府中街道 武蔵国府跡〜久米川町交差点

大化の改新後、府中に武蔵国の国府が置かれた。国衙(こくが)は、大國魂(おおくにたま)神社境内から東側の区域にあったと云われている。国衙とは、国府の中心にあった役所のこと。武蔵国の国分寺と国分尼寺(こくぶんにじ)は、国府から約2km北に置かれた。古代の東山道(あずまやまみち)は、奈良〜京都〜関東と通じる道であった。東山道武蔵路は、武蔵国府から北上していた。鎌倉時代に入ると、各地と鎌倉を結ぶ鎌倉街道が整備される。江戸時代に中山道が整備されるが、その基となったのは東山道であった。江戸時代に整備された甲州街道の宿場町であった。府中街道は江戸時代に整備され、現在は川崎駅付近から所沢駅付近を結ぶ道路の通称となっている。

JR南武線 / 武蔵野線・府中本町駅から東へ、府中街道を南へ進む。すぐ左手に金比羅神社がある。社殿は文化13年(1816年)築。この辺りまでが、武蔵国府跡と云われている。
金比羅神社鳥居 金比羅神社社殿
大國魂神社大鳥居 大國魂神社随神門 大國魂神社中雀門
府中街道を北へ進む。10分ほどすると大國魂神社西交差点があり、右折する。すぐの突き当りに大國魂神社の鳥居が見える。北の229号線側正面に大鳥居、東側にも鳥居がある。参道を右折すると、社殿がある。武蔵国の一の宮から六の宮まで祀られていた武蔵国総社で、六所神社とも呼ばれていた。六所とは、一の宮:小野神社(多摩市) / 二の宮:小河神社(あきる野市) / 三の宮:氷川神社(さいたま市) /  四の宮:秩父神社(秩父市) / 五の宮:金佐奈神社(埼玉県児玉郡) /  六の宮:杉山神社(横浜市)であった。氷川神社が武蔵国一の宮になったのは江戸時代になってからである。幕末には、近藤勇が江戸の試衛館道場の道場主の襲名披露試合が行われている。
大國魂神社拝殿 大國魂神社鼓楼
大國魂神社絵馬
神戸稲荷神社 宮之盗_社 住吉神社・大鷲神社合同社
境内に、神戸稲荷神社 / 宮之(みやのめ)神社 / 住吉神社・大鷲神社合同社 などがある。宮之盗_社は、源頼朝の妻・政子が安産を祈願したところと云われている。安産祈願の絵馬が奉納されている。
国府の国衙(こくが)は、大國魂神社境内から東側の区域にあったと云われている。国衙跡と云われる遺跡は、大國魂神社東側の小道にある。
武蔵国衙跡
大國魂神社西交差点まで戻る。交差点の西側に「清水下小路」標識がある。右折すると。すぐ右手に善明寺がある。建長5年(1253年)銘の阿弥陀如来坐像(大鉄仏 / 重文)は、江戸時代に大国魂神社にあったもの。阿弥陀如来立像(小鉄仏 / 重文)は、大国魂神社近くの浄照寺にあったものと云われている。
善明寺
御旅所 / 高札場 中久本店 甲州街道府中宿標柱
大國魂神社西交差点に戻り、府中街道を北へ進む。5分ほどの府中市役所前交差点で229号線(旧甲州街道)と交差する。交差点南西側の大國魂神社御旅所(おたびしょ)前に府中宿の高札場 / 甲州街道の説明碑 がある。御旅所とは、神社の祭礼のときに神輿巡幸中に休憩または宿泊させる場所のこと。府中高札場は旧甲州街道沿いの大国魂神社東側にあったが、旧甲州街道と府中街道が交叉する現在地に移設されている。屋根を有する札懸けで、6枚くらいの高札を掛けることができた。交差点の北西側に、萬延2年(1861年)再建の中久本店 / 「甲州街道府中宿」標柱 がある。
