中山道69次 No.15 下諏訪駅-(約13km)-塩尻下大門交差点
2011年12月12日(月) 08:15 晴
下諏訪駅 魁塚 平福寺 東掘一里塚跡 今井茶屋本陣 石舟観音 塩尻峠 東山一里塚 柿沢集落 阿禮神社 堀内家住宅 下大門交差点 塩尻駅
20号線との分岐 魁塚 魁塚碑
諏訪大社春宮大門 常夜灯 道祖神
JR下諏訪駅より北へ、下諏訪駅前交差点を左折して旧中山道を西へ進む。すぐに20号線は右へ進路を変えるが、旧中山道は直進する。すぐ左手に魁(さきがけ)塚がある。倒幕先鋒赤報隊が各所で献金を強要したと云う冤罪で、慶応4年(1868年)斬首の刑に処せられる。明治3年(1870年)処刑された地に、慰霊塚が造立される。5分ほどすると、185号線と交差する。右手に20号線沿いの諏訪大社春宮大門が見える。横断した右手に常夜灯、すぐ右手に道祖神がある。
中山道標識 砥川に架かる富士見橋 中山道標識
中山道標識と案内地図 案内地図 道標
道祖神からすぐの突き当りに、中山道標識がある。狭い路地を通り抜けると、すぐに砥川の堤防に上る。現在は橋がなく、右折して20号線の富士見橋を渡る。渡ると中山道標識があり、30m先を左折する。すぐ右手に中山道標識と案内地図がある。実際には、30mと表記されている中山道標識を、すぐに左折している。砥川の堤防を進むが、対岸からの延長に道は見当たらない。少し先を鋭角に下り道なりに進むと、民家に庭を通り道に出ている。右折して、左手にある中山道標識と案内地図のところに辿りついている。中山道標識と案内地図からすぐに十字路があり、横断すると左手に旧中仙道道標がある。
十四瀬川に架かる橋 平福寺
日限地蔵堂脇の地蔵 道標 古民家と中山道道標

中仙道道標からすぐに十四瀬川に架かる木製の橋を渡ると、下諏訪町から岡谷市に入る。5分ほどすると、右手に“おひぎりさま平福寺”の看板があり右折する。山門を潜ると、左手に日限地蔵堂がある。日を限って願かけすると、その願いが叶えられると云われている。旧中山道を進むと、すぐに長池東堀交差点で14号線を越える。横断すると右手に、寛政3年(1791年)造立の百萬遍供養塔を兼ねた道標がある。“左いなみち 右中仙道”と彫られており、岡谷街道との分岐になっている。5分ほどすると右手の古民家の前に中山道道標がある。

東掘一里塚跡 道祖神 常夜灯
石仏 天満宮 / 蠶玉神社 / 不明の石塔 双体道祖神

古民家前の中山道道標から10分ほどすると、東掘交差点で20号線を越える。すぐ右手に東掘一里塚跡がある。5分ほどすると、右手に道祖神 / 右手に常夜灯 / 右手に不明の石仏と続く。すぐに横河川に架かる大橋を渡ると、左手に天満宮神号碑 / 蠶玉神社の神号碑 / 不明の石塔が並んでいる。道の反対側に、双体道祖神がある。

双体道祖神 古民家の軒下 今井番所跡
今井茶屋本陣 道標 不動
双体道祖神から10分ほどすると、右手の岡谷市消防団第一分団の敷地に双体道祖神がある。古民家の軒下に鳥が飾られている。すぐ左手に今井番所跡 / 右手に国文化財になっている今井茶屋本陣 / 右手に中山道道標と続く。今井村は塩尻峠の登り口で、参勤交代の大名などがこの茶屋を利用していた。中山道道標には“右しもすわ 左いほじり峠”と彫られている。5分ほどすると、右手に不動がある。
中山道道標と案内地図 石舟観音 金名水
石塔 旧中山道の大石 馬頭観音

不動からすぐに、長野自動車道の岡谷ICへの道に架かる陸橋を越える。左折すると旧中山道と石舟観音の標識があり、右へ進む。10分ほどすると、右手に中山道道標と案内地図 / 右手に石舟観音 / 右手に金名水と呼ばれている水飲み場と続く。金名水の石垣の上に石塔が2基見える。5分ほどすると、左手に旧中山道の大石 / 左手に馬頭観音2基と続く。

歌碑 明治天皇御野立所跡 富士浅間社の祠
聖駕駐蹕記 展望台眺望

残雪が凍りついた坂道を登る。馬頭観音から15分ほどすると、塩尻峠に着く。右手に歌碑や明治天皇御野立所跡がある。展望台へ進むと、右手に富士浅間社の祠 / 正面に“聖駕駐蹕記”と彫られた石碑がある。展望台から諏訪湖と町並みが見える。展望台で昼食を摂る。

立場茶屋本陣跡 歌碑 不明の石塔
親子地蔵 / 馬頭観音 伝説夜通道杭 東山一里塚
旧中仙道の標識があり、残雪が凍りついた坂道を下る。塩尻峠から5分ほどすると、左手に立場茶屋本陣跡 / 道の反対側に歌碑と不明の石塔がある。すぐ右手に天明飢餓で峠で行き倒れになった旅の親子を供養した享保元年(1716年)造立の親子地蔵と馬頭観音がある。すぐ右手の伝説夜通道杭には、“昔片丘辺の娘が岡谷の男に会うため夜この道を通った”と書かれている。5分ほどすると、左手に東山一里塚がある。対となる塚は開拓時に崩されて消滅している。
馬頭観音 / 半僧坊大権現 / 不明の石塔 20号線から分岐する細い坂道 馬頭観音

分岐がところどころにあるが、標識があり迷うことはない。東山一里塚から10分ほどすると、左手に馬頭観音 / 半僧坊大権現 / 不明の石塔がある。奥に東明神社の社殿神社が見える。右へ進み10分ほどすると、20号線に架かる塩尻市東山歩道橋がある。手前を右折、すぐに20号線に合流する。さらに中山道標識があり、右へ細い坂道を上る。 10分ほどすると20号線と交差、左手に横断用のトンネルがある。5分ほどの長野自動車道に架かる陸橋を進む。さらに5分ほどすると、右手に嘉永6年(1853年)造立の馬頭観音がある。

柿沢集落 双体道祖神 道祖神
高札場 道祖神 七観音
鳥居 道祖神 双体道祖神 / 不明の石塔
 

馬頭観音からすぐに柿沢集落に入る。5分ほどすると、右手に双体道祖神 / 左手に道祖神 / 左手に高札場 / 右手に道祖神 / 左手に七観音 / 道路を跨ぐ鉄骨の鳥居と続く。すぐの下柿沢交差点を越えると、右手に道祖神がある。すぐに火の見櫓があり、左へ細い道を進む。5分ほどすると、四沢川にかかる作並橋の手前で153号線に合流する。右折して橋を渡ると、すぐ右手に双体道祖神と不明の石塔がある。

中山道69次 30番 塩尻宿(しおじり)宿
所在地:長野県塩尻市
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:794人 家数:166 本陣:1 脇本陣:1 旅籠:75

江戸時代初期の慶長年間に整備された中山道は、下諏訪宿から贄川宿を結ぶ最短経路であった。この区間は難所続きであったため、経路が変更され宿場として整備された。三州(伊那)街道や松本道の分岐点でもあり、交通の要衝となる宿場町であった。三河国からは南塩、糸魚川からは松本経由で北塩が牛馬で運ばれた。慶長10年(1726年)以降は天領になり幕府の塩尻陣屋が置かれた。明治16年の大火で町の大部分を焼失している。旅籠いてふ屋(重文)や堀内家住宅(重文)が残る。

道祖神 題目塔 阿禮神社御旅所
十王堂跡の石仏 本陣跡 脇本陣跡

双体道祖神と不明の石塔からすぐに仲町交差点がある。左手に道祖神と題目塔(南無妙法蓮華経) / 右手に塩尻宿石柱 / 左手に阿禮神社御旅所と続く。御旅所とは、神社の祭礼のときに神輿巡幸中に休憩または宿泊させる場所。この辺りから塩尻宿に入る。すぐ右手に松本藩塩尻口留番所跡石柱 / 右手に十王堂跡と続く。十王堂跡には、庚申塔 / 庚申塔 / 念仏供養塔 / 庚申塔 / 不明の石仏 / 双体道祖神と並んでいる。すぐ右手にある元旅籠・いてふ屋(重文)の小野住宅は改修中であった。すぐに塩尻信号があり、右手に高札場跡・下問屋跡石柱 / 左手に上問屋跡石柱 / 左手に本陣跡 / 左手に脇本陣跡 / 左手に陣屋跡石柱と続く。石柱がやたらに多い。

中山道鉤の手跡 阿禮神社 双体道祖神
堀内家住宅 石仏群 塩羊羹の箱

塩尻陣屋跡石柱から5分ほどすると、中山道鉤の手跡があり右へ進む。この辺りが宿場の桝形通りであった。すぐ右手に式内社の阿禮神社がある。突き当りを道なりに左へ進み、5分ほどすると右手に双体道祖神 / 本棟造りの堀内家住宅(重文)と続く。堀内家は代々旧堀ノ内村の名主を勤めた家柄で、豪農として知られている。5分ほどすると153号線と合流するところの左手に、中山道の標識 / 蠶大神 / 秋葉大神 / 庚申塔 / 道祖神 / 題目塔(南無妙法蓮華経)並んでいる。蠶大神があるのは、この辺りが昔は養蚕が盛んだったことによる。すぐに田川に架かる塩尻橋を渡ると、下大門交差点手前に“右折 153号線松本へ 直進 301号線塩尻駅へ 左折 平出遺跡」の交通標識がある。中山道は左折するが、直進して道なりに進みJR塩尻駅に至る。