江戸六地蔵
江戸六地蔵は六街道の江戸御府入口に、宝永5年(1708年)から道中安全を願って造立される。第1番:品川寺(東海道) / 第2番:太宗寺(甲州街道) / 第3番:真性寺(中山道) / 第4番:東禅寺(奥州街道) / 第5番:霊厳寺(水戸街道) / 第6番:永代寺(千葉街道)に造立された。永代寺は廃寺になり地蔵は取り壊され、五地蔵が残る。
江戸六地蔵第1番:品川寺(ほんせんじ)
江戸六地蔵 品川寺本堂
京浜急行・青物横丁駅から北へ、421号線を右折して東へ進む。八潮高校入口交差点で旧東海道と交差、右折して南へ進む。すぐ右手に大同年間(806年〜810年)創建と云われる品川寺がある。東海道の品川宿は、甲州街道の内藤新宿 / 中仙道の板橋宿 / 日光・奥州街道の千住宿とともに江戸四宿と云われた。日本橋から二里、東海道の最初の宿である。入口左手に、宝永5年(1708年)造立の江戸六地蔵の一つがある。現存する江戸六地蔵像で、唯一傘を載せていない。江戸三十三観音31番札所 / 東海三十三観音21番札所 / 東海七福神(毘沙門天)になっている。明暦3年(1657年)の銘がある梵鐘には、六観音像が鋳出されている。幕末に海外へ流出し、1867年のパリ万博や1871年のウィーン万博に展示されたと云われている。スイス・ジュネーヴ市・アリアナ美術館に所蔵されていることが判り、昭和5年(1930年)返還される。
品川寺:東京都品川区南品川3-5-17
江戸六地蔵第2番:太宗寺
江戸六地蔵 太宗寺本堂
東京メトロ・新宿御苑前駅より西へ、新宿交番のある交差点を右折して北へ進む。すぐに左折、さらに右折して小道を進む。左手に慶長元年(1596年)創建の太宗寺がある。信州高遠藩主・内藤家の菩提寺。正徳2年(1712年)造立の銅造地蔵 / 不動堂 / 閻魔堂 / 明治3年(1870年)造立の奪衣婆(だつえば) / 塩を被った塩かけ地蔵 などがある。銅造地蔵は江戸六地蔵で、甲州街道沿いに造立された。閻魔堂の閻魔は江戸三大閻魔で、嘉永3年(1850年)に奉納されたもの。奪衣婆は衣を剥ぐところから、内藤新宿の妓楼の商売の神として「しょうずかばあさん」と呼ばれて信仰されたと云われている。新宿山手七福神(布袋尊)になっている。
太宗寺:東京都新宿区新宿2-9-2
江戸六地蔵第3番:真性寺 
[参考]身代わり地蔵
江戸六地蔵 真性寺本堂
JR巣鴨駅西側の商店街を北へ進むと、左手に真性寺がある。本堂手前左手に正徳4年(1714年)造立の六地蔵の一つがある。平成20年8月より平成22年5月まで修理に出されており、縮小した身代わり地蔵が置かれていた。お年寄りの原宿で知られている巣鴨地蔵通り商店街や慶長元年(1596年)創建の高岩寺が近い。高岩寺はとげぬき地蔵の通称で知られている。江戸六地蔵のなかで一番立地に恵まれており、線香が絶えない。
真性寺:東京都豊島区巣鴨3-21-21
江戸六地蔵第4番:東禅寺 
江戸六地蔵 真性寺本堂
東武浅草駅(松屋)前の江戸通りを北へ、言問通りの五差路を吉野通りに進む。東浅草2丁目にある交番の一角に、寛永3年(1626年)創建と云われる東禅寺がある。宝永7年(1710年)造立の江戸六地蔵の一つがある。旧奥州街道の入口にあったが、昭和3年(1928年)現在地に移転する。
東禅寺:東京都台東区東浅草2-12-13
江戸六地蔵第5番:霊巌寺
