寝台列車
EF60 510 カニ22 ナハフ20
中学生の時、東京駅や上野駅に撮影に通っていた。当時の憧れは東海道新幹線ではなく、列車ホテルとも称された20系寝台特急であった。東京駅発着の寝台特急はEF60 500番台、上野駅発着の寝台特急はEF58 が牽引していた。次々に寝台特急列車や寝台急行列車が到着、今では想像できない光景であった。
父の勤務する会社の方が長崎から出張で来ており、寝台特急“さくら”で長崎へ行くことになる。初めて乗車した20系寝台列車はB寝台、3段の上段であった。興奮しながらも就寝、早朝に通路側の椅子に座り風景を眺める。しばらくすると気分が悪くなる。限られた小遣いのため、食事を切り詰めていたのが原因であった。
当時の編成表を見ると、EF60-マニ20 o rカニ22-ナロネ22-ナロ20-ナシ20-ナハネ20-ナハネ20-ナハネ20-ナハフ21-[ナハネ20]-[ナハネ20]-[ナハネ20]-[ナハネ20]-[ナハネ20]-[ナハネ20]-[ナハフ20]となっている。[ ]の車両は博多駅で切り離されていた。
長崎からの帰路は一人旅で、急行・雲仙の座席車であった。途中で急行・西海が連結されているが、どこでその作業が行われたか判らない。当時は関門トンネルを除き、広島駅まで蒸気機関車が牽引していたと記憶している。帰ってから眼が痛くなり眼科へ行くと、細かい石炭の破片が眼に刺さっていた。
およそ30年後の1994年4月、東京から福岡に転勤となる。鉄道マニアは始業時間に間に合うことから、思い出深い寝台特急“さくら”を利用する。
昭和38年(1963年)〜昭和41年(1966年)の運行区間
あさかぜ 東京⇔博多
さくら 東京⇔長崎 / 博多 昭和40年(1965年)10月からは東京⇔長崎 / 佐世保
はやぶさ 東京⇔西鹿児島 昭和40年(1965年)10月からは東京⇔西鹿児島 / 博多
富士 東京⇔大分 / 下関 昭和40年(1965年)10月からは東京⇔西鹿児島 / 下関
みづほ 東京⇔熊本 / 大分 昭和39年(1964年)10月からは東京⇔熊本 / 博多
はくつる 上野⇔青森
東京駅〜西鹿児島駅の寝台特急・はやぶさは1515.3km / 東京駅〜西鹿児島駅を日豊本線経由で結んでいた寝台特急・富士は1574.2kmの最長運行距離であった。
EF60 あさかぜ 20系 あさかぜ 20系 あさかぜ
EF60 はやぶさ 20系 はやぶさ 20系 はやぶさ
EF60 富士 荷物電車 / 20系 富士 20系 富士
20系 富士 EF60 みづほ 20系 みづほ
EF58 はくつる 交直流電車 / 20系 はくつる 20系 はくつる
20系以降の寝台特急牽引機関車
EF81 133 北斗星 上野駅 ED79 19 北斗星 函館駅 DD51 1107 北斗星 函館駅

北斗星は、昭和63年(1988年)〜平成27年(2015年)上野駅〜札幌駅に運行されていた寝台特急列車。上野駅〜札幌駅を1214.7kmを結んでいた。

カシオペアは、平成11年(1999年)から上野駅〜札幌駅に運行開始した臨時寝台特急列車。平成28年(2016年)3月の北海道新幹線開業に伴い、青函トンネル内の架線電圧が変更となる。牽引電気機関車の問題から廃止になる予定になっている。

 EF81 99 カシオペア 上野駅 EF510 503 カシオペア 宇都宮駅

あけぼの は、昭和45年(1970年)〜平成26年(2014年)上野駅〜青森駅に運行されていた寝台特急列車。東北本線〜高崎線〜上越線〜信越本線〜羽越本線〜奥羽本線を経由していた。

EF64 1051 あけぼの 赤羽駅 EF64 37 あけぼの 日暮里駅

北陸は、昭和22年(1947年)上野駅〜金沢駅・新潟駅間を運行していた夜行急行列車が始まり。昭和50年(1975年)寝台特急に格上げされ、余剰となっていた20系客車が使用された。昭和53年(1978年)14系客車に変更された。平成22年(2010年)運行終了となる。東北本線〜高崎線〜上越線〜信越本線〜北陸本線を経由していた。

EF64 1052 北陸 上野駅 EF64 1052 北陸 日暮里駅

トワイライトエクスプレスは、平成元年(1989年)7月に大阪駅〜札幌駅間を結ぶ団体専用列車として運行したのが始まり。12月からは週4日発着の臨時列車として運行される。東海道本線〜湖西線〜北陸本線〜信越本線〜羽越本線〜奥羽本線〜津軽線〜海峡線〜江差線〜函館本線〜室蘭本線〜千歳線を経由していた。平成27年(2015年)運行終了となる。ツアー専用列車は、平成28年(2016年)3月の北海道新幹線開業まで運行される予定になっている。大阪発札幌行きは1495.7kmを約22時間 / 札幌発大阪行きは1508.5kmを約22時間50分で運行していた。

EF81 114 大阪駅

なは は、昭和43年(1968年)大阪駅〜西鹿児島駅間に運行を開始した昼行特急列車が始まり。キハ82系ディーゼル車両が使用された。 昭和48年(1973年)485系電車となる。昭和50年(1975年)山陽新幹線が全通により夜行寝台特急列車となり、583系電車寝台に変更される。運行は、新大阪駅〜西鹿児島駅間になる。昭和59年(1984年)24系寝台客車に変更される。平成16年(2004年)九州新幹線・新八代駅〜鹿児島中央駅間の部分開業に伴い、京都駅〜熊本駅間になる。平成20年(2008年)運行終了となる。

ED76 86 なは 熊本駅
寝台列車よもやま話
社会人になってからの寝台特急の思い出に、1983年3月19日からの三夜連続の利用がある。東京駅→熊本駅 / 熊本駅→大阪駅は寝台特急で、新大阪駅→東京駅は新幹線の予定であった。新幹線が事故で帰れなくなり、寝台特急を利用して東京駅へ向かうことになる。翌朝、東京駅より青梅駅へ、カメラクラブ東京支部撮影会の集合時間までに辿り着いている。いくら鉄道マニアでも疲れる。熊本駅→大阪駅は581系月光形電車寝台の特急“なは”で、上段は驚くほど狭く窓も小さかった。60Hz専用電動車を連結したのが581系、50Hz/60Hz両用の電動車を連結したのが583系。
九州鉄道記念館
1997年 早岐駅 2002年 米原駅 2002年 福井駅

寝台特急の運用から外れ、普通車に改造された。3〜4両編成で使用するために制御車が不足、中間車の運転台取付改造も行われた。非貫通切妻構造であるが、寝台列車特有の屋根構造になっている。その形状から“食パン電車”などと呼ばれた。昭和59年(1984年)から順次、交流専用の715系は長崎本線・佐世保線 / 交流専用の寒冷地対応車715系は東北本線 /交流直流両用の419系は北陸本線 で使用された。佐世保線や北陸本線で普通車に改造された715系や419系に乗車すると、面影が残る天井を思わず見上げていた。

 

急行“きたぐに”は、昭和22年(1947年)から大阪駅・青森駅間で運行されたのが始まり。昭和60年(1985年)583系が投入され、電車化される。平成24年(2012年)定期列車としての運転が終了する。画像は 京都駅留置線。

2000年 急行 きたぐに