府中市役所前交差点から17号線となる。5分ほどすると京王線を潜る。すぐに寿町3丁目交差点で20号線と交差する。5分ほどすると市民球場前交差点に、甲州街道から分岐していた川越街道の石柱がある。15分ほどすると北府中駅交差点を越え、右手に3億円事件で知られる府中刑務所がある。
府中刑務所
刑務所角交差点から5分ほどすると、国分寺市に入る。すぐに国分寺四中入口交差点があり、右折する。5分ほどすると、左手に武蔵国分寺跡がある。国分寺と国分尼寺は、天平13年(741年)聖武天皇が国状不安を鎮撫するために各国に建立した官寺。府中街道の西側に武蔵国分尼寺跡、東側に武蔵国分寺跡がある。元弘3年(1333年)鎌倉を攻める新田義貞によって、北条方の拠点となるのを恐れて焼き払われている。
武蔵国分寺金堂跡
国分寺楼門 国分寺本堂 地蔵
武蔵国分寺金堂跡から北へ進むと、現在の武蔵国分寺がある。楼門は、江戸時代に建立された東久留米市・米津寺の楼門を明治28年(1895年)に移築したもの。楼門の南側に地蔵が2基ある。
仁王門前
仁王門 薬師堂
薬師堂前 薬師堂裏 木村八幡神社

楼門と本堂の間にある道を西へ進む。すぐ右手の石段を登ると宝暦年間(1751年〜1763年)建立の仁王門、手前右手に不明の石塔 / 庚申塔 / 大乗妙典六十六部廻国供養塔が並んでいる。さらに石段を登ると、建武2年(1335年)新田義貞の寄進により国分寺金堂跡付近に建立されたと云われている薬師堂がある。享保元年(1716年)に修復、宝暦年間(1751年〜1763年)に現在地に再建された。平安時代末期または鎌倉時代初期の作と云われる木造薬師如来坐像は重文。薬師堂手前左手に、地蔵が3基並んでいる。薬師堂裏には、数多くの石仏が並んでいる。さらに西へ進むと、元和年間(1615年〜1624年)創建と云われている木村八幡神社がある。社殿は享保5年(1720年)築。北側には武蔵国分寺公園が拡がる。

楼門と本堂の間にある道を東に進む。お鷹の道と呼ばれれる小路を進むと、左手に真姿の池が見えてくる。木々が生い茂る真姿の池に、真姿弁財天がある。
真姿弁財天
国分寺四中入口交差点まで戻る。左手に武蔵国分尼寺(こくぶんにじ)跡への道標があり、左折する。すぐにJR武蔵野線を潜ると、武蔵国分尼寺跡がある。中央を通る道を北へ5分ほど進むと、旧鎌倉街道が残る。5分足らずの短い区間であるが、保全のため車両通行止めとなっている。
武蔵国分尼寺跡 旧鎌倉街道
東山道武蔵路跡 史跡通り碑 坂本稲荷社
道なりに北へ5分ほど進む。145号線の高架下を潜るとすぐに突き当り、左折してすぐに右折する。左手に史跡通りの石柱があり、東山道(あずまやまみち)武蔵路跡を進む。古代の東山道は、奈良〜京都〜関東と通じる道であった。江戸時代に中山道が整備されたが、その基となったのは東山道であった。5分足らずの短い史跡通りが終わる。すぐに商業建物やJR西国分寺駅コンコースを抜け、突き当りを右折してJR武蔵野線を潜る。西国分寺駅入口交差点を左折して、府中街道を北へ進む。5分ほどすると右手に東福寺 / すぐ右手に寛政5年(1793年)創建の坂本稲荷社と続く。
坂本稲荷社から10分ほどすると、西武国分寺線の踏切を渡る。さらに10分ほどの恋ヶ窪交差点を過ぎると、すぐ左手の三角地帯に弁財天がある。
弁財天
玉川上水 遊歩道 津田塾大学

