所沢寺社石仏撮影散歩
西武池袋線・狭山ヶ丘駅〜西武狭山線・西武球場前駅
狭山丘駅 愛宕神社 能安寺 小手指原古戦場 北野天神社 全徳寺 藤森稲荷神社 天満天神社 清照寺 高橋交差点 西武球場前駅
愛宕神社 円満院
西武池袋線・狭山ヶ丘駅西口より線路沿いに南東に進むと、左手に愛宕神社がある。狭山ヶ丘1丁目交差点を右折して、すぐに次の交差点を左折して狭山湖道を進む。すぐ右手に円満院がある。
愛宕神社:所沢市東狭山ヶ丘1-2993-23
円満院:所沢市若狭4-2477-1
次の交差点を左折して進むと、右手の雑木林が広がる“若狭地蔵市民の森”に延宝4年(1676年)造立の地蔵がある。狭山湖道の交差点まで戻り、直進して西へ進むと左手の雑木林が広がる“若狭山ノ神市民の森”に昭和39年(1964年)創建の山ノ神神社がある。規模は“若狭山ノ神市民の森”の方が広い。
地蔵堂 山ノ神神社 
地蔵堂:所沢市若狭1-2941
山ノ神神社:所沢市若狭4-2509
能安寺山門  能安寺本堂 石橋供養塔
狭山湖道を進むと左手に所沢西郵便局、右手に堅固山・能安寺[日蓮正宗]がある。すぐ右手に安永2年(1773年)造立の道標を兼ねた石橋供養塔がある。正面下側に“右 川越 中 三(以下、埋没して不明) 左 井見ヶ崎”と彫られている。
能安寺:所沢市若狭3-2567
国道463号線バイパスと誓詞橋交差点で交差する。誓詞橋交差点は変則五差路になっており、横断して南東方向に進む。国道463号線を東へ進むと、すぐ右手に、案内看板や天明6年(1786年)造立の百番供養塔と石橋供養塔が並んでいる。誓詞橋は、旧青梅街道と鎌倉街道が交差する要衝だったところ。 
百番供養塔 石橋供養塔
小手指ヶ原古戦場碑 白旗塚 古戦場之碑
白旗塚碑 石祠 石祠
右手に埋蔵文化財調査サンター、すぐ右手に昭和10年(1935年)造立の小手指ヶ原古戦場碑がある。元弘3年(1333年)新田義貞の鎌倉攻めのときに、最初に鎌倉幕府軍と激戦を交えたところが小手指ヶ原と云われている。右折して茶畑を進むと、新田義貞が陣を張り源氏の白旗を掲げたと云われる白旗塚がある。塚登り口に平成3年(1991年)造立の古戦場之碑、塚の頂上に造立年不明の白旗塚碑や浅間神社の石祠がある。小山の塚は富士山に似ていることから、江戸時代に富士信仰の対象として頂上に浅間神社が設けられていた。誓詞橋の名称は、将兵に忠誠を誓わせたところから由来すると云われている。
小手指ヶ原古戦場碑まで戻り、道なりに南へ進む。国道179号線と交差、右折して西へ進む。稲荷坂交差点の東にある歩行者用の信号を北へ進むと、すぐ左手に田畑薬師堂[曹洞宗]がある。狭山三十七薬師20番札所になっている。全徳寺に所属している。
田畑薬師堂
田端薬師堂:所沢市北野2-30-9
北野天神社 北野天神社拝殿 神楽殿
小手指神社 稲荷神社 八雲社
文子天神社 諸神宮 石宮神社・水天宮
国道179号線に戻り東へ進むと、北野天神前交差点の北東側に北野天神社がある。北野天神社は、物部(もののべ)神社 / 国渭地祇(くにいちき)神社 / 天満神社の総称。物部神社は饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖先とする物部氏に由来する神社。國渭地祇神社は武勇の神である八千矛命(やちほこのみこと)を祀る。物部神社 / 国渭地祇神社は、平安時代に編纂された延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)に記載されている神社である。延喜式は平安時代中期に編纂された律令の施行細則である。醍醐天皇の命により延喜5年(905年)から編纂を始め、康保4年(967年)に施行された。延喜式神名帳に記載のある神社を延喜式内社、または式内社(しきないしゃ)や式社(しきしゃ)とも言う。神名帳(官社帳)は神祇官が作成していた官社の一覧表である。朝廷から由緒ある神社として認定されていたことになる。天満神社は長徳元年(995年)に京都北野天満宮より菅原道真の分霊を祀り、坂東第一北野天満宮と定められている。本殿は安永年間(1772年〜1780年)に再建されたもの。本殿の左手に、廃社となった航空神社の社殿を利用した小手指神社 / 稲荷神社 / 八雲社がある。本殿の右手に、文子天神社 / 室町時代に再建された諸神宮がある。西側の参道に、 石宮神社・水天宮がある。
北野天神社に初詣をする。普段は閑散として淋しい参道には行列ができ、拝殿に到着するまで時間が掛かる。露店も出ており賑やかである。破魔矢 / お守り / 絵馬を販売するテントが設けられていた。
北野天神社拝殿 絵馬
北野天神社所沢市小手指元町3-28-29
道標 大舘八幡宮
立山大権現
