所沢寺社石仏撮影散歩
西武狭山線・西武球場前駅〜西武狭山線・下山口駅〜西武池袋線/狭山線・西所沢駅
西武球場前駅 龍神社 大鐘の石仏 六斎堂 千門大明神 正智庵 中氷川神社 藤森稲荷神社 勝光寺 来迎寺 美園上八雲神社 佛蔵院 瑞岩寺 西所沢駅
西武狭山線・西武球場前駅から西武狭山線の西側を並行する県道55号線を北東へ進む。 左側に広がる森が切れたところの小道を左折する。突き当りを道なりに右に進むと、左手の丘に龍神社がある。 
龍神社のある丘 龍神社
龍神社所沢市山口1460
道なりに北へ進み、十字路を左折する。右手の角地に大鐘の石仏がある。造立時期不明の地蔵 / 不食念仏供養塔 / 地蔵 /地蔵と、安政6年(1859年)造立の馬頭観音が並んでいる。地蔵 / 不食念仏供養塔 / 地蔵 /地蔵は小さく、かなり傷んでいる。 
地蔵 / 不食念仏供養塔 / 地蔵 / 地蔵 馬頭観音
六斎堂 六地蔵
道を戻り東へ直進すると、県道55号線に出ることができる。左折して北東へ進むと、左手に六斎堂[真言宗豊山派]がある。本尊は聖観音、狭山三十三観音3番札所になっている。 右手に文政12年(1829年)造立の百万遍供養塔、左右に宝暦5年(1755年)造立の六地蔵が3体づつ置かれている。 
百万遍供養塔
六斎堂:所沢市上山口1645
高橋交差点を左折、すぐ右折して北へ進むと公民館の先に千門大明神がある。 
千門大明神
千門大明神所沢市上山口226-1
正智庵 以前の正智庵
高橋交差点まで戻り、県道55号線を東へ進むと、左手に宝暦7年(1757年)創建の正智庵(しょうちあん)[臨済宗妙心寺派]への小道がある。本尊は十一面観音、狭山三十三観音4番札所になっている。貞享3年(1686年)造立の聖観音[左] / 明治12年(1879年)造立の十一面観音[中] / 延宝6年(1678年)造立の地蔵[右]と並んでいる。2009年8月に再度訪れると、庵が新築されていた。解体された残骸があり、最近のことと思われる。
証智庵:所沢市上山口20
中氷川神社 中氷川神社拝殿 金毘羅神社
石上神社 稲荷神社 境内社
交番を過ぎると、左手に中氷川神社がある。 江戸時代には氷川明神と称していた。平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載されている神社と云われている。大宮・武蔵国一宮氷川神社と奥多摩・奥氷川神社の中間にあることから、中氷川神社になったと云われている。所沢市三ヶ島にも中氷川神社がある。昭和4年(1929年)に山口貯水池(狭山湖)が造られたとき、旧勝楽寺村にあった七所神社が合祀されている。境内に金毘羅神社 / 石上神社 / 稲荷神社 / 境内社(八坂神社・ 秋葉神社・市杵島姫神社・諏訪神社)がある。石上神社の左手に、戦没者を慰霊する和魂(にぎたま)宮がある。
和魂宮
愛宕地蔵 弁財天 石祠
本殿左手の石上神社前に、安政5年(1858年)造立の愛宕地蔵がある。右側に“勝楽寺邑七社大権現境内建立 別当佛蔵院法師佼阿代”と彫られている。金毘羅神社前の左手に、明和5年(1768年)造立の弁財天 / 明治26年(1893年)造立の石祠 / 石柱などが並んでいる。石柱には“日限地蔵 福徳弁財天 歓喜大聖天 水神竜王神 大坊池”と彫られている。
石柱
中氷川神社所沢市山口1850
交差点を過ぎ、小道を左折すると左手に藤森稲荷神社がある。県道55号線に戻り東へ進むと、山口城址前交差点がある。交差点の南東側に昭和15年(1940年)造立の山口城址標柱がある。交差点の南東側から西武狭山線の間に土塁が残る。  
藤森稲荷神社  山口城址 
藤森稲荷神社所沢市山口1644