弁財天から10分ほどすると、上水本町交差点で五日市街道と交差する。さらに5分ほどすると、久右衛門橋交差点に玉川上水がある。上水道用に多摩川から水を江戸まで引くために、承応年間(1652年〜1654年)に造られた水路。水路に沿って生えている木々により、周囲は昼でも薄暗い。水路に沿って遊歩道が整備されている。すぐ右手に、日本初の女子留学生であった津田梅子が創設した津田塾大学がある。

津田塾大学から10分ほどすると、小川町交差点で5号線(青梅街道)と交差する。ここまでが17号線。左折してすぐ右折する。ここからが16号線になる。20分ほどすると、高架工事中の西武拝島線を潜り、踏切を渡る。
西武拝島線
九道の辻標識 石橋供養塔 / 馬頭観音 八坂延命地蔵
西武拝島線踏切から5分ほどすると、九道の辻(くどうのつじ)と呼ばれた八坂交差点がある。旧鎌倉街道のほぼ中間、鎌倉へ18里(72km) / 前橋へ18里(72km)に位置していた。江戸道 / 引股道 / 秩父道 / 御窪道 / 清戸道 / 奥州街道 / 大山街道 / 鎌倉街道が分岐していた。明暦元年(1655年)に完成した、玉川上水から新座市野火止に至る野火止用水が通る。現在は南北に府中街道が貫き、江戸街道など5本の道が分岐している。2ヶ目の八坂交差点を越えると、右手に元文5年(1740年)造立の道標を兼ねた石橋供養塔と明治44年(1911年)造立の馬頭観音がある。すぐ右手に八坂駅があり、西武多摩湖線を潜る。交差する線路沿いの道は保谷狭山自然公園自転車道。交差点の手前左手(南西側)に八坂延命地蔵がある。
八坂延命地蔵から5分ほどすると、右手に八坂神社がある。拝殿には牛頭天王の額が掛る。
八坂神社鳥居 八坂神社拝殿
百万遍供養塔 天保6年造立の馬頭観音 庚申塔
八坂神社からすぐの野口橋交差点で5号線(新青梅街道)と交差する。さらに西武新宿線の踏切を渡る。10分ほどすると、東村山駅東口交差点がある。左折すると、西武新宿線 / 国分寺線・東村山駅がある。府中街道を北へ、すぐの本町2丁目交差点を左折して北西へ進む。Y字路の三角地に、道標を兼ねた明和3年(1766年)造立の百万遍供養塔 / 天保6年(1835年)造立の馬頭観音 / 宝永6年(1709年)造立の庚申塔 / 馬頭観音 が並んでいる。
馬頭観音
本町2丁目交差点まで戻り、府中街道を北へ進む。すぐに左手へ分岐する道は、旧鎌倉街道。旧鎌倉街道を進むと、すぐ左手に鎌倉街道道標がある。
鎌倉街道道標
地蔵 庚申塔 成田山不動堂
常夜燈 地蔵
府中街道を北へ進み5分ほどすると、久米川町4丁目交差点の左手(南西側)に地蔵と宝暦12年(1762年)造立の庚申塔が並んでいる。すぐ左手に嘉永7年(1855年)創建の成田山不動堂 / 境内に社 / 昭和30年(1955年)造立の不動尊建立百年記念碑がある。すぐ右手のY字路交差点に、常夜燈と地蔵が2基ある。常夜燈には、正面に熊野神社 / 左面に秋葉神社 / 裏面に阿夫利神社 / 右面に春名神社 と彫られている。
稲荷神社 長屋門
常夜燈から5分ほどの久米川辻交差点を左折する。すぐ左手に稲荷神社 / 右手に長屋門と続く。
徳蔵寺山門 徳蔵寺本堂 永春庵
地蔵堂 六地蔵 石仏
板碑保存館 元弘の板碑 板碑