北野天神前交差点から国道179号線を東へ進むと、すぐ左手に大舘八幡宮入口の道標がある。左折すると、左手に大舘(おおだち)八幡宮がある。中央に立山大権現石塔、左右に社がある。
大舘八幡宮:所沢市小手指元町3-26-19

北野天神前交差点まで戻り、左折して南へ進む。5分ほどすると三差路の交差点があり、左折して東へ進む。4本目を右折して南へ、次を左折すると左手に無量寺がある。閑静な住宅地で、南側に椿峰小学校がある。

無量寺
無量寺所沢市小手指南5-18-21
全徳寺山門 全徳寺山門 全徳寺本堂
全徳寺鐘楼 全徳寺太子堂 全徳寺観音堂
北野天神前交差点まで戻り、左折して西へ進む。5分ほどするとある交差点から南へしばらく進むと、右手に梅林山北野院・全徳寺[曹洞宗]がある。永禄年間(1558年〜1570年)に、無住の寺を統合して創建されたと云われている。境内に太子堂 / 観音堂 / 秋葉山がある。本尊は釈迦三尊、札所本尊は普悲観音。武蔵野三十三観音霊場12番札所になっている。所沢観光協会の花名所“蝋梅の寺”になっている。
秋葉山 
三界間万霊塔 地蔵 地蔵
本堂に通じる山門前に享保14年(1729年)造立の三界間万霊塔、右手に享保4年(1719年)造立の地蔵や享保元年(1716年)造立の地蔵がある。
六地蔵 地蔵
本堂に通じる山門をくぐると、左右に文久3年(1863年)造立の六地蔵がある。本堂の手前左手に安永4年(1775年)造立の地蔵、右手にミニ石仏群がある。
ミニ石仏群
庚申塔と地蔵 庚申塔 六地蔵
六地蔵 地蔵 馬頭観音
境内左手にある秋葉山から、本堂に通じる山門へ進むとに石仏がある。左手に貞亨4年(1687年)造立の庚申塔 / 造立年不明の地蔵 / 安永4年(1775年)造立の庚申塔 / 左右に享保18年(1733年)造立の六地蔵 / 左手に造立年不明の地蔵が並んでいる。少し離れたところに造立年不明の馬頭観音がある。
全徳寺:所沢市北野南2-13-5
全徳寺本堂に通じる山門から南へ、T字路を右折して西へ進む。変則十字路を鋭角に左折すると、右手に文正2年(1467年)創建の藤森稲荷神社がある。ところどころに道標があり、解り易い。社殿右側に樹齢百数十年の藤の老木があり、例年4月下旬が見頃になる。倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を祀り、周辺の村人が五穀豊饒を願って創建したと云われている。 
藤森稲荷神社鳥居 藤森稲荷神社社殿
藤森稲荷神社所沢市北野南2-28
堀口天満天神社鳥居 堀口天満天神社拝殿 堀口天満天神社社務所
道なりに南へ進むと階段があり、下ると遊歩道になる。しばらくすると舗装された道路となり、登りきったところにゴルフ場がある。右手に遊歩道が2本あり、右へ西方向に進む。しばらく遊歩道を進み、変則十字路を左折して南へ進む。ところどころに案内板があるが、場所の方位が逆異で注意が必要である。遊歩道のY字路を左へ下ると、右手に天正年間(1575年〜1585年)後期創建の堀口天満天神社がある。菅原道真 / 天穂日命 / 花園姫を祀る。境内左手奥に火消稲荷神社がある。別当の清照寺とともに、昭和4年(1929年)に山口貯水池(狭山湖)が造られたとき、別当の清照寺とともに移転する。
火消稲荷神社
堀口天満天神社所沢市上山口436
清照寺本堂 六地蔵 多摩新四国八十八ヶ所霊場
右手に茶畑を見ながら下ると、文禄年間(1592年〜1595年)創建の星見山・清照寺[真言宗豊山派]がある。本尊は大日如来。天満天神社の別当寺。 昭和4年(1929年)に山口貯水池(狭山湖)が造られたとき、ともに移転する。多摩新四国八十八ヶ所霊場42番札所になっている。境内に平成3年(1991年)造立の 六地蔵がある。
地蔵 施餓鬼供養塔 光明真言供養塔
大日如来 地蔵 一千万遍供養塔
境内への石段左手に、造立年不明の地蔵 / 弘化3年(1846) 造立の施餓鬼供養塔 / 天保10年(1839年)造立の光明真言供養塔 / 延宝5年(167年)造立の大日如来 / 享和元年(1801年)造立の地蔵 / 大正3年(1914年) 造立の一千万遍供養塔 / 宝暦14年(1764年)造立の庚申塔が並んでいる。石段右手に天明2年(1782年)造立の馬頭観音がある。道標を兼ねている。左側に山口八王子道、右側に三嶋岩崎道と彫られている。 
庚申塔  馬頭観音
清照寺所沢市上山口439-2
天満天神社からの道を下ると自治会館があり、西武球場前駅への道標を左折する。すぐ右手に寛政8年(1796年)造立の馬頭観音がある。百番供養塔を兼ねている。左側に西国33番と坂東33番、右側に秩父34番と彫られている。5分ほどで右手に稲荷神社がある。高橋交差点を右折して、県道55号線を南へ進む。西武狭山線に沿って県道55号線を南西へ進むと、西武狭山線・西武球場前駅に至る。  
馬頭観音  稲荷神社