 和田(わだ)宿
所在地:長野県小県郡長和町和田
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:522人 家数:126 本陣:1 脇本陣:2 旅籠:28

標高820mの高地に慶長7年(1603年)につくられた山里の宿場。中山道最大の難所である標高1531mの和田峠の東口にあたり、参勤交代の大名も必ず宿泊した。次の下諏訪宿までは5里半(約22km)と距離があり、険しい峠越えであった。冬季は降雪で人馬ともに想像を絶する厳しい峠越えであったと云われている。荷駄を運ぶための伝馬役が最盛期には70軒ほどあった。峠の途中に人馬のための避難所や西餅屋 / 東餅屋 / 接待と呼ばれた茶屋を設けていた。文久元年(1861年)3月大火で本陣など焼失したが、その年の11月に皇女和宮が宿泊予定のため昼夜兼行で再建された。本陣 / 脇本陣 / 旅館などが保存されている。宿周辺の産物に黒曜石がある。

道祖神 和田学校前バス停 和田神社鳥居
和田の原バス停 和田八幡宮 双体道祖神
和田新田バス停
旧旅籠河内屋 長井本陣跡
是より和田宿石碑からすぐ右手に道祖神 / 和田学校前バス停 / 右手に和田神社鳥居と続く。5分ほどすると和田の原バス停 / 右手に和田城の鬼門除けに創建されたと云われる和田八幡宮と続く。境内沿いに進み5分ほどすると、右手に双体道祖神 / 水飲み場 / 和田新田バス停がある。追川にかかる追川橋を渡ると、すぐ右手に復元された旅籠・河内屋がある。歴史の道資料館・河内屋になっている。すぐの十字路手前左角に長井本陣跡がある。文久元年(1861年)3月大火で焼失したが、11月皇女和宮降嫁に備え再建された。十字路を左折すると、和田村役場に至る。
旧中山道は十字路を直進する。右折して5分ほど進むと、左手に天文22年(1553年)創建の信定寺がある。裏山は和田城跡。
信定寺山門 信定寺本堂
 
常夜燈 翠川脇本陣跡 上和田バス停

十字路まで戻り、旧中山道を進むとすぐ左手に常夜燈 / 右手に翠川(みどりかわ)脇本陣跡 / 上和田バス停と続く。翠川脇本陣跡には文久元年(1861年)の大火後に再建した御殿が現存している。

町並み
上和田バス停から長和町へ、JR上田駅行きに乗り継ぐ。