長屋門前から直進して西へ進む道と,、南へ進む道は旧鎌倉街道。直進して西武新宿線の踏切を渡る。すぐに右折して北へ進む道は、旧鎌倉街道。直進すると右手に、元和年間(1615年〜1623年)創建の福壽山・徳蔵寺[臨済宗大徳寺派]がある。久米川辻交差点から5分ほどの距離となる。武蔵野三十三観音7番札所 / 狭山三十三観音11番札所(永春庵)になっている。永春庵は狭山丘陵の八国山山麓にあったが、宝暦年間(1751年〜1763年)に移ったと云われている。板碑保存館(有料施設)には多数の板碑や民俗資料が収集されており、元弘の板碑(重文)が展示されている。元弘の板碑は、新田義貞の鎌倉攻めの戦い(元弘の役)で戦死した飽間斎藤一族の菩提を弔った供養碑である。八国山山頂から文化年間(1804年〜1818年)に移したもの。
熊野神社鳥居 熊野神社拝殿 久米川の富士塚
神号碑(天照皇大神) 不明の石塔 不明の神号碑
府中街道を北へ進むと、すぐに久米川町5丁目交差点がある。手前を左折して5分ほど坂を下ると、右手に熊野神社 / 境内に明治期に造られた“久米川の富士塚”がある。 富士塚に、神号碑(天照皇大神) / 不明の石塔 / 不明の神号碑 がある。
古住阿弥陀堂 六地蔵
地蔵 地蔵 不明の石塔
Y字路の久米川町5丁目交差点の左手に、狭山三十七薬師28番札所の古住阿弥陀堂がある。左右に六地蔵、右手に地蔵 / 地蔵 / 不明の石塔がある。
梅岩寺山門
梅岩寺本堂 新四国石仏
六地蔵 竜谷寺石碑 延宝5年造立の庚申塔
天保2年造立の馬頭観音 庚申塔 庚申塔
府中街道はY字路の久米川町5丁目交差点を右へ、北東に進路を変える。直進して道なりに北へ進むと、吾妻交差点で所沢街道(4号線)と合流する。府中街道を進みすぐに左折すると、右手に慶安4年(1651年)再建の梅岩寺がある。狭山三十三観音9番札所になっている。10番札所の竜谷寺は廃寺になり、境内右手に石碑がある。文政7年(1824年)に奉納された88体の新四国石仏が左右に並んでいる。山門から西へ進むと、交差点の北東側に延宝5年(1677年)造立の庚申塔 / 天保2年(1831年)造立の馬頭観音が並んでいる。交差点を右折するとすぐ右手に、庚申塔が2基並んでいる。久米川町5丁目交差点を直進した道になる。
府中街道を5分ほど進むと、久米川町交差点で府中街道は終わる。左折して北へ進む道と、直進して東へ進む道が所沢街道(4号線)になる。直進して東へ進むと、すぐに秋津町3丁目交差点がある。左折して北へ進むと旧所沢街道 / 直進して東へ進むと志木街道 / 右折して南へ進むと所沢街道(4号線)になる。秋津町3丁目交差点の南側から北西へ進む江戸道がある。信号や横断歩道はない所沢街道(4号線)を横切り北へ進む。柳瀬橋手前で旧所沢街道合流、橋を渡ると、左へ分岐する。所沢の秋津八雲神社手前の北交差点で、旧所沢街道と再度合流する。
久米川町5丁目交差点を直進して道なりに進む。変則十字路を左折して、西武新宿線を潜る。すぐの二瀬橋交差点で旧鎌倉街道と交差する。ただし二瀬橋交差点から長久寺までの旧鎌倉街道は、途切れている。二瀬橋交差点から北へ、柳瀬川を二瀬橋で渡る。吾妻交差点で所沢街道と合流する。手前右手に明治23年(1890年)造立の馬頭観音がある。府中街道の馬頭観音と呼ばれている。久米川町5丁目交差点から吾妻交差点まで15分ほどである。久米川町交差点から北上する所沢街道やこの道は、以前の府中街道かも知れない。
馬頭観音