県道55号線を東へ、勝光寺参道の手前を左折して北へ進む。坂を登り、Y字路を左へ進む。椿峰中央公園の南側を通る。道なりに西へ進むと、右手の勝光寺墓地に延宝8年(1680年)創建の峰薬師堂[臨済宗妙心寺派]がある。堂内に享保7年(1722年)造立の愛宕地蔵と延宝8年(1680年)造立の薬師如来がある。狭山三十七薬師19番札所になっている。
峰薬師堂
峰薬師堂:所沢市山口5357
     
勝光寺山門 勝光寺本堂 鐘楼
百番四国供養塔 六地蔵 地蔵
県道55号線を東へ進むと、西武狭山線・下山口駅の手前の左手に弘安元年(1278年)創建の瑞幡山・勝光寺[臨済宗妙心寺派]がある。本尊は白衣観音。天文17年(1548年)作の木造不動明王がある。狭山三十三観音5番札所になっている。本殿は元禄年間(1688年〜1703年)に、本山の妙心寺から移築されたと云われている。山門は元禄9年(1696年)に建立され、楼上に十六羅漢がある。境内右手に、享保16年(1731年)建立の鐘楼がある。参道入口の左手に天保6年(1835年)造立の百番四国供養塔がある。阿弥陀仏三尊と弘法大師が彫られている。山門前の左手に昭和51年(1976年)造立の六地蔵、右手に文政9年(1826年)造立の地蔵がある。
勝光寺所沢市山口1410
来迎寺山門 来迎寺本堂
すぐ左手に鎌倉時代(1185年頃〜1333年)初期創建の大光山無量寿院・来迎(らいこう)寺[単立]への参道がある。 山門が閉されていることが多い。本尊の阿弥陀三尊には“車返しの阿弥陀”という言い伝えがある。奥州・藤原秀衡の守護仏だった阿弥陀三尊にまつわる話である。阿弥陀三尊を鎌倉へ運ぶ途中、武蔵国府中で動かなくなる。引き返したところ再び動かなったため、草庵を建てて安置したと云われている。“車返”の地名は現在でも府中市の団地名や店名に見られる。建長八年(1256年)武蔵七党丹党の加治左衛門尉泰家が造立した板碑がある。 
来迎寺所沢市山口1392
県道55号線に戻り東へ進むと、左手の民家の庭先に寛文11年(1671年)造立の堀之内子育地蔵がある。地蔵が祀られたのは“身持ち乞食の供養”のためと云われている。7月24日前後の土曜日に地蔵祭りが行なわれる。 
堀之内子育地蔵
下山口駅入口交差点を過ぎ、山口中学校入口交差点を左折してさくら通りを北へ進む。 山口中学校の先、坂の途中の左手に美園上八雲神社がある。境内左手の祠に、造立年不明の神号脾(庭津火神)がある。山口中学校裏庭の楠の大木の根元にあったもの。
美園上八雲神社 庭津火神
美園上八雲神社:所沢市山口1328
さくら通りを北へ進み、坂を登り切り下る。椿峰ニュータウン東交差点から2ヶ目の十字路を右折、2ヶ目の十字路を右折すると、突き当たりに広谷諏訪神社がある。櫛型になった住宅街で、解りずらい場所にある。 
広谷諏訪神社
広谷諏訪神社:所沢市小手指南1-17
佛蔵院山門 佛蔵院本堂 瑠璃光殿(薬師堂)
県道55号線に戻り東へ進むと、左手に霊亀2年(716年)創建の勝楽寺・佛蔵院[真言宗豊山派]がある。本尊は十一面観世音。狭山三十三観音2番札所 / 奥多摩新四国八十八ヶ所第73番札所になっている。旧勝楽寺村にあったが、昭和4年(1929年)山口貯水池(狭山湖)が造られたときに移転する。湖底に沈んだ勝楽寺村にあった石仏が移されている。江戸時代後期の絵師・石川文松が描いた、白蓮図杉戸絵 / 山水人物図杉戸絵 / 雲竜図天井絵が残されている。地蔵堂に寛延3年(1750年)造立の地蔵がある。
地蔵堂
山門への階段左手に大正9年(1920年)造立の百番三山供養塔、右手に文久2年(1862年)造立の馬頭観音がある。 
百番三山供養塔 馬頭観音
山門を潜り境内に入ると、左手に不動明王と奥多摩新四国八十八ヶ所73番札所(弘法大師と薬師如来)がある。
不動明王 奥多摩新四国八十八
愛宕地蔵 筆子塔 馬頭観音
百番三山供養塔 百番供養塔 大乗妙典六十六部回国供養塔
