中山道69次 No.05 行田駅-(約13km)-籠原駅
2011年 3月27日(日)09:30 晴
行田駅 久下神社 権八地蔵堂 東竹院 高城神社 熊谷寺 新島一里塚 籠原駅
馬頭観音
菜の花が満開の堤防 稲荷神社
行田駅から南西へ進み、堤防に登る。菜の花が満開の堤防を進むと、すぐ右手下に天保12年(1841年)造立の馬頭観音や稲荷神社が見える。稲荷神社境内は、一里塚があったところである。
久下堤碑 久下神社 古民家
堤防をしばらく進む。緩い坂道を右へ下ると、左手に明治45年(1912年)造立の久下堤碑がある。明治43年(1910年)の大洪水で堤防が決壊寸前となったため、約4kmにわたり修復される。5分ほどすると、右手に久下神社がある。
権八地蔵堂 石祠 久下の渡・冠水橋跡

久下神社から5分ほどすると、257号線の高架下を潜る。さらに15分ほどすると道は右に曲がる。そのまま小道を堤防の方へ直進すると、右手に元禄11年(1698年)造立の権八地蔵堂がある。中山道は地蔵堂の裏側を通っていたが、現在は通行できなくなっている。堤防に上がる途中の右手に石祠が2基、さらに右手に久下の渡・冠水橋跡がある。荒川の渡し場であったところで、昭和30年(1955年)に冠水橋が架けられ平成15年(2003年)まで使用されていた。

すぐに堤防を右へ下る道を進むと、右手にみかりや跡がある。久下ゆべしが名物だった茶屋があったところで、忍城主が鷹狩に来るとここで休んだので御狩屋と呼ばれたと云われる。5分ほどすると、左手に東竹院の案内板がある。左折してさらに右折すると、突き当りに東竹院がある。久下家代々の墓がある。
みかりや跡 東竹院
地蔵 佛説寺 八丁の一里塚跡

中山道に戻り10分ほどすると、交差点の手前右手に地蔵がある。交差点を渡ると、すぐ右手に佛説寺がある。さらに右手の曙公園の道路に面したところに、八丁の一里塚跡 / 社 / 庚申塔がある。

