旧鎌倉街道 堀兼〜府中街道

旧鎌倉街道は、鎌倉から放射状に各地と継ぐ古い道。関東では、上道(かみつみち) / 中道(なかつみち) / 下道(しもつみち)が知られている。
旧鎌倉街道・上道は、相模国から武蔵国を経て上野国・高崎で分岐する。信濃国と、 越後国から出羽国と通じていたと云われている。所沢市内を南北に貫いている。

入曾駅 堀兼神社 小手指駅 峰の坂 新光寺 実蔵院 長久寺 勢揃橋 白山神社 府中街道 東村山駅
堀兼神社鳥居 堀兼神社随身門 堀兼神社社殿
西武新宿線・入曾駅から南東へ、すぐに左折して東へ進む。50号線と交差、右折して南東へ進む。水野(月見野)交差点を左折して北東へ進む。20分ほどすると、右手に狭山市消防署水野分署 / 左手に寛文4年(1664年)に開拓された、水野新田開拓跡地案内看板がある。さらに10分ほどすると、給食センター前交差点で旧鎌倉街道と交差する。右折して旧鎌倉街道を南へ進む。5分ほどすると、左手に堀兼神社がある。浅間神社に村内の12社を合祀して、堀兼神社と改称する。江戸時代後期の建立の随身門を潜り、石段を登ると社殿がある。境内に“堀兼の井”の跡がある。武蔵野には数多くの“堀兼井”と呼ばれる井戸があったと云われている。藤原俊成(1114年生・1204年没)の歌にある“堀兼の井”か解っていないが、かなり前から存在していたと云われている。
宝泉寺 八幡宮 地蔵
旧鎌倉街道を南へ進む。5分ほどすると、西側に林になっている細長い所沢市域がある。旧鎌倉街道と雑木林を鋏んで平行する小道があり、風情がある。堀兼神社から15分ほどのところにあるフラワーヒル交差点の手前で、狭山市から所沢市に入る。10分ほどすると富岡中央道とネオポリス西交差点で交差する。右折して西へ進むと、右手に天和3年(1683年)創建の宝泉寺、すぐ右手に八幡宮がある。左折して東へ進むと、右手に天保7年(1836年)造立の地蔵がある。 
ネオポリス西交差点まで戻り、旧鎌倉街道を南へ進む。5分ほどすると旧鎌倉街道は右に曲がる。さらに突き当たりを左折、すぐに道なりに右へ進む。次の十字路を右折して西へ進むと、右手のテニスコートに安永7年(1778年)造立の北岩岡念仏地蔵がある。耳の病気に霊験があると云われ、耳だれ地蔵とも呼ばれている。「治ったら酒樽上げますから」と祈念、治ったら竹の筒に酒を入れて供えると云う。
北岩岡念仏地蔵
十字路まで戻り、旧鎌倉街道を南へ進む。5分ほどすると、かめがね新道が合流する。さらに10分ほどすると6号線と交差、右折する。すぐに変則五差路の北所沢交差点があり、南の小道を進む。突き当たりで、旧鎌倉街道は途絶えている。左折して進むと、右手に西武新宿線・小手指駅がある。駅構内を通り、西口に出る。線路沿いに10分ほど進むと、西武新宿線を潜る道を越える。旧鎌倉街道が復活、斜め方向へ進む。5分ほどすると、6号線と合流する。右手の所沢中学校正門前に、旧鎌倉街道道標がある。
旧鎌倉街道道標
寿和婦貴地蔵 神明社鳥居(西側) 神明社拝殿

すぐにけやき台2丁目交差点、5分ほどすると463号線と交差する峰の坂交差点がある。峰の坂は、河原宿の北に位置する坂。現在より勾配がきつく、峰の様に見えたことから名付けられたと云われている。坂を下ると、すぐ右手に丘がある。手前右側の階段を登ると、峰の坂共同墓地 / 中央の石段を登ると、祠に造立年不明の寿和婦貴地蔵がある。首が無い寿和婦貴地蔵は咳に苦しむことがないことから、風邪や咳に苦しむ人にご利益があると云われている。寿和婦貴地蔵の左右に、首無地蔵が多数置かれている。左側の階段を登ると、左手の祠に安政5年(1856年)造立の石祠 / 正面の祠に弘化5年(1848年)造立の石祠と天保7年(1826年)造立の石祠がある。峰の坂をさらに下ると、左手に弘治2年(1556年)創建と云われている神明社の鳥居がある。旧鎌倉街道に面しているため、以前は正面だった鳥居。

開明橋 新光寺山門 新光寺護摩堂(旧本堂)