境内左手にある瑠璃光殿(薬師堂)へ進むと、左手に延享4年(1747年)造立の愛宕地蔵 / 筆子塔 / 安政4年(1857年)造立の馬頭観音 / 文政8年(1825年)造立の百番三山供養塔 / 天明8年(1788年)造立の百番供養塔 / 享保17年(1732年)造立の大乗妙典六十六部回国供養塔 / 安政2年(1855年)造立の百番三山供養塔 / 文化8年(1811年)造立の馬頭観音と並んでいる。 
百番三山供養塔 馬頭観音
本堂左手に、宝暦5年(1755年)造立の宝篋印塔と文久3年(1863年)造立の六地蔵幢がある。
宝篋印塔  六地蔵幢
六地蔵幢横の坂を上ると、右手に造立年不明の地蔵[左]と明治16年(1833)造立の地蔵[右]がある。突き当りに安永2年(1773年)造立の六地蔵、右に進むと墓地になる。
地蔵 六地蔵
佛蔵院所沢市山口1119
椿峰庚申塔 石橋供養塔 峰八雲神社
県道55号線を西に戻り、すぐに左折して仏蔵院沿いに坂を登る。登りきった左手に宝永2年(1705年)造立の椿峰庚申塔がある。低い木に囲まれて判りづらい。 県道55号線に戻り東へ進み、橋を渡る。交差点を左折すると、左手の三角地に寛政8年(1796年)造立の石橋供養塔がある。直進して栄橋を渡るとすぐ右手に、天保年間(1830年〜1843年)創建の峰八雲神社がある。境内右手に慶応元年(1865年)造立の大日如来がある。
大日如来
峰八雲神社所沢市山口1145
庚申代浄院 天保14年造立の馬頭観音
弁天池 岩崎弁財天 明治27年造立の馬頭観音
県道55号線に戻り東へ進み、西武狭山線高架下を潜る。泉小入口交差点を左折すると、道はすぐに北西に進路を変える。道なりに進むと、右手に正徳3年(1713年)造立の庚申代浄院がある。道なりに進み西武狭山線を潜ると、右手に天保14年(1843年)造立の馬頭観音がある。左手に見える弁天池に、岩崎弁財天がある。馬頭観音から直進して北へ、変則十字路を斜め左方向へ川沿いに進む。Y字路の三角地帯に、明治27年(1894年)造立の馬頭観音がある。
岩崎弁財天所沢市山口710-1
岩崎弁財天から県道55号線まで戻り、東へ進む。瑞岩寺の1本手前の道を左折する。左手に天明6年(1786年)造立の庚申塔と文政12年(1829年)造立の出羽三山供養塔が並んでいる。そのまま進むと右手が瑞岩寺の墓地になる。  
庚申塔 出羽三山供養塔
瑞岩寺山門 瑞岩寺本堂 鐘楼
不動堂 山口氏三代の墓
県道55号線に戻り東へ進むと、左手に寛徳2年(1044年)創建の祥雲山・瑞岩寺[曹洞宗]がある。狭山三十三観音6番札所になっている。毎年10月第2土曜日には、境内で岩崎簓獅子舞がとり行われる。山門を潜ると、左手に不動堂 / 右手に鐘楼がある。平安時代末期に武蔵七党の村山党から分かれた、山口城主・山口氏の菩提寺であった。本堂左手の墓地との間に、山口氏三代の墓とされる五輪塔や宝篋印塔が三基ある。左側は永徳3年(1383年)と刻まれており、鎌倉公方・足利氏満と戦って戦死した山口高実の供養墓と云われている。
吽形力士 阿形金剛 六地蔵
おさなご地蔵 声聞地蔵 観音
石造り十三重の塔 地蔵 明治32年造立の地蔵
山門前に平成6年(1994年)造立の吽形(うんぎょう)力士[左]と阿形(あぎょう)金剛[右]がある。山門を潜ると右手に元禄元年(1688年)造立の六地蔵、左手に昭和53年(1978年)造立のおさなご地蔵や不動堂がある。不堂堂の裏側に造立年不明の声聞地蔵 / 右手に観音と石造り十三重の塔がある。山口氏三代の墓手前に造立年不明の地蔵 / 左手に明治32年(1899年)造立の地蔵と大日如来がある。
大日如来
瑞岩寺:所沢市山口400
県道55号線を東へ道なりに進む。坂を登り、西武池袋線の踏切を渡る。西所沢駅入口交差点を左折すると、西武池袋線/西武狭山線・西所沢駅へ至る。