江戸六地蔵 霊巌寺本堂

東京メトロ半蔵門線 / 都営大江戸線・清澄白河駅の南東側に、霊巌寺がある。寛永元年(1624年)霊巌島(現在:東京都中央区新川)に創建される。明暦3年(1657年)明暦の大火により霊巌寺も延焼、万治元年(1658年)現在地に移転する。享保2年(1717年)造立の江戸六地蔵の一つがある。寛政の改革を行った陸奥白河藩主・松平定信の墓 / 今治藩主・松平家 / 膳所藩主・本多家など大名の墓が多く存在する。霊巌寺周辺の地名である白河は、陸奥白河藩に由来する。

霊巌寺:東京都江東区白河1-3-32
江戸五色不動
寛永年間(1624年〜1645年)三代将軍・徳川家光が江戸の鎮護と天下泰平を祈願して、五つの不動を割り当てたと云われている。中国の春秋戦国時代(紀元前770年〜紀元前221年)に発生した自然科学思想である“陰陽五行思想(おんみょうごぎょうしそう)”に由来していると云われている。“陰陽五行思想”は“陰陽思想”と“五行思想”が結び付いた思想。青 / 白 / 赤 / 黒 / 黄の五色は、それぞれ東 / 西 / 南 / 北 / 中央 を表している。五色不動を線で結んだ内側を江戸の内府と呼んだが、廃寺や合併などで不動は移動している。世田谷区・目青不動(最勝寺教学院) / 豊島区・目白不動(金乗院) / 文京区・目赤不動(南谷寺) / 目黒区・目黒不動(瀧泉寺) / 台東区・目黄不動(永久寺)となっている。
目青不動(最勝寺教学院)
三軒茶屋は丹沢・大山阿夫利(あふり)神社へ参拝する大山道や津久井往還の要路で、三軒の茶屋があったことに由来している。東急世田谷線・三軒茶屋駅の北側に、慶長9年(1604年)創建と云われる最勝寺教学院がある。目青不動は麻布・観行寺の本尊であったが廃寺となり、最勝寺教学院に移される。明治41年(1908年)青山から移転した。
目白不動(金乗院)
都電荒川線・学習院下駅から東へ進むと、金乗院がある。目白不動は、元和4年(1616年)創建の浄滝院新長谷寺にあったもの。昭和20年(1945年)の戦災により焼失、不動を金乗院に移して合併する。
目赤不動(南谷寺)
東京メトロ南北線・本駒込駅から455線を北へ進むと、左手に元和2年(1616年)創建の南谷寺がある。以前は“赤目不動”と呼ばれており、本駒込3丁目付近にあった。第2次世界大戦による戦災で焼失、昭和33年(1958年)に本堂 / 昭和58年(1983年)に不動堂 が再建された。不動堂前の坂道は“不動坂”と呼ばれていたが、現在は“動坂”と呼ばれている。
目黒不動(瀧泉寺)
東急目黒線・不動前駅より北東へ、山手通りを左折して北西へ進む。羅漢寺交差点を鋭角に左折すると、五百羅漢寺や大同3年(808年)創建の瀧泉寺がある。古くから不動信仰の霊地として知られ、熊本・木原きわら不動 / 千葉・成田山新勝寺 とともに日本三大不動と云われている。江戸近郊の参詣行楽地で江戸三富と呼ばれた富くじが行われ、門前町は賑わった。寛永11年(1634年)に修理復興が行われたが、戦災によりほとんどの建物は焼失している。涸れたことがないと云われる独鈷の瀧がある。
目黄不動(永久寺)
東京メトロ日比谷線・三ノ輪駅の北西にある大関横丁交差点を南東へ進むと、すぐ左手に天正年間(1573年〜1592年)創建の永久寺がある。目黄不動は、江戸川区・最勝寺とも云われている。