北九州・門司港駅
JR九州・門司港駅は、明治24年(1891年)九州鉄道により開業した旧門司駅。九州の鉄道玄関口で、対岸の下関駅と結ぶ鉄道連絡船が就航していた。昭和17年(1942年)関門トンネル開通に伴い、門司港駅に改称される。昭和39年(1964年)国鉄関門航路が廃止される。大正3年(1914年)に竣工した2代目駅舎は、昭和63年(1988年)駅舎として初めて重文に指定された。駅舎はドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの監修、ネオ・ルネッサンス様式と呼ばれる左右対称の外観デザインの木造駅舎。
門司港駅

平成24年(2012年)から保存修理工事が始まり平成31年(2019年)3月に完了、門司港駅舎は大正3年(1914年)竣工当時の姿に復原された。

門司港駅(2019年7月)
0哩標
ホーム 旅立ちの鐘 / 0哩標(2019年7月)
415系交直流両用電車 811系交流電車 関門連絡船通路跡
頭端式ホーム2面があり、ホームの間には九州の鉄道起点を示す0哩(マイル)標がある。2019年7月に訪れたときは、旅立ちの鐘が設置されていた。415系は下関駅〜小倉駅間で運用されている交直流両用電車であるが、日豊本線の運用もある。構内西側に関門連絡船通路跡があり、連絡船の写真が貼られている。
50系客車 / 12系客車 50系客車
客車列車が多かった頃の画像。4・5番ホーム西側に、50系客車が留置されていた。
改札口(2019年7月) 切符売場(2019年7月) 待合室
みどりの窓口 みどりの窓口(2019年7月) 喫茶店(2019年7月)
上水道 洗面所 便所入口
駅舎内には、以前から歴史を感じさせる 切符売場 / 待合室 / 上水道 / 洗面所 / 便所 などが残っていた。2019年7月に訪れたときには、上水道と洗面所は撤去されていた。便所入口や手水鉢の雰囲気は変わらないが、男性便所内は近代的になっていた。
便所 手水鉢
駅構内東側の車両留置線から外浜駅まで、鹿児島本線・貨物支線が伸びていた。平成17年(2005年)営業休止、平成20年(2008年)廃止となる。平成21年(2009年)この線路を利用したトロッコ列車を運行が運行されている。
貨物支線 トロッコ列車
旧九州鉄道本社 9600形 59634 C59形 C59 1

門司港駅の東側に、平成15年(2003年)に開館した九州鉄道記念館(有料施設)がある。旧九州鉄道本社は。明治22年(1889年)築。 C59 1は、準鉄道記念物。門鉄デフ付の蒸気機関車がないのが淋しい。

EF10は、昭和17年(1942年)〜昭和36年(1961年)まで関門トンネルで運用されていた。EF10 35は海底トンネル特有の塩害対策のため、外板をステンレスに張り替える改造を受けた5両の1両。EF10 24以外は、標準のぶどう色に塗装されていた。

EF10 35 ED72 1
キハ07 41 クハ481 603 クハネ581 8
チブ37
キハ07 41は昭和16年(1937年)製造、昭和44年(1969年)廃車になった気動車。寝台特急電車クハネ581 8は普通車に改造された715系を、外装のみ復元したもの。ロングシートや吊革が残る。チブ37は、明治42年(1909年)小倉工場で製造された九州鉄道の客車。昭和4年(1929年)大分・耶馬渓鉄道に払い下げられた。
関門国道トンネル〜関門連絡船
関門海峡を通過する貨物船 和布刈神社 和布刈神社燈籠
JR門司港駅より南東へ、桟橋通り交差点を左折して3号線を北東へ進む。鎮西橋交差点を直進、261号線を進む。道なりに進むと、 関門橋の下に仲哀天皇9年(200年)創建と云われる和布刈(めかり)神社がある。門司港駅から45分ほど掛る。
和布刈神社からすぐに昭和33年(1958年)に開通した関門国道トンネル人道入口がある。エレベーターを降りると、対岸の下関まで歩いて行ける。中間地点に、福岡県と山口県の県境がある。
関門国道トンネル人道
下関側の地上に出ると、関門海峡沿いに“みもすそ川公園”がある。源平合戦・壇ノ浦の戦い / 馬関戦争 の舞台になったところである。源義経と平知盛の像 / 馬関戦争で使用された長州砲のレプリカ がある。文久3年(1863年)長州藩は、関門海峡を通る外国船を3回に渡って軍艦や砲台から砲撃した。この外国船無差別攻撃に対してアメリカ / フランスが報復、軍艦の撃沈 / 砲台の破壊 / 陸戦隊を上陸させて長州軍と交戦 した。さらに元治元年(1864年)アメリカ / イギリス / フランス / オランダ は17隻から成る連合艦隊で下関沿岸を攻撃した。陸戦隊が上陸して長州軍と交戦、砲台はことごとく破壊された。
長州砲のレプリカ
9号線を南西へ10分ほど進むと、右手に貞観元年(859年)創建の阿弥陀寺が始まりの赤間神宮がある。文治元年(1185年)壇ノ浦の戦いで入水した安徳天皇の御影堂が、建久2年(1191年)に建立される。平家一門を祀る塚があり、耳なし芳一の舞台でもある。
赤間神宮水天門 赤間神宮拝殿
床屋発祥の地碑 亀山八幡宮 旧英国領事館
赤間神宮から5分足らずの左手に床屋発祥の地碑 / 右手に貞観元年(859年)創建の亀山八幡宮 / 右手に明治39年(1906年)築の赤煉瓦の旧英国領事館(重文) と続く
旧英国領事館からすぐの唐戸交差点を越えた左手に、唐戸桟橋がある。関門連絡船で対岸の門司港に5分ほどで渡れる。
関門連絡船(門司港側)
島根・旧大社駅
駅舎内観光案内所
旧大社駅 D51 774

旧大社駅は、平成2年(1990年)に廃線となった大社線の終着駅。明治45年(1912年)に開業した大社線は、山陰本線・出雲市駅から大社駅までの7.5kmを結んでいた。大正13年(1924年)に竣工した2代目駅舎は、平成16年(2004年)重文に指定された。木造平屋、出雲大社を模した造りになっている。廃止当時は島式と相対式ホームの2面3線があり、ホームは非常に長い。往時は、急行・出雲(東京駅〜大社駅)などの急行列車や団体臨時列車が運行されていた。 構内に展示されているD51は塗装がはがれているところもあり、痛々しい感じがする。

出雲市駅の記念スタンプ台が乾いており、持参のスタンプ台が役立つ。
出雲市駅 旧大社駅
島根・出雲大社前駅
出雲大社前駅 改修前の駅舎
出雲大社前駅は、昭和5年(1930年)開業した一畑電車大社線の終着駅。 出雲大社の最寄り駅。大社線は北松江線・川跡駅から出雲大社前駅までの8.3kmを結んでいる。昭和5年(1930年)に竣工した西洋建築の駅舎は、平成8年(1996年)登録有形文化財建造物に指定された。平成24年(2012年)駅舎が改修される。頭端式ホーム1面2線がある。
3000系 デハニ50形 53 出雲大社前駅
3000系は、大阪で見慣れた元南海21000系を平成9年(1997年)に譲受した車両。昭和4年(1929年)製造のデハニ50形53号車は、現役時代の画像。