所沢寺社石仏撮影散歩
西武狭山線・西武球場前駅〜西武狭山線・下山口駅
西武球場前駅 新堀の石仏 新堀吾庵 密厳院 翁樹神社 仙元前石仏 海蔵寺 桜淵延命地蔵 下山口駅
馬頭観音 大日如来供養塔 石橋供養塔
西武狭山線・西武球場前駅から西武狭山線の西側を並行する県道55号線を北東へ進む。最初の信号を右折、西武狭山線高架下を潜る。しばらくすると、右手に新堀墓地へ鋭角に登る坂がある。坂の途中右手に、道標も兼ねている嘉永6年(1853年)造立の馬頭観音 / 嘉永6年(1853年)造立の大日如来供養塔 / 明治12年(1879年)造立の石橋供養塔が並んでいる。坂を登ると、新堀墓地前の小さな祠に造立年不明の地蔵がある。
地蔵
坂を下り、道に戻る。さらに東へ進み、すぐに十字路を左折する。右手に見えてくる新堀自治会館1Fの左側が、享保2年(1717年)創建の新堀吾庵である。狭山三十七薬師の22番札所になっている。金乗院(山口観音)に所属している。 
新堀自治会館
新堀吾庵(新堀自治会館):所沢市上山口1839-1
*狭山三十七薬師
薬師信仰は稲荷信仰や地蔵信仰とともに庶民に親しまれ、国分寺など権威ある古刹に数が多い。狭山三十七薬師は、江戸時代(1603年〜1867年)中期に開創されている。大正13年(1924年)に村山貯水池(多摩湖)、昭和9年(1934年)に山口貯水池(狭山湖)が完成した頃から衰退したと云われている。村山貯水池(多摩湖)や山口貯水池(狭山湖)が造られたときに移転した寺院や、合併や廃寺により存在していないところがある。薬師の行方が分からなくなっているところもある。東京都武蔵村山市から時計回りに、東京都西多摩郡瑞穂町・埼玉県入間市・埼玉県所沢市・東京都東村山市・東京都東大和市の5市1町にまたがっている。
熊野神社 山王宮神号脾 石祠
蚕影山大権現 灯籠の傘
十字路まで戻り、東へ進む。すぐに右折して坂を登ると、左手に熊野神社がある。左折して細い道を進むと参道がある。社殿右手に、左から山王宮神号脾 / 石祠 / 嘉永7年(1854年)造立の蚕影山大権現 / 灯籠の傘が並んでいる。その後方に祠がある。蚕影山大権現は養蚕の神。このあたりはかつて養蚕が盛んだったところで、蚕の供養を行ったと云われている。
熊野神社:所沢市上山口1890
密厳院本堂 阿弥陀堂 六地蔵
道に戻り、さらに東へ進む。しばらくすると大樹が見えてくる。十字路に道標があり、右折すると元和8年(1622年)創建の密厳院[真言宗豊山派]がある。本尊は薬師如来。多摩新四国八十八ヶ所23番札所になっている。本堂の手前に享保19年(1734年)造立の地蔵と万延2年(1861年)造立の普門品供養塔がある。本堂の左手に阿弥陀堂と平成7年(1995年)造立の六地蔵がある。
地蔵 普門品供養塔
密厳院所沢市山口2045
十字路まで戻り、直進して北へ進む。T字路を右折してすぐに左折すると、右手に翁樹神社がある。
翁樹神社
翁樹神社:所沢市山口
密厳院の道標がある十字路まで戻る。道なりに東へ進むと、左手に道標も兼ねている弘化4年(1847年)造立の光明真言百五十万遍供養塔がある。自衛消防隊の建物を左折する。T字路の左手に、明治14年(1881年)造立の馬頭観音がある。
光明真言百五十万遍供養塔 馬頭観音
馬頭観音 地蔵 地蔵
T字路を右折して東へ、さらに交差点を右折して山口城址通を南へ進む。坂を登り始めると、右手に木に隠れる様に仙元前石仏がある。文政5年(1822年)造立の馬頭観音 / 造立年不明の地蔵 / 道標も兼ねている文政4年(1821年)造立の地蔵が並んでいる。山口城址通をさらに南へ進むと、左手に大正15年(1926年)造立の開道記念碑がある。
開道記念碑
町谷地蔵
山口城址通を北へ戻り、信号機のある最初の交差点を右折する。十字路を右折して南へ進む。町谷地蔵はかなり込み入ったところにある筈だが、見つけられない。地元の知っている方に伺うことができた。桜の木のところにあったが、桜の木が切られて地蔵も見かけなくなったとのことであった。
稲荷神社 海蔵寺本堂 明治28年造立の普門品供養塔
嘉永2年造立の地蔵 文政年間造立の普門品供養塔 造立年不明の地蔵
仙元前石仏から山口城址通を北へ戻る。信号がある最初の交差点を右折、さらに十字路を左折して北へ進む。突き当りに稲荷神社がある。手前を右折すると左手に、南北朝時代(1336年〜1392年)創建の川嶋山・海蔵寺[真言宗豊山派]がある。参道左手に、明治28年(1895年)造立の普門品供養塔 / 嘉永2年(1849年)造立の地蔵 / 文政年間(1818年〜1829年)造立の普門品供養塔が並んでいる。右手に造立年不明の地蔵、背面に享和元年(1801年)造立の百番供養塔がある。
百番供養塔
稲荷神社:所沢市山口2724
海蔵寺所沢市山口2725
東へ進むと、柳瀬川にかかる桜渕橋の手前左手に天保14年(1843年)造立の桜淵延命地蔵がある。柳瀬川の渕で亡くなった赤子の面倒を見ていた母親の妹が、責任を感じて桜渕に身を投げた。その菩提を弔うために造立された地蔵。Y字路を左へ進み、西武狭山線踏切を渡ると右手に西武狭山線・下山口駅がある。 
桜淵延命地蔵