東川に架かる開明橋手前を右折すると、突き当たりに建久4年(1193年)創建と云われている遊石山観音院・ 新光寺[真言宗豊山派]がある。狭山三十三観音8番札所 / 武蔵野三十三観音10番札所 / 多摩新四国八十八ヶ所24番札所になっている。道なりに左へ進むと、すぐ右手に旧鎌倉街道道標がある。
*開明橋の画像は、南側から撮影。開明橋 / 渡って左折すると新光寺 / 直進すると峰の坂となる。

旧鎌倉街道道標
旧鎌倉街道道標 金山神社 実蔵院山門
すぐに179号線と交差する。右手に旧鎌倉街道道標がある。十字路を右折して西へ進むと、右手に弘治3年(1557年)創建の金山神社がある。明治の神仏分離のとき、金山権現から改称される。金山の地名の由来になっている。旧鎌倉街道は十字路を直進、すぐ左手に正平7年(1352年)創建の野老山・実蔵院[真言宗豊山派]がある。武蔵野三十三観音9番札所 / 多摩新四国八十八ヶ所68番札所になっている。 
実蔵院本堂
鎌倉街道案内板 旧鎌倉街道道標 旧鎌倉街道道標
旧鎌倉街道を進むと、すぐ左手に鎌倉街道案内板がある。案内板から5分ほどすると、右手の幼稚園前に旧鎌倉街道道標がある。すぐに4号線との交差点があり、旧鎌倉街道は斜めに横切っている。5分ほどすると左手の小学校前に旧鎌倉街道道標がある。
長久寺山門 長久寺本堂 寿和婦貴六地蔵

すぐに西武池袋線に阻まれる。線路沿いに南東へ進み、すぐ先の踏切を渡る。変則十字路を左折して南へ5分ほど進むと、左手に文永11年(1274年)創建の花向山常行院・長久寺[時宗]がある。本堂側左手の地蔵堂に、造立年不明の寿和婦貴六地蔵がある。首が無い寿和婦貴地蔵は咳に苦しむことがないことから、風邪や咳に苦しむ人にご利益があると云われている。門前の右手に旧鎌倉街道道標がある。.ここから先、鎌倉街道は、途切れている。斜めに勢揃橋に抜けて、弧を描く様に二瀬橋交差点の南側に通じていた。

旧鎌倉街道道標
長久寺から南東へ進むと、すぐに勢揃橋北交差点がある。右折して南へ進み、柳瀬川に架かる勢揃橋を渡る。勢揃橋は新田義貞の鎌倉攻めのときに、軍をここで勢揃いさせたと云われる。正面にある八国山山頂(標高89.4m)には、昭和12年(1937年)造立の将軍塚 / 昭和12年(1937年)造立の元弘青石塔婆所在跡碑がある。山麓には久米川古戦場碑がある。
勢揃橋

勢揃橋から道なりに進むと、すぐに松が丘調整池がある。池は左右どちらからでも回り込める。北川に架かる勝陣場橋を渡ると、東村山市に入る。突き当たりの交差点で、北側にある二瀬橋交差点の南側からの鎌倉街道と合流する。右折して、南西へ進む。

徳蔵寺山門 徳蔵寺本堂 永春庵
地蔵堂 六地蔵 石仏
板碑保存館 元弘の板碑 板碑
交差点から5分ほどすると、T字路に突き当たる。右折して西へ進むと、右手に元弘2年(1332年)創建の福壽山・徳蔵寺[臨済宗大徳寺派]がある。武蔵野三十三観音7番札所 / 狭山三十三観音11番札所(永春庵)になっている。永春庵は狭山丘陵の八国山山麓にあったが、宝暦年間(1751年〜1763年)に移ったと云われている。板碑保存館(有料施設)には多数の板碑や民俗資料が収集されており、元弘の板碑(重文)が展示されている。元弘の板碑は、新田義貞の鎌倉攻めの戦い(元弘の役)で戦死した飽間斎藤一族の菩提を弔った供養碑である。八国山山頂から文化年間(1804年〜1818年)に移したもの。
長屋門 白山神社 鎌倉古街道案内板
鎌倉街道は、T字路を左折して西武新宿線の踏切を渡る。すぐ左手に長屋門があり、右折する。5分ほどすると、右手に白山神社がある。文政2年(1819年)造立の石造り牛頭天王は、明治初期に井戸の中から発見されたもの。5分ほどすると、左手の久米川少年野球場前に鎌倉古街道案内板がある。5分ほどするとY字路を左へ進むと、すぐ右手に旧蹟鎌倉古道址がある。すぐに府中街道と合流する。府中街道の駅東口交差点を右折すると、東村山駅がある。
旧蹟鎌倉古道址