中村由信氏のスナップフォトの決定的瞬間
海女T
日本各地で見られた海女も、観光的な風情になってしまったところもあります。
古代から海辺に住む男は船を操つり漁猟を、女は家事と半農半漁の生活を営んでいました。沿岸部の海藻、素潜りで“あわび”や“さざえ”などの海産物を採っていました。
中村由信氏は海女の写真を撮り始めた動機を、「スケベ心から」と著書「酔写醒談」で語っています。天真爛漫な海女を、済州島や全国各地に撮影に出掛けております。誰も手を付けなかった海女の写真集を2冊も出版しています。
手軽な潜水具やマリーンなどがない時代で、自作のマリーンを使用して海女同様に素潜りで撮影しています。瀬戸内海の島育ちの中村由信さんにとって、素潜りはお手のもの。魚をつく銛の代わりにカメラを構えるだけで、普通の人が考えるほど大変な作業ではなかったと語っています。自作のマリーンは後にオリンパスマリーンとして製品化されています。
撮影地の厳原
(いずはら)町は、九州と朝鮮半島のほぼ中間にある対馬島の南海岸に位置しています。

1962年6月日本の海女(中日新聞社)
1978年9月海女(マリン企画社)
1989年8月酔写醒談(オリンパスカメラクラブ)
一隻の船に数名の海女が乗り込み、漁場へ向う。
布で鉢巻きをして、潜水用のメガネを付ける。
パンツに縄と、ダイナミックな光景。
漁場に着くと、次々に船から飛び込む。
一気に海底に向う。
手で海草を掻き分け、獲物を探す。