中村由信氏のスナップフォトの決定的瞬間
島の駐在さん

児玉喬久巡査はここ佐柳島(さなぎじま)の人々から「駐在さん」と親しまれているが、正しくは「多度津警察署佐柳駐在所」勤務のお巡りさん。昔は歴史に名高い塩飽(しわく)水軍の根拠地の一つだったこの島も、今では刑事事件など年にせいぜい2,3件あるなしという、半農半漁の平和な島。だが、「駐在さん」にとっては、それなりに結構いそがしい。そこで児玉巡査の駐在所日記をカメラでのぞいてみる。
*塩飽諸島は瀬戸内海の岡山県と香川県に挟まれた大小合わせて28の島々から成り立っている。佐柳島は香川県多度津町の沖約15Kmに浮かぶ周囲6Kmの小さな島で、多度津港からフェリーで50分。

朝の警邏(けいら)の途中、役場所長の瀬戸さんに会う。昔風にいえば村長さんであるこの人の温顔は、いつ見ても気持ちがいい。
ひるめし食っていると、島の北端の長崎部落より変な男がいるとの電話。韋駄天走りに宙を飛んでゆく。
挙動不審なので職務質問。友人を尋ねてきたが会えず金もないというので、多度津までの船賃70円をやる。
町のアマチュアクラブの連中が、ヌード撮影会をしたいと了解を求めにきた。部落からずっと離れた砂浜に連れていき、子供や野次馬の来ぬように見張る。全く厄介な飛び入り仕事である。
捕鯨船乗りの神山武男君の結婚式。招待され祝辞を述べるのも職務のひとつかも知れん。ついでに記念写真もしてやる。
農協組合長とこのノリ坊が「オッタンオッタン」としきりに後を追うので、しばらく相手になる。この子も大きくなれば島を出ていってしまうのであろう。
撮影秘話

組写真を製作する上で、コンテがあるので演出も必要である。役場所長と朝の挨拶を交わしている写真は、長焦点のレンズにつけかえている間にチャンスは終わってしまった。そこで「悪いけどもう1回」ということになる。そんな意味での演出は必要で、それまで否定するなら、組写真などつくれやしない。

これは偶然の拾いもの。走っていく所を撮るつもりでいたが、宙を飛ぶところまでは考えてなかった。

刑事事件じゃなかったが、待った甲斐はあった。こんな具合に、物陰から覗き見するような感じで撮れば、臨場感が出て迫力がある。演出臭を消すコツもこんな風に戸のすき間とか物陰からそっと見たという感じに写せば、覗き見しているように写るので具合がいい。

ヌード撮影会の写真を発表するに当たって、児玉さんがどうしても上司の許可をとってくれというので、やむなく香川県警本部長の所まで写真を見せにいって許可を得た。この迷惑そうな表情は、絶対に落とせぬものだからだ。発表する時には、本人の気持ちにもならなければならないので、たいへんであった。これもコンテにないもので、しかも36枚スナップした中で眼を閉じているのはこれ1枚。

船でこの島に行った時、いいお顔だったので、日をあらためてお邪魔しようということにして、ポートレートを1枚撮って帰ってきた。駐在さんというのは、村の中ではある権威を持っているし、しかも村人に溶け込んでいる。駐在さんを追っかければ、必然的に村民の生活がすべて出てくるので、その村の人情風俗を活写できる。都合よく児玉さんが出現したというわけである。

児玉さんのポートレートを繁々眺めたが、人がよさそうで、どちらかといえば威厳がない。そこでヒゲを生やしてもらうことにし、手紙でお願いしたらOKとのこと。2ヶ月後に再び島へ渡った。お巡りさんは地方公務員だから、やっぱり上司の許可がないと取材はできない。だから多度津署長にも会って、話を通じたのは当然のことである。40日もかけて撮影するメリットは、1枚1枚の写真がたいへん密度の濃いものが写ることである。ものを作るには、やっぱり時間をかけたほうがいいということが、よくわかった。

児玉さんは、奥さんと中学生の一人息子の3人暮らしである。その一家の写真も撮ったが、駐在さんの職務から外れているので、使わなかった。