中村由信氏のスナップフォトの決定的瞬間
ユーモア人物編T
出会い頭のスナップなど滅多にうまく写るわけがないので、話しかける写し方をよくするが、決してウソを写しているわけではない。こっちが話しかけることによって、相手が自然に動いてくれる。「………してくれ」などいえば、それはスナップ写真ではなくなるし、表情だって決して生き生きしないはずである。

熊本県の田舎の小学校校庭で、最初は子供たちが二宮金次郎像の上に登ったり飛び下りたりして遊んでいた。
「金次郎さんの本にや、なんて書いてあっとや」(金次郎さんの本には何と書いてあるの) 「なんてん書いちゃなかたい」(何とも書いてないよ) 「そぎゃんこつのあるか、ぬしの目ん玉はどけついとっとか」(そんなことがあるもんか。お前の眼の玉はどこについているんだ)
子供が目をこらして読もうとする瞬間をバッバッとキャッチ。
*著書「日本方言図鑑」熊本県・植木

素っ裸のマヌカンを不思議そうに眺めていた少年を発見。「坊や、その人形にヘソはあるかい」と尋ねると、「あれ、ヘソないよ」そうゆう問答を続けながらシャッターを切った。

海辺で遊んでいた子供たちがいたので、一番遠くに飛んだ子に500円の賞金を出すことにした。
「おらぁよーおめえよりよー ほーずもねーく ぶっとぶどー」(俺のはお前よりずーとよく飛ぶぞ) 「おにがよー あらあおねーらにまげでらんねぇなあ」(何いってんだい、俺はお前たちに負けてられるものかい) 「あれっはどした」(ありゃ失敗した)
*著書「日本方言図鑑」千葉県・銚子

妊婦というものは、明るくユーモラスでほほえましい。妊婦ご本人はつねに胸を張り、堂々として妻の座、母の座の占有をお腹で誇示して歩く。また生まれてくる新しい生命は、張りでた妊婦服の下から人生の希望を語っているようで、実に陽気だ。格別深い考えがあるわけじゃない。お腹の赤ちゃんに、バンザイをいって祝福してあげたい気持ちがあるのみである。どの画面にも妊婦がいるということと、それ以外の物(看板とか置き物など)と妊婦とが、ユーモラスに結びついていることの2つだけである。
近くに産院があり、妊婦が来るのを待つ。
凹面鏡で誇張された妊婦

子供にどちらが大きいかを尋ねる。
「金長はんのぽっぽが、かかはんのよりおーきょいなぁ」(金長狸さんのお腹の方が、お母さんのより大きいね) 「まあこの子は へんじょうこんごーばっかり いわれんでよ」(まあこの子は、理屈ばっかりいったら駄目よ)
*著書「日本方言図鑑」徳島県・小松島