庚申塔
中山道69次 08番 熊谷宿
所在地:埼玉県熊谷市
天保14年(1843年)中山道宿村大概帳
人口:3263人 家数:1715 本陣:2 脇本陣:1 旅籠: 42
熊谷宿は秩父街道の追分がある交通の要衝、また荒川を利用した舟運で発展した。宿場に飯盛り女がいなかったため、次の深谷宿に宿泊する旅人が多かったと云われている。
高城神社鳥居 高城神社
10分ほどすると、Y字路があり右へ進む。秩父鉄道踏切 / 上越新幹線高架下 / JR高崎線踏切と続き、銀座1丁目交差点を左折して17号線を北西に進む。筑波交差点の左手突当りに、熊谷駅が見える。宿場の東木戸は、筑波交差点の先辺りにあったと云われている。市役所入口交差点を過ぎると、右手に高城神社の鳥居がある。突き当りに社殿が見える。平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載されている神社である。本殿は天正18年(1591年)石田三成の忍城攻めで延焼、寛文11年(1671年)忍城主・阿部忠秋により再建されたもの。
札の辻跡跡 竹井家本陣跡 熊谷寺山門
熊谷寺本堂 伊奈利神社
高城神社の鳥居から、すぐの左手に札の辻跡跡 / 明治17年(1884年)の火災と昭和20年(1945年)の戦災で焼失した竹井家本陣跡と続く。鎌倉町交差点辺りには、西木戸が置かれていた。鎌倉町交差点を右折して北へ進むと、突き当たりに天正年間(1573年〜1592年)創建の熊谷(ゆうこく)寺がある。通常は山門が閉ざされており、入ることはできない。
平安時代〜鎌倉時代に熊谷館があったところである。桓武平氏・熊谷氏は、平安時代に武蔵国熊谷郷(現:埼玉県熊谷市)を領し、熊谷氏を名乗った。熊谷直実は、寿永3年(1184年)一の谷の戦いで平敦盛を打ち取った武将として知られている。熊谷直実は建久2年(1190年)頃に出家したと云われ、熊谷館の一郭に庵を結んだ。天正年間(1573年〜1592年)庵の跡地に、熊谷寺が創建された。熊谷直実の墓と云われる宝筐印塔がある。熊谷寺の右手に、熊谷館の鎮守・伊奈利神社がある。社殿まで自転車が所狭しと置かれている。
円照寺本堂
山車 熊谷うちわ祭
鎌倉町交差点まで戻り、直進して南へ進む。2本目の十字路を左折、中央に小川が流れる星川通りを東へ進む。すぐ左手に天禄元年(970年)創建と云われる円照寺がある。星川通りは、熊谷うちわ祭で賑わうところ。熊谷うちわ祭の山車は三輪構造となっていて曲がり易く合理的であるが、曲がる際の迫力がない。
星川通りを東へ進む。5分ほどの星川2丁目交差点手前右手の祠に、子育馬頭観音がある。
子育馬頭観音
石上寺 宇佐稲荷神社 愛宕八坂神社
星川通りを西に戻る。左折した十字路を越えてT字路を左折すると、右手に元和2年(1616年)創建と云われる石上寺がある。道なりに南へ進み。すぐのT字路を右折すると、すぐ左手に愛宕八坂神社 / 右手に宇佐稲荷神社 がある。八坂神社は文禄年間(1592年〜1596年)に京都の八坂神社を勧請、その後愛宕神社に合祀された。7月中旬の行われる熊谷うちわ祭は八坂神社祇園祭であるが、熊谷うちわ祭として知られる様になる。案内所などで愛宕八坂神社の場所を尋ねても、知らない人が多い。
旧中山道跡石柱 八坂神社 新島一里塚
石塔群 忍領石標 新照寺
愛宕八坂神社から西へ進むと、すぐに407号線と交差する。右折して本石2丁目交差点を直進して北へ進む。右手の八木橋デーパト西入口に、旧中山道跡石柱がある。すぐに左折して一番街に入り、Y字路を道なりに右へ進む。旧中山道は鎌倉町交差点から八木橋デパートを横切り、一番街と続いていた。近くのショッピングセンターで昼食を摂る。一番街商店街を、道なりに右へ進む。10分ほどすると右手に八坂神社がある。すぐに石原南交差点で17号線と合流する。20分ほどすると熊谷警察署交差点、さらに10分ほどすると中山道は17号線と分かれ左へ進む。すぐ右手に新島一里塚がある。樹齢300年と云われる高さ12mのケヤキがあったが、平成22年(2010年)9月に強風を伴う雷雨で折れてしまう。道の反対側に石塔群がある。中山道を進むと、すぐ左手に左手に安政9年(1780年)造立の忍藩境界を示す忍領石標、さらに左手に新照寺がある。
不動堂 地蔵堂 地蔵堂
新照寺から10分ほどすると、玉井堰用水路を渡る。さらに10分ほどすると17号線と合流、横断歩道橋で反対側に渡る。すぐに右折して264号線を進む。5分ほどすると右手に不動堂 / 5分ほどすると左手に地蔵堂 / 10ほどすると右手に地蔵堂がある。
観音堂 庚申塔 地蔵堂
地蔵堂から10分ほどすると、右手に観音堂がある。手前左手の道路側に天保13年(1842年)造立の庚申塔[左]、正徳3年(1713年) 造立の庚申塔[右]、観音堂の手前右手に地蔵堂、観音堂の裏に宝篋印塔などがある。

15分ほどするとベルクがあり、その先で276号線と交差する。左折して17号線を越えると、突き当たりに籠